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価値観に所属するという感覚関連

 近年意識しているのは、「価値観に所属する」という感覚です。その感覚が個人の損得よりも上位にあるので、傍から見ると、個人の損得レベルで不合理のような選択をしていると思われることがあり、でも、僕の中では合理的に自分が一番得をするように振る舞っているので、これはその辺の話です。

 

 価値観に所属するということがどういうことかというと、例えば「人に親切にするということは良いことだ」という価値観があるとします。その価値観に至るのは、他人に親切にされて嬉しかった経験に根ざしていたり、人が互いに親切にし合える世の中っていいよねという思いだったり、色々な理由があると思いますが、自分が人に親切にすることによって、その価値観に所属することができるようになります。

 人に親切にするっていいよねという価値観に所属することで、自分が過去他人から受けた親切も肯定することができますし、その価値観の中で自分が生きていることで嬉しくなります。そのため、自分には自分のこれまでのよかったことや今の自分の状態を肯定的に捉えられるという、とても大きなメリットがあります。

 

 見知らぬ人に特に見返りもなく親切にするということは、個人レベルでは損かもしれません。その人に親切にするために支払った労力が返って来ないことも多いからです。なので、僕が感じているような価値観に所属するということの良さが理解できない場合、自分の持っている何かを他人にただばらまいているという愚かな人に思えるかもしれません。

 僕がそういうことをしていると、「そんなに頑張らなくていいんだよ」とか、「もっと自分を大切にして」とか、「親切にされたのに返して来ないなんて酷い奴ら」だとか、そういう言葉が僕を心配して出てくることがあり、心配してくれているのは良いことだなと思う一方で、僕自身は十分得たいものを得られているので、得をしており、得をするために行動をしているだけなので、何も問題はないという状態です。

 

 これは価値観に所属し続けるために、何かをしないという影響もあります。例えば、困っている人を見捨てるということは、自分が大切にしたい価値観に砂をかけているようなもので、そんなことを続けていたら、もう人に親切にすることっていいよねと思いにくくなってくると思います。自分の中で辻褄があっていることを優先させるなら、そこで助ける方がいいという判断が自分の中で出てきます。

 

 こういう自分の中の価値観の一貫性については、特にネットなんかを見ていると思うことが多くて、例えば「イジメはいけない」と憤ったとして、その時に思うのは自分はちゃんと「イジメはいけない」という価値観に所属で来ているかどうかということが気になってきます。

 つまり、「自分がしている行動の中にイジメと判断できるものがないだろうか?」ということが気になってしまいます。自分がイジメをしているのに、イジメに憤っているということは辻褄があいません。そうなってくると、イジメは良くないと思ったという自分の感情を、自分で貶めていることになってくるので、とても居心地が悪くなってきます。

 

 なので、イジメが良くないと思い続けるためにも、自分がやっていることはイジメではないのか?ということを考え続ける必要があることになりました。

 

 自分が大切にしたいものを大切にできているということは、とても良いと感じられることで、その状態に自分がなっていると安心します。そして、自分が大切だと思っていることを自分で馬鹿にするような態度をとってしまうと、自分の中の辻褄が合わず、例えば、自分を傷つけたような価値観を自分で肯定しているようなことになり、自分という存在には価値がないように思えてしまいます。

 

 殴られて言うことを聞かされた悔しさを、誰かを殴ることで解消しようとするなら、自分が最初に殴られたという手段は正しかったということになってしまいます。そんなものは正しくなかったと言い続けるためには、殴るという方法を使ってはいけないでしょう。

 

 世の中にいる人が大体そうであるように、僕も色んな嫌な目に今まであってきましたし、色んな人に親切にされて生きて来ることができました。自分に親切にしてくれた人を肯定するためにも、自分も同様に親切であった方がいいなと思いますし、自分があった嫌な目を自分で肯定しないためにも、嫌なことを自分ではしないようにしていきたいと感じています。

 

 自分じゃない人が馬鹿にされているときに、なんで我がことのように腹を立てているのか?と聞かれることがあって、それはその人に対しては別に興味があるわけではなくとも、そこに存在している価値観に、自分が苦しめられきたのであれば、それに対する反発はしておいた方がいいと思うからです。優しくしようと思うのもその逆で同様です。

 

 僕はそれが良いと思った価値観に、自分の行動の中で良いと取り扱っていくことで所属していきたいし、自分が嫌だなと思った価値観には所属しないで済むために、そのようなことをしないでいようと思います。

 

 ただ、最近このようなことをしようと思えているのは、今の自分が肉体的精神的金銭的にそこそこ満ち足りて暮らしているため、多少の損になることを支払ったところで大したことではないと思えているからだと思います。

 余裕がなければ、その場その時だけの損得に拘らなければ生きて行くことができませんし、自分がこのようなことを思えているのは、たまたま自分が恵まれているからだなという理解もあります。なので、恵まれた状態を維持することで、この状態を保ちたいなということを思っています。