漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

仕事をゲーム化して進める試み関連

 あらゆることがダルいので基本的に何もしたくありません。そんなことないだろ?と言われるかもしれませんが、それは僕の行動の表面だけを見ているからだと思います。心の底から沸き上がるようなやりたいことなんてほとんどありません。

 

 そんな中で自分が自発的にやる数少ないものが、漫画を読む、ゲームを遊ぶ、インターネットを見るの3つです。そして、それだけをしていたら生活できるといいのですが、漫画を読んだり、ゲームを遊んだり、インターネットを見たりするだけで収入を得られる方法がなく、実家が太かったりして誰かに養ってもらえるわけではないので、働かないといけませんし、一人で暮らしているので家事も全部自分でやる必要があります。

 

 やらないといけないことは色々ありますが、別にやりたくありません。となればロジカルに考えて、自発的にやっているもののように、やらないといけないことをできるといいのではないかと考えました。つまり、漫画を読んだり、ゲームを遊んだり、インターネットを見たりするように、仕事や家事をすればいいということになります。

 

 最初に考えることは、漫画やゲームやインターネットには何があって、仕事や家事にはないのか、あるいは、漫画やゲームやインターネットには何がなくて、仕事や家事にはあるのかという差です。

 

 自分なりの分析を丁寧に書いていくととても長くなるので、いきなり大雑把な結論から書きますが、自発的に続けられるものにあるのは以下3点です。

・目の前にあるタスクがちょうどいい大きさになっている

・続けていると短期的な報酬が得られる

・続けていると長期的な報酬が得られる

 

 そのメカニズムとしては、手をつけるのにちょうどいい大きさのタスクがあると、大きなエネルギーを必要とせずにそのタスクに取り組めますし、やりきった瞬間に短期的な報酬を得られると気持ちよくなります。そうすれば、その実行と報酬の最小サイクルを回し続けることができます。回せば回すほどに気持ちよくなるからです。一方で、同じようなサイクルを回し続けていると、一回あたりの報酬が減ってくることがあり、そこで我に返ると自分は何をしているんだと思ってやめてしまうことがあります。それを阻止するのが長期的な報酬で、最小サイクルを回し続けてきた結果蓄積されていくものがあったり、最終到達目標に近づいている実感があると行動を止めずにすみます。

 これが基本の考え方です。この状態を作り出すことができれば、何にもやりたくない気持ちでも行動を開始して続けることができるようになります。面白いゲームはこのサイクルが上手く構築されており、プレイヤーが操作をして目の前の状況に対応する手ごたえがある短期的な報酬と、その結果としての長期的な報酬への期待が設計されており、ゲームの側が難度調整によって目の前にちょうどよく分解されたタスクを提示してくれます。

 

 逆を言うと、遊ぶのを止めてしまうゲームではその状態を上手く作れていないということだと思います。例えば、あまりに操作が難し過ぎるゲームは、目の前の状況に対応するタスクが大きすぎ、なおかつ短期的な報酬が得られにくいので続けることができなくなります。

 ひたすらムービーを見るようなゲームも、ムービー自体がとても面白くて報酬が得られるものでなければ、見るだけという軽すぎるタスクと、短期的な報酬が得られずに退屈してしまい面倒になってしまうかもしれません。スコアやランキングなどの長期的な報酬のないゲームであれば、何時間も同じゲームを続けたところで、もうあとはずっと同じだなと思ってしまってやめてしまうかもしれません。

 

 ゲームの設計の難しいところは、プレイヤーのスキルや、その伸び方が人によってまちまちであるため、操作が上手くゲームのメカニズムをよく分かっている人に向けた適切なタスクや報酬と、操作が下手でゲームのメカニズムもよく分かってない人に向けた適切なタスクや報酬が全く異なるということでしょう。

 つまり、初心者に向けて作ったゲームは、上級者にとっては簡単すぎて退屈、上級者に向けて作ったゲームは、初心者にとっては難しすぎて楽しくないという状況になります。さらには遊ぶ過程で、プレイヤーの上達によって楽しくなってくることもあれば、逆に慣れ過ぎて楽しさが減ってくることもあります。そのあたりがゲームの難度設計の難しいところだなと思います。

 

 なので、僕が今から書く話も、自分にとって最適化されている話でしかなく、読んだ人が応用するのであれば、自分にとっての「適切」とはどの程度であるかを考えてカスタマイズしていく必要があると思います。

 

 漫画を読んでしまうメカニズムについては、コマを目で追って話の筋を追っていくというタスクの中で、例えばページをめくると想像した以上の驚くようなことが起こるというような短期的な楽しみと、例えば伏線回収のような話を長く追っていくことによって出てくる長期的な楽しみの組み合わせがあると夢中になりやすいと考えています。

 漫画はキャラが重要であると言われる根底には、キャラがそこに存在しているというだけで短期的な報酬を得られるからではないかと思います。キャラに愛着が湧かなくても長期的なストーリーが面白い漫画はありますが、その面白いストーリーを理解できるまでに短期的な報酬がなけえば、それを得られる長さまで読み進められないかもしれません。

 

 インターネットで夢中になりがちなのは、特にSNSのような短い情報が大量に終わりなく流れてくるものだと思います。

 出てきた短い言葉を読む、写真を見る、ショート動画を見るという最小のタスクで短期的な報酬を得られますし、制作者に着目すればその人に対しての文脈を追うという長期的な報酬が得られます。SNSでは特に、これ以上小さくすると報酬自体も減ってしまうぐらいのタスクと報酬のバランスが最適化されたものが提示されており、疲れて何もできなくてもこれだったらできるというものになりがちだと思います。

 疲れ切った人でもSNSはまだ見れたりするのならば、SNSを見るように仕事ができれば、疲れ切った状態でも仕事が進められるという話になります。その背後にあるのはゲーム的なメカニクスであり、強い意志の力などではないと考えることができます。なので自分の精神の状態によらず仕事を進めたいならば、ゲーム的メカニクスを用いて自分をコントロールするという方法が有効だと考えました。

 

 ちなみに、僕がこういうことを考えるようになったのは、とにかく仕事がダルいもののダルいからといって能率が悪いと長期的に自分自身の首を締めることになるという痛い目をみた反省からです。

 また、会社員をしながら漫画家としても仕事をするという普通に考えたらタスクが溢れるような状況で追い詰められないようにするための前向きな解決策として考えるようになりました。兼業で働きたくなんかないよという人もいるでしょうが、僕の場合は、漫画の連載をできるというチャンスを目の前にして、会社員を辞めるというリスクはとれなかったので、リスクとリターンのバランスをとった結果としての兼業です。

 退路があれば思い切ったチャレンジができます。しかし、仕事量が矛盾するので解決する方法が必要であり、そこで出てきたのが量をこなすために仕事をゲーム化するという発想です。なぜなら、これまでも仕事が忙しくても、家に帰ってきてからゲームはできたしSNSも見れていたからです。

 

 なので、ゲームを遊ぶようにSNSを見るように仕事ができれば、僕にとって一番メリットが大きいということになります。僕自身の行動が異常に見えるという反応もよく貰いますが、シャーロックホームズが「不可能を除外して残ったものがどれだけ奇妙に見えても、それが真実」と言ったように、「自分にとっての利益を一番に考えて選んだ方法がどれだけ奇妙に見えても、それが最適」ということです。

 

 とはいえ、会社の仕事も漫画の仕事もゲームではありません。ゲームやSNSや漫画は、夢中にさせたい製作者たちがそのように設計をしてくれますが、仕事の方はそんな人はいないからです。本来は会社がそういう設計をするといいと思いますが、大体の会社ではそんな風になっていないと思います。なので、自分で自分の行動をゲーム化するという発想が必要です。

 

 ここで必要なのは自己分析です。「自分が何を報酬として感じるか?」という部分がキモで、なぜならそれが自分自身に支払う報酬設計の根幹にあるものだからです。

 多くの会社では定期的な評価と、その給与や賞与への反映があり、これは長期的な報酬設計として既に用意されていると言えると思います。しかしながら、長期的な報酬しかない場合、その報酬と今の自分自身の行動の繋がりが見えにくくモチベーションに繋がりにくいという課題があります。例えばゲームで言うなら、ボタンを押してから半年後にやっと操作が画面に反映されるゲームを遊べるでしょうか?ふつうは遊べませんよね。なので即時に得られる短期的が仕事を自発的に進めていくには必要だと考えています。しかしながら、会社から即時に報酬を得られることは少ないと思います。

 

 余談ですが、僕は管理職なので、この意味で、課のメンバーから上がってきたものに即時に返答をするということが大事だと感じています。それはメンバーに対する行動に対する報酬になるからです。しかしながら、大量の仕事が同時進行している中でそれぞれに対して即時に適切な返答をするということも難しく、会社の仕事というゲームを上手く運営する上での改善が必要な部分だなと感じています。

 僕自身の性質としても、「行動に対して他者からのリアクションが得られる」という部分は大きなところで、それがない中で頑張るのはとても難しいでしょう。しかしながら、他者の行動をコントロールすることは難しいので、僕が主に頼りにしているのは「数字が変動すると楽しい」という僕自身の性質の方になります。

 そのため、自分の仕事の成果を数字で管理することにしました。やるべきことを数字に置き換えて(自動的に判断できる対応表を作っています)、それを一日の目標に対して達成したことを持って仕事を終了します。問題は、やっている途中で増える仕事(やりなおしや突発的な頼まれごと)を計画に織り込んでいく部分ですが、ここでは今も苦しんでいます。

 

 他には、職場の人間関係も短期的な報酬設計には大きく影響すると思っていて、何かをして他人に喜ばれるとかの感謝があれば、やってよかったなという報酬になりますし、何をやっても文句しか言われないなら行動をすることそのものが億劫になってくる傾向があると思います。相談をしたらちゃんと助かる回答や対応が返ってくることなどの、人間と人間の間で起こる嬉しいことが短期的報酬にはなり得ると思っていて、それを考えています。

 しかしながらここで難しいのは、他人からリアクションが返ってくることを疎ましく感じる人だっているということです。なので一律こうすればいいという正解はなく、組織を活発化させるのは難しいですね。

 

 また、仕事が上手く進められないときには、目の前の仕事が自分にとって大きすぎるという場合があります。最初に提示したように、目の前のタスクが適切な大きさになっていないということです。

 例えば、「何かを調べなければ進め方が分からないのに、どう調べたらいいのかも分からない」というような状況がかなりマズく、調べないと進められないのに、調べるのが億劫という状況から、やらないといけないことは分かっているのに後回しにしてしまうことが起こりがちです。

 こういうときは、まずは「調べる」というだけのタスクを立てることにしています。結局やることは同じじゃん、と言われたら実際そうなのですが、どこに区切りをつけてどの時点で一つ仕事を終わらせたと思うかの認識が短期的な報酬として重要です。例えば資料を作るときにも、調べる、構成を考える、1章ずつ完成させるなどに細かく区切って達成度をカウントしていった方が、大きなタスクを前に、この大きさをやるにはまとまった時間が必要だと後回しにしてしまうことを避ける意味で重要です。

 また、タスクを分解するところも結構大変で、最初は嫌々ながらやっていて、そこに自分の脳内で報酬も出ませんでした。ただし、その嫌々取り組む中で一回考え方を整理できれば、あとは機械的に適用するだけになったのでタスク分解の労力は小さくなり、ちょっとやるだけですぐに達成感を得られるタスクに変化しました。こういうことを繰り返して、だんだんと仕事を楽にできるようにしています。

 

 このように、僕は自分の会社での仕事がゲームとして回りやすいように色々調整しています。それらの中には、「ありがとうやごめんなさいをちゃんと言う」とか「人と約束したことは守る」とか「あいさつをする」とか「助けを求められたら応じる」とか、結構そういうなんか道徳的な話に置き換えられることも多いのが面白いと感じています。

 ただし、僕自身にはそういった道徳心を重要視する性質はあまりないので、自分にとってゲームとして面白くなるようにした結果が、周囲から見た道徳的に正しい行動に重なっているという認識をしています。

 

 会社の仕事の具体的な内容についてはぼんやりとしたこと以外を書くわけにはいかないので、漫画の仕事の話に変えます。

 

 漫画の仕事の効率化については、これまで受けたインタビューでも話しているのですが、作画コマ数でのカウントをベースとした作業進捗状況の可視化が基本です。

 進んでいるか遅れているかを認識することが一番重要で、裏返すと最悪なのは、既に手遅れになっている状況で過大なタスクが手元に残っている状況です。その場合、無理をして辻褄合わせをする必要があり、徹夜をしなければならなかったりいます。僕は兼業漫画家になってからは、徹夜をしたことは一度もありません(でも、締め切りに多少遅れたことはあります…)。

 早めの段階で進捗遅れが分かっていれば手を打ちやすいです。例えば作業時間が20時間分遅れていて締め切りまで20日あれば、毎日1時間作業を増やせばいいですが、締め切りの日に発覚すると対処が大変です。別に特別なことを言っているわけではなく、基本的なことですよね。でも、基本的なことをちゃんとやることが一番大事という話なので、一番大事であるという話としてしておきます。

 

 目標に向かって順調にタスクを終わらせていくということが数字でカウントできることによって、達成感と安心感を得ていくことができます。コマ単位で計算するのは、ページ単位だと作業量が多いからです。コマ単位なら数十分程度で得られる達成感報酬を、ページ単位だと数時間に1回程度しか得られないので、相対的に報酬が少なくなります。作業を続けても進んでいる実感がなければ不毛に感じてやめたくなりますし、ちょっとずつ進んでいる実感を得るための仕組みがコマ単位の進捗管理ということで、僕の中では落ち着きました。

 

 他にやっていることとしては、作画が面倒なコマの作業分割です。面倒なコマというのはとても億劫で、始めたら長時間作業をしないと達成感が得られないので手を付けにくく、やらないとなと思いながら後回しにしてしまいがちです。なので、コマを完成させなくてもいいからたまに作業を段階的に進めておき、最終的にあと一息で描けそうなコマに仕立てることで仕上げていきます。

 本当にやる気がないときでも3Dモデルの人形の配置やポーズ設定ぐらいはできるので、絵を描く気分ではないが、それだけまずやっておいたりすると、次にそのコマを見たときに何を描こうとしているかが既に分かっているので描きやすいです。

 

 僕の作業の進め方として、電車の中で立って絵を描いているというところが取りざたされがちですが、これもこの考え方に寄っていて、つまり、そのコマに既に何かが描いてあるということが、その後の作業を格段に楽にさせるという効果があるということです。なので、電車の中で上手く線が引けなくてもいいんです。デジタルなら無限にやり直せますし、電車の中で描いた線が雑過ぎても、それを下敷きにしてペン入れをし直せば、白紙の状態からやるよりも格段に楽なコマになります。

 コマごとの作画コストを例えば、1~10に分類できたとして、一息で描けるコストの低いコマと比較して、面倒だから後に回したいコストの高いコマを、最初は10でも、ちょっとずつ描くコストを減らすように9、8、7と減らしていけばいずれ手を付けやすくなります。

 

 ここで気になる点があるとすると、「結局コストの高いコマに手をつけているじゃないか」というものでしょう。めんどうなものになぜ手をつけられるかというと、中途半端で放り出すことを自分に許容しているからです。

 このコマを仕上げる元気はないけど、5分だけこのコマをやってみるか。5分やったら中途半端でも終わる。みたいにすると5分しか作業をしなくても、自分との約束を守ったことになるので報酬を得ることができます。こういうことを繰り返して、面倒なコマに何回かチャレンジを繰り返すことで少しずつ終わりに近づくことができるようになります。

 

 この辺の進め方について、デジタルで描いているということはとてもアドバンテージがあります。なぜならボタンひとつでいくらでもすぐにやり直せますし、描き直すたびに紙が傷んでいくこともありません。上手く描けるかどうかで思い悩んでいる時間で、まず描いてみればいいですし、それによってチャレンジ回数を増やすことができます。

 僕は「線ガチャ」と呼んでいるのですが、何かの線を一回描いてみて、気に入らないとアンドゥして描き直します。そうやってたまたま上手く引けた線を採用することで絵を作っていきます。歌の録音で上手く歌えた部分をつなぎ合わせていくように線も一発ではなく、たまたま上手く引けた線の集合で描いていきます。また、顔の絵のバランスは、パーツのわずかな大きさや位置や角度で全然印象が変わってしまうため、違うなと思ったら描き直す必要があります。アナログなら消して描き直すはめになりますが、デジタルなら投げ縄ツールで修正したい顔のパーツを福笑いのように移動させて最適な配置に調整し、それを下描きにすることで次は理想的なバランスの絵を描くことができるようになります。

 

 デジタルは絵が上手くない人間にとっての福音です。一回で絵をキメるのは素晴らしい技術ですが、それができない凡才でも何度もやり直して編集をすることによって理想に近い絵に近づけることができるようになります。

 眼高手低という言葉があります。それは、絵を見る目が肥えてしまい、自分が描く絵の粗ばかりが見えてしまう状態のことですが、ここで重要なのは「粗を見抜く眼の高さは持っている」ということでしょう。であるならば、低い手が描いたものがどのようであれば眼に適うようになるかが分かるということです。であれば、やり直しと編集を続ければ眼の力に見合う絵が作れるはずです。デジタルならばそれができます。眼高手低になっているのであれば、それをデジタルが力にしてくれます。

 

 他には例えば身長が異なる沢山の人が、同じ空間に沢山いる絵を描くとき、三次元的に正しく描くのが面倒です。手描きでパースの補助線をたくさん描くこともできますが、3Dモデルの人形を配置してアタリにすれば、その作業が不要となり、作業工数を大きく削減することができます。自分で描くよりも3Dモデルを買った方が早ければ即それをしますし、どこに行ってもいつか背景に使えそうと思ったら写真をとっておくことで、取材に行く時間を減らしたりもします。そのように考えられる手段を色々使いまくることで、1つのコマを完成させるために必要な手間を省いていくことが作画の速さと、気力の消費コストを抑えるために重要です。

 

 こういうことを沢山やることによってそこそこ忙しい会社員として働きながら、連載を2本やれるという計算になりました。これは経験から作業工数の見積もりが実績ベースでできるようになったので、自分の想定空き時間の中に突っ込んでも大丈夫だという判断ができたということです。無理をしているわけではなく、計算上できると分かったからやることにしました。ただし、楽にできるわけはなく立てた計画通りにフル稼働すればできるという話でもありますが。

 

 さて、話がゲーム化から少しずれたように思うので戻しますが、このように作業を細切れに分割することでゲームがしてくれるように適切な大きさの作業が常に目の前にあるようにして進めており、例えば2分あればできる作業や、5分あればできる作業があれば、日々の生活の中で2分や5分の空き時間があればそれをすることができます。

 つまり、スマホを見て潰すような時間に、作業を入れることができるようになります。その集積がコマ数進捗の短期報酬に繋がりますし、漫画の完成の中期報酬や、その後の単行本化での長期報酬の達成感に繋がることで、漫画を描くということをゲームとして面白いものに感じることができています。

 

 僕は作画作業をしているときはツイートも増えるのですが、その理由は作業もツイートも同じぐらいの粒度のタスクなので、混ざって実行しちゃうんですよね。そうやって複数のことを短時間で切り替えてやっていると、脳みそが異なる種類の短期報酬のあるものを消化するのに夢中になって作業がぐんぐん進んでいきます。

 

 別のやり方としては作業通話もあって、これは絵を描きながらでも人と話ができるというよりは、話をしてそっちに意識を持っていくことで手元の単純作業に飽きないようにするという効果があると感じています。前述のように、目の前のタスクは重すぎても軽すぎても作業を進めることには負荷となってしまいます。軽すぎると頭が暇すぎるので、もっと適度に負荷のあるタスクをしたくなってくるのですが、そこに会話を入れるkとおでちょうどいい感じにすることができます。

 これは例えば、あんまりおもしろくない動画でも、ニコニコ動画のように文字をかぶして流すと結構見れてしまうことに似ていて、動画そのものは退屈ですが、文字を追うという負荷がかかることによって自分にとってちょうどよくなります。他にはゆったりとした曲をアップテンポにするといい曲だと人が感じる場合があると思っていて、それもそれによってよって単位時間当たりの情報処理量が増えるために退屈をしなくなるのではないかと感じています。

 

 目の前のタスクをちょうどよくするというのはゲームのメカニクスですが、でも現実は自動的に上手くタスク分割をして渡してはくれないため、重いタスクは適度に砕いて、軽すぎるタスクは別の負荷をかけることでちょうどよいタスクに変換していくというテクニックがあります。ここでも情報の処理の適切な量は人によって異なるので、適切な量は各人が探って見つけるしかないように思います。

 

 さて、長々と書いてきましたがまとめます。

 ゲームやネットはできるけど仕事はしたくならない人が、でも実はもっと様々な作業をしたいと思ったときには、まずゲームやネットができるということは「できていること」であって素晴らしいことだという認識を持つことが大切です。

 スマホゲームのデイリー消化を毎日できるのも、布団の中でSNSを延々見ているのも才能です。なぜならできていることだからです。

 であれば、何かをしたいときにはその才能を上手く使っていくということが重要でしょう。そのための方法は、目の前のタスク量を自分の状態に合わせて適切に設定すること、行動をするごとに短期的に感じられる嬉しい報酬を設定すること、そして、それを積み上げた結果の長期的な達成感を得られる報酬を設定することです。

 

 ゲームやサービスの設計者がそれをしてくれないのであれば、自分でそれをするしかありません。いや、もしくはそういう管理が上手い人に頼むという手もあります。会社でも作業進捗の管理をしてくれる人と、作業者は別の人だったりもしますよね。

 

 「仕事というのは苦しいことに根性で耐えることだ」という認識が僕は間違っていると感じていて、なぜなら僕にはそんな精神力がないからです。そうであったならろくにできません。嫌なこと面倒なこと苦しいことからはできれば逃げ出したいですが、でも、悲しいことに逃げ出した先に自分の生活を支えてくれる人はいませんし、結局仕事はしなければなりません。あと会社の仕事をしながら漫画も描きたいという自分の欲望にも応えてあげたいです。

 となれば、ともすれば苦しくなりそうなことを、それが気力がなくても夢中になって続けられるものにするための工夫をするのが自分にとって一番得なことになりますね。なので、それをやるのがいいなと思って考えて続けています。

 

 人間的特性は人によって異なるので、僕のやり方が他の人にも有効かどうかは分かりません。ただ、僕は周りの人から見ると異常な行動をしているように見えても、そこに日々喜びを見出しながらやれているんですよね。まだ上手く制御できていないのは、仕事上の対人関係の問題や大きな計画変更の巻き込まれたときのやり直し対応です。

 それらもこの先どうにかして苦痛を感じずに進められる方法を模索しているので、そのうち解決できればより楽になれるなと思っています。