漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

「HUNTER×HUNTER」の38巻を読んだので思ったことを箇条書き

  • 表紙がゴンだが、ゴンが本編にまた出てくるのはいつになるんだろう。レオリオやクラピカも長いこと出てこなかったしな。バキを連載している頃、刃牙は長いこと扉絵にしか出てこなかった時期があった。
  • 冨樫先生の絵ってめちゃくちゃいい、めちゃくちゃ好き
  • 冨樫先生の絵のすごいところはキャラクターを構成する文法が写実の寄せたものから強くデフォルメされたものまで混在していて、それでいて画面上に違和感なく同居しているところ
  • キャラの絵のリアリティラインが演出によっては変化するのも好き
  • 手を武器に変える念能力、粗雑に生み出される念能力者としての考えの無さ(貴重な能力をひどく単純なものに使う)であるものの、本人の特性とは合致しており、なおかつヒンリギの裏をかくことに一度成功する演出が沢山の効果がかかっている。
  • 殺したはずの男が普通に生きている違和感と、その理由が死後強まる念であること、それがマフィアにとってとても都合がよくシステムとして存在していることの面白さ
  • リンチ・フルボッコっていい名前だなあ。
  • ノブナガの絵がめっちゃカッコいい。日本刀を持っているキャラっていいな。バクマン。でも人気漫画の共通要素と描いてあった。
  • 人の死に対して、大した感情がないエイ=イ一家は幻影旅団に重ねられている気がする。
  • 念能力を手軽に与えられる状況になったらどうなるかという異様な雰囲気。状況としてはクラピカが王子の護衛たちにしていることもここに重なる。
  • ヒソカと言葉で交渉に成功することでヒンリギの格が上がっていく。
  • 怪異としての念能力。
  • 船のどこかにいる敵の捜索という安全な遠回りと、リスクを引き受けて一手で到達できる近道の2択。
  • ツェリードニヒは、最悪の倫理観と所業を除けば、主人公に与えられるようなギフトが与えられている。天才的な成長性、王家の血筋、自分を特別なものとして見てくれる仲間たち。最悪の人間が最高の環境にいたときに、とんでもなくヤバくなると思うがどうなのか?
  • ツェリードニヒのご学友に対して、沢山のキャラクターが初登場するのに、短いページのやり取りだけでそれぞれのキャラの立ち位置が一気に分かり、そして好感を抱いてしまう作劇の上手さがすごい。あえて不均等な立場になるものがいることで、学生時代には同じ場所に平等にいたことが浮き上がってくる。それぞれの考えることが、会話でぶつかる部分で見えてくる。情報の詰め込み方と渡し方がすごすぎる。
  • エイ=イ一家に見る昔の幻影旅団への重ね合わせからの過去編。
  • 冨樫義博漫画でガッツリとした過去編があるのって初めてじゃない?
  • 過去エピソードが描かれることはあっても、何話にわたって過去編として描かれたのはこれまでおぼえがない。でもクラピカの過去があるか。クラピカと幻影旅団は天秤の両側にあるので、これでバランスがとれる。
  • 昔描かれたビデオテープがここで意味があるものとして描かれることの驚き。
  • のちの幻影旅団になる子供たちのこの時点のグループ分け(クロロとフランクリンとシャルナーク、ウボォーギンとマチ、フィンクスとフェイタン)の面白さ。ノブナガがいない?と思ったが、その後、普通にいた。パクノダは教会にいた。
  • クロロの頭の良さ、真面目さ、可愛さ、それがパクノダとのやり取りで表現される。
  • シーラとサラサ、クラピカの過去編に出てきたシーラと、今までどこにも出てこなかったサラサ。サラサの存在は登場時点で不穏。今いないのは何故と思わせるから。
  • サラサの魅力が描かれる。不和のある流星街の子供達の、不和を解消してくれる積極性と善良さ、良い子であることが描かれることで、さらに不安が煽られる。
  • 娯楽のない流星街の子供達に向けた、拾ったビデオテープの特撮番組の吹き替えアフレコ。クロロの見せる多面性と、トラブルの中で見える才覚、善良な存在も悪辣な存在も演じ分ける力。その眩しい光景に不和のある流星街の子供達の間が解消され、その最後の人押しはサラサ。クロロたちのやってきた吹き替えと称して、最後の一歩が踏み出せないウボォーの心を代弁することで、全てが解消されていく。幸福な一時。
  • その光景が幸福であればあるほど、彼らの行く末を考えて不安が大きくなり、そして弾ける。
  • 少年誌ではギリギリの惨事を、最小限の表現で描き切る。あまりに悲しい。
  • マチのエンバーミングへの視線が、ヒソカがクロロに負けて一度死んだときに重なる。
  • 頭が良くて真面目で一生懸命な子が、真面目に一生懸命に悪党になるならば、それは生まれながらの悪党よりもきっとヤバいだろう。復讐がサラサに望まれていないことも理解した上でそれでもクロロは復讐を選ぶ。それは仕組みを作って維持する話だから。
  • 幻影旅団は仕組みであって、自分がいるのは必須ではないとクロロは説くし、クロロ自身は本当にそう思っていて、その気持ちを尊重しようとしているメンバーも多いが、その下にはちゃんと人と人の繋がりがあってそれがヨークシンでの物語の核にある。
  • クロロは仕組みの一部として自分のことを軽く扱おうとするが、ウボォーギンの鎮魂のために暴れ、シャルナークとコルトピの死には耐えられなかった。結局なりきれてはいない。
  • パクノダの制約を見た瞬間、こみ上がるものがある。一番大事な人に触れないということと引き換えに存在する能力。それは惨事の現場に残された言葉を、誰にも言わないことを抱え込んだクロロの心を、自分の能力では決して読み取らないという気持ちとも重なる。パクノダのクロロに対する気持ちの大きさが感じられる。
  • それはその後、クラピカの能力によって、触ることはおろかクロロと話すことすら奪われてしまったこととも繋がっていく。旅団から切り離されたクロロをまた旅団に戻すことができるのは、パクノダの命をかけたメモリーボムだった。
  • 幻影旅団は、仲間を殺されたことで結成された復讐のための集団。それは仲間を幻影旅団に殺されたクラピカと同じ境遇。クラピカの仲間のクルタ族は幻影旅団に殺されたと伝わっているが、ここで結成された幻影旅団とは価値観が違う気がする。しかし、残されたのは流星街の言葉。
  • クラピカを外の世界にいざなったのは、同じ流星街にいたシーラ。彼女が訪れて消えたことと、幻影旅団の襲撃は関係しているはず。真相は何なのか。
  • クロロの盗賊の極意(スキルハンター)は、能力を盗むものとして描かれているものの、盗むための制約である「対象の念能力を見て」「相手に質問をして答えてもらい」「具現化した本の表紙と手を合わせる」「これらを1時間以内に行う」という手続きは、「相手と仲間になる」というものとしても解釈できる。能力者が死ぬと能力が消失することも、能力を維持するためには相手との関係性を維持するという意味と捉えることもでき、奪うというよりは関係を構築することに意味としても読み取れる。
  • 指名よりも仲間を優先したのは、クラピカでパクノダ。
  • 仲間の復讐のために、犯罪者のネットワークと繋がることを目的としたのはクラピカでクロロ。
  • クラピカと幻影旅団の対比が様々な側面から行われる。
  • 倫理観のない最悪の盗賊だと思われていた幻影旅団が、そう振る舞うことを決めた劇団から始まったことが明らかになった今、倫理観なし担当のツェリードニヒには何があるのか?ツェリードニヒにも仲間がいることは分かっている。
  • ヒンリギを認めていくノブナガの描かれ方がいい。かつてゴンを気に入ったときに重なる。だとすれば、その後ろにウボォーを見ている。損得のかけひきではなく、行動で語る存在。その人間性
  • 死んだカチョウの姿になった念獣って、かなりフランクにコミュニケーションできるんだ。
  • 能力名の2人セゾン(キミガイナイ)は、両方とも欅坂46の歌で、キミガイナイの歌詞の「本当の孤独は誰もいないことじゃなく、誰かがいるはずなのに一人にされているこの状況」というのがフウゲツの今を指している。
  • 本当の孤独に陥ったフウゲツがとても心配。
  • 理で動くカイザルが、行動原理を情と表現する面白さ、センリツは信じないが、本当じゃないかと思わせる。
  • センリツは、今は普通に可愛い存在としていて見ている。死なないでほしい。
  • 今やってる話は、同じ構造のものを幾重にも重ねることで、同じ構造なのに違う部分が浮かび上がってくるような作劇をやっているように思う。何重にも掛詞がかかった文章を読んでいるようで、情報量が多くてめちゃくちゃ滋養がある。情報があり過ぎる。1巻に収まるような量じゃない。
  • クラピカにも幻影旅団にも幸福な結末が今のところ見えていない。苦しみの想像ばかりをしてしまうが、悲しいことが起こった人がただ不幸な結末になるのは悲しすぎるので、僕が思いもよらないような話になるのではないか?なってほしい、という方向に期待が強くある。

黄金郷のマハトの話がすごく良いと感じる関連

 「葬送のフリーレン」のエピソードの中でもかなり好きなのが黄金郷のマハトのエピソードです。

 

 葬送のフリーレンにおける魔族は、人間とは根本的に異なる存在として描かれており、その行動に人間と同じような感情のようなものを人が見出したとしても、それはそのように見えるように振舞っているだけであり、その奥に人間と同じような感情はありません。哺乳類のクジラが、海に生きる収斂進化のために、どれだけ魚類に似た特徴を持っていたとしても、あくまで哺乳類であって魚類ではないのと同じです。

 ただ、人間は人間でないものにも人間を見出してしまうものだと思います。なので、人間ではない魔族を、人間と同じように共感しようとしてしまうことによって失敗もしてしまいます。

 

 さて、黄金郷のマハトは人間に興味を持ち、人間と共存してみようとした魔族です。ただし、それは親人類的な温厚な魔族であったわけではなく、共存してみようとするまでは何の感情もなく魔族として人を殺し続けてきましたし、その中にはとても残酷なやり方もありました。マハトは人類からしてみれば決して許せない存在です。

 

 しかし、たくさんの人を殺す中で人間の感情に興味を持ったマハトは、利害関係の一致した人間、グリュックの手引きで人間社会の中に入っていきます。共存のために人を殺すことをやめ、その姿はまるで感情を持った人間のように見えることもあります。

 

 魔族であるマハトには支配の石環という道具がつけられることになります。それによって、マハトがもし人間に対して悪意や罪悪感を抱いてしまうと、それが発動して死に至るようになります。それは危険な魔族を人間の中に置くという安全装置となります。

 この道具の登場が、このエピソードのとてもすごい部分だと思っています。例えば、そこでどのような展開があり得るかを考えれば、マハトが人間のような感情を抱くことで死に、魔族にも人間のような感情を感じることができたということをドラマチックに描くことだってできると思います。しかしながら、この物語ではそれは起こりません。支配の石環は最後までマハトを殺さないままです。

 マハトはその後、再びたくさんの人を殺しますが、支配の石環は作動しません。そこに悪意や罪悪感はないからです。マハトは魔族であるからです。

 

 支配の石環の存在はつまり、このエピソードで起こったあらゆる出来事のどれひとつとして、マハトに人間のような感情があったから起きたわけではなく、それは最後までなかったのだということを明示してくれます。もしかしたら、あの時の行動はマハトの中に人間のような感情を生んでいたのではないか?という読者側の推測を一切否定するものです。読者はそれを考えてしまうものだと思います。なぜならば人間だからです。

 

 僕がこのエピソードで良かったと感じたところは、このマハトには最後まで人間の感情を理解することも共感することもなかったということで、その上でマハトは本当に、人間と共存しようとしていたことも描かれたことでしょう。

 マハトは自分にとって大切なはずのものを傷つければ、自分にも感情を理解できるのかと考え、一番近くで共存していた人間、グリュックを黄金に変えます。しかしマハトは結局何も感じませんでした。ただ、グリュックはマハトを共感はせずとも理解していました。マハトのその選択を、マハトならそうするものだと受け入れる様子を見せます。

 

 マハトはその大きな力を使って、感情を知るために長い時間をかけて多くのことをします。人を殺し、人と共存し、人を殺しました。感情を知るためなら死んでもいいと思っていました。しかし、結局マハトは感情を知ることはできませんでした。

 

 ただ、同じ感情を知り、共感できるから共存できるのではなく、そんなものはなかったとしても、それぞれの利害がたまたま噛み合ったというだけでも、自分とは異なるものがそこにいることを理解するだけでも、共感できない者同士が、互いに殺しあう以外の結末だってあったということがここでは描かれます。

 マハトとグリュックの間にあったものは友情と言っていいと思います。そこに感情の共感がなかったとしても。

 

 僕はこれは希望的な話だと思うんですよね。そもそも同じ人間だからといって、他人の感情が理解できているでしょうか?僕には他人を理解できている自信はありません。共感できない相手は沢山いると思います。それでもそんな人間が集まって社会をやっています。

 そのとき、共感ができない相手だからと争うしかないことが良いことでしょうか?そんなことをしていれば、世界はどんどん小さくなっていくと思います。最後まで相手に共感できなかったとしても、どんな人間であるかは理解はできますし、それができれば共存もできるかもしれません。

 

 世の中はそうあってくれた方がいいと思うので、だからとても良い話だなと思いました。

「KING OF PRISM -Dramatic Prism.1-」を観に行こう

 この文章は、まだKING OF PRISMシリーズを観たことがない人に観てもらいたいという気持ちから書かれています。

 

 現在映画館で公開中のKING OF PRISM -Dramatic Prism.1-という映画があり、これをより多くの人に観てほしいと僕は考えています。なぜならば、興行収入が良ければさらに新作が作られるかもしれないからです。個人的な欲です。

 

 KING OF PRISMは、プリティーリズムレインボーライブのスピンオフです。プリティーリズムには、プリズムショーというフィギュアスケートとアイドルのライブを合体させたショーが存在し、そこではジャンプをきっかけに様々な固有の現象が発生したりします。

 

 レインボーライブは主に女の子たちを巡る物語でしたが、KING OF PRISMはキングの名の通り、男の子たちを巡る物語です。レインボーライブの最後で男の子たちがアイドルグループを結成し、そこに新しく登場した主人公、一条シンくんを迎えて、お話は展開していきます。

 

 KING OF PRISMは映画館で客席から観客がスクリーンの中の登場人物たちを応援する応援上映が有名になりましたが、それ以前に、単体でとても面白い映画です。何が面白いかというと、演出面でブレーキを踏まない態度が素晴らしく、新作を観る前には、今度はどんなとんでもないものを見せてくれるのか??という期待でワクワクしてしまいます。

 

 ちなみに僕が一番衝撃を受けたのは、劇場版2作目の「KING OF PRISM -PRIDE the HERO-」なのですが、本作は大きな挫折を経験した速水ヒロが、完全無欠なプリズムショーを行い、自分に好意的な者、敵意を向ける者、万人をひれ伏させ、女神の寵愛を受けて完全無欠の王として戴冠するという物語です。これは本当にその通りの話なので正しい解説です。

 この完全無欠なプリズムショーの演出が本当にすごいんです。圧倒的な無敵感という表現をここまでやるかという演出と、その積み重ねによって自分の許容範囲を超えて感情が噴き出してしまい、笑いだしてしまいました。この人間は王になるべくして王となったと信じさせてくれる圧倒的な陽のエネルギーがそこにあり、観終わったあと自分も何かをしなくてはならないというようなそわそわした気持ちになりました。

 マジで元気になりますし、応援上映によってその気持ちを表現したくなるのも分かります。

 

 さて、現在公開中のDramatic Prism.1はShiny Seven Stars(以下SSS)というシリーズの総集編的な映画です。物語的な先が描かれるわけではありませんが、映像もブラッシュアップされており、いくつかの新規3Dライブ化されたショーも追加されています。ただ、基本的には観たことがある内容です。じゃあそんな総集編が面白いのか?と聞かれると、なんかめちゃくちゃ面白かったんですよね。

 

 ちなみに、総集編映画が作られるのは2回目でもあり、ライブを集めたベストテン形式の総集編も既にありました。今回の映画が異なるのは、SSSで行われたPrism.1という大会がテレビ放映されていたという観点から、そのテレビ番組での中継を見るという形式で再構成されています。なので、それぞれのショーの裏側にあったプリズムスタァたちの葛藤や昇華はテレビに映った部分しか確認することができません。

 つまり、ブラッシュアップされたプリズムショーの部分を主人公側とライバル側で交互に流し、間にCMや解説を重ねることで一つの生中継番組を作っています。途中でトラブルで何度かの中断もありますが、視聴者にはその理由は分かりません。そこは放送されないからです。何かが起こったんだということだけが分かりますが、生放送にはトラブルがつきものです。結果として、ショーが高密度で繰り広げられるとても満足感の高い番組を一本観ることができます。

 

 この映画一本では色んな謎が残るのですが、あらためて元になったSSSの物語ってすごくいいんですよね。舞台の上に立つ人と、それを観る人たちの関係性に踏み込み、なぜ我々は舞台の上の人たちを観るのか?これがアニメであるがゆえに登場人物たちの言葉は、登場人物の内心において演技でなく本気の真剣で、こちらに語りかけてくれます。それによってこの人たちをずっと追いかけていきたい、追いかけているときの自分でいたいという気持ちになってきます。

 

 SSSを既に視聴済みの人からすれば何が起こったかは既に分かっているのですが、Dramatic Prism.1を最初観る映画にしてみるのでもいいのではないかと思います。その場合、過去作のSSSはこの番組の裏側で起こったことを追ったドキュメンタリーとして作用します。ステージ上で渾身のショーを見せてくれたプリズムスタァたちが、どんな背景で、気持ちでどんな気持ちで舞台に立っていたのかを、後から確認するように観ることができるようになります。

 これはもしかすると映画の「カメラを止めるな」のような体験かもしれません。カメラを止めるなは、前半に見せられる生放送ドラマ番組に、様々な違和感を感じつつも、後半でその裏側で何が起こっていたのかを観ることができる映画です。奇妙に思えたものも実はこういう理由があったと謎が解かれていく過程が面白く感じました。

 

 もしまだKING OF PRISMを観たことがない人がこれを読んでいたら、まずは今劇場で見れるDramatic Prism.1を観てみませんか?様々な謎が残るかもしれませんが、それはSSSを観ることで氷解する、唯一無二の体験になるかもしれません。

 

 CMに何度も登場する3人組のプリズムスタァ、オーバーザレインボーも、初見ではこの人たちが何なのかは分からないかもしれませんが、彼らにも色々あったということが「プリティーリズムレインボーライブ」「KING OF PRISM by PrettyRhythm」「KING OF PRISM PRIDE the HERO」を観れば分かってきます。順番に観てもいいですし、彼らに興味を持ってからさかのぼってもいいです。CMの歌を歌っている法月仁ってどんな人?と思ってさかのぼってもいいでしょう。

 

 とにかく今やっているこのタイミングで、まだ観たことがない人に観てほしいんですよね。それは僕の欲の話であって、映画が終わったあとに流れた謎の予告の内容を、本当に観たいわけです。プリズムスタァのセプテントリオンの7人の新しい物語を、彼らの新しいプリズムショーを観たいんですよね。

 そのためには、内輪の人間で盛り上がっているだけではなく、新しい人にどんどん入って来てほしくて、なので、一回観てみませんか??という未見の人に向かう欲望があり、今その話をしています。

 

 僕は映画を観てめちゃくちゃ面白いと感じました。みんなも一度観てみよう。

このブログの定期更新を終了します

 そもそもこのブログは、10年ぐらい前にやってたブログ「漫画共和国」に、アクセスが集まってたくさんコメントがつくのが嫌になって、もっと落ち着いて文章を書ける場所を、と思って引っ越してきました。

 でも、最近はこっちでも書いたことへの反応に対して同じような気持ちになることが多いので、また引っ越して別の場所を作ろうと思います。人の反応があることが心底嫌になってきているので、引越し先はTwitterとかでも言いません。どこかでほそぼそと書き続けます。

 

 文章を定期的に書くのは、自分の考えを整理するために有用なので、今後も続けたいと思っています。これまで10年ぐらいやってきている毎月5本のまとまった文章を書くという自分のノルマは続けようと思います。別の場所で。ここは、漫画や映画の感想など、できれば広く人に見てもらった方がいいようなことを書きたくなったときのみの不定期更新にしようと思います。

 ここで色々まとまった文章を書いていたことについては、僕自身が人生の中で困った中で模索していることが誰か他の人の役に立つこともあるだろうと思っていましたが、それ以上に、嫌なことの方が多いので、もう人の目に触れるところで書こうというモチベーションがゼロになってしまいました。

 

 なんで嫌になったかというと、色々なことの積み重ねではありますが、直近ではインタビューを受けた記事に対する、はてなブックマークでの「こいつは早死にする」「こいつの体型からして成人病に違いない」みたいなコメントが複数ついたことで、そのコメントに対する同意を示すスターも複数ついていたのを見て、ああ、もし自分が何らかの理由で死んだりしたら、この人たちは「ほら見たことか」と喜ぶのだろうなと思って、最悪の気分になったからです。

 それプラス、それに対する愚痴を言ったら、それも知らない人にも知っている人にも上手く理解して貰えなかったのが、別に自分の傷つきには人は寄り添ってなどくれないんだなと思ったので、口にすること自体が損だなと思った感じです。

 

 はてなブログは割と気に入って使っていたものの、はてなブックマークがついたという通知がくるという最悪の機能がついています。はてなブックマークは最低のコメントがつく最低のサービスだと思いますが、目にしなければまだいいのですが、それを通知で目にして最悪の気分になったりするのが嫌だなと思うので、もう積極的に使いたいブログではなくなりました。

 

 更新は不定期になると思いますが、たまにはここに何かの感想などは書くとは思います。ただ、自分にとって大事だなと思った経験や、そこからの思索については、もう他人の反応があること自体に嫌悪感が強いので人に見てもらいたい感じはしません。

 色々感じたこと考えたことについては漫画などで間接的に表現はしようと思うので、漫画とかを読んでくれたら嬉しいです。それでは。

漫画のコマの構図とキュビズム、そして4次元漫画関連

 漫画を描いていると思うのは、人と人が正面を向き合って言葉を交わしている状態で、両方の顔を描く構図はほとんどないということです。重要な会話を描いているのだから、言った側と言われた側の表情を1コマで両方描けると便利だなと思うのですが、どちらかの顔を正面から描くと、向かい合う人は画面の奥側を見ることになるので顔が描けません。

 

 そのため、横から向かい合う絵を描くことになりますが、横顔の場合、正面顔のように読者と目が合わないという欠点もあったりして、結局2コマに分割して描いたりするのですが、リアクションがコマをまたぐ分1テンポ遅れるので、同時にやりたいときもあるんだよなと思います。

 

 そういうことを思っていて、少し前のアフタヌーンに掲載されていた「メダリスト」を読むと、暗い部屋のガラスに室内が鏡のように映り込むという構図によって、向かい合う人たちの顔を1コマで描いていて、問題を解決する構図だ!!と思ってすごく良かったです。工夫次第で描き方はまだ色々あるんじゃないかと思うので、個人的に模索してみようと思っています。

 

 そういう観点で言うと、ニャロメロンさんがよく使う、向こうを向いている人の顔のパーツが顔から少し浮いて見えるようになっているという絵の効果について、これもすごい発明だなと思っています。これはめちゃくちゃ異常な状態なのですが(人の顔のパーツは人の顔から離れて空中に浮かぶことはないからです)、しかし、これによって向こうを向いている人の表情が分かるようになります。

 

 ニャロメロンさんは4コマ漫画を多く描いているので、コマ数を増やすことが難しい制約の中で漫画を描いてきた経験が豊富だと思います。その際に、漫画としてインパクトのあることが起こり、演出上それを見た人のリアクションの顔もあった方が良いが、普通にやると1コマに収めることはできず、リアクションのために1コマ増やすことも4コマの密度を下げてしまう、みたいな制約があると思うのですが、そこを「顔のパーツを空中に浮かせる」というやり方をするだけですべて解決できています。

 これは、任天堂宮本茂氏の言うところのアイデア(複数の問題を同時に解決するもの)でしょう。

 

 問題があって、それを上手く解決できるのであれば、その表現がどれだけ異常に見えても良い方法です。シャーロックホームズも似たようなことを言っていたと思います。

 

 そう思ったときにピカソキュビズムで、遠近法を放棄し、複数の視点による対象の再構成を行うことの意味も腑に落ちたような気がしました。写実にこだわるのであれば一枚絵では描けないものを、独特の描き方によって1枚の中に押し込めることに成功しています。この描き方でなければ描けないものがあるのだから、そこには意味があります。

 

 また、漫画のコマの中に収まる絵は、ただの一枚絵とは異なり、視線の動きが設計されていることが多いです。基本ルールとしては読者が吹き出しと人の顔を追いかけるものだという性質を利用し、読者の目の動きに合わせて流したりせき止めたりするような線を入れることで止まっている絵の中に動きを表現したりします。なので、遠目に見ると3次元的に破綻する絵があることもありますが、漫画を読む上での視線の動きに合わせて読めば、正しい絵となっていることも多いわけです。例えば、視線の動きに合わせて、カメラも動いており、その動くカメラのとった変化する絵を1枚の中に合成して描いているイメージです。

 擬音の文字の配置なども読者の視点を一瞬動かして間を作るように配置したり、様々な工夫の上で描かれているため、例えばアニメや実写にした場合には、吹き出しや擬音の要素がなくなりますし、コマを追う動きもなくなるため、絵としての構図は同じでも絵から得られる情報は異なったりする場合も多く、なので、漫画の構図をそのままアニメや実写にするからこそ、むしろ原作と異なる印象を得てしまう、みたいなこともあるんですよね。

 

 漫画の1コマの絵の中には、複数の時間軸や、複数の画角を入れることができ、それを上手くやる技法を身に着けている人ほど、情報の密度を自在にコントロールができるのでメリハリの利いた漫画を描けるようになると思います。

 

 そういう意味では漫画の絵は2次元と呼ばれたりもしますが、複数の空間軸を同時に描けるプラス1次元であったり、複数の時間軸を同時に描けるプラス1次元もあったりすると思うので、紙の平面上の1つのコマの中に3次元や4次元を描いたりしているとも言えるかもしれませんね。漫画を読んでみるときに、コマが何次元で描かれているかを考えてみても面白いかもしれません。

インターネットは睡眠時間の話がお好き関連

 インタビュー記事が公開されて反響も多くてよかったなと思います。

meetscareer.tenshoku.mynavi.jp

 

 でもひとつ失敗した感じがするのは、僕が本当に伝えたかった、「会社の仕事をしていると忙しくて時間がないとか、時間があってもモチベーションが上がらなくて作業できない」みたいな悩みを抱えている人に、「自分が試して有用だったやり方を紹介する」という感じに読まれていないことも多く、「異常な人間が異常なことをしている」という、僕の意図とは逆の「自分にはできない理由があるものと」して読まれたりしているところです。

 

 特に、僕の睡眠時間が4時間半程度であるということに、「そんな睡眠時間では体を壊す」「こいつは早死にする」「いずれ健康を壊して後悔するんだろうな」みたいなコメントがぞくぞくと寄せられており、そこが防波堤として睡眠時間の話ばかりがされて、僕が隙間の時間にこういう工夫で作業をぶち込んでることで、徹夜などをせずとも淡々と漫画の連載ができている話は、そもそも読まれていないのではないか?と思って悲しい気持ちになってしまいました。

 

 近年の研究では、睡眠時間は長い方がむしろ死亡リスクと高い相関があるという結果もあるのですが、長く寝ている人には「死ぬぞ」と言われているのはことが少ないように思えるので、これは人の死を心配しているというよりは、「睡眠時間が短い人に死ぬと言う」というミームが流行っているんじゃないかなと思っています(水木しげる先生の話とかの影響で)。

 そもそも睡眠時間が短いと死亡リスクが上がる話についても、食欲が強まることで生活習慣病になりやすいなどの機序などがあるわけですが、少なくとも僕は生活習慣病にはなってはおらず、会社の年一回の検診以外にも年四回ペースで自主的に病院に通って検査を受けて健康状態を確認しているので、今のところは問題ありません。

 睡眠時間4時間半程度の生活を働き始めてから20年近くやっていますが、今のところそんな感じです。

 

 だいたいが、眠いのを我慢して作業をしているわけでもなく、朝も目覚ましで眠いのに無理やり起きているのでもなく、眠くなったら寝て朝自然に目覚めて4時間半睡眠なんだから、それを淡々とやっているだけで別に何も精神的に無理はしてないんですよね。でも、僕が病気になったり死んだりしたら、睡眠時間が短かったせいだということに、インターネット的にはされると思うので、病気になったり死んだりせんとこと思いました。

 

 というか、別に6時間寝ても隔週16ページの連載には余裕をもって間に合うような漫画の仕事の進め方ができていますし、僕がそもそも昔からそれぐらいしか寝ないで生活している人間という話でしかないんですよ。どうでもいいことです。でも、みんな睡眠の話が好き過ぎるからその反応ばっかりある感じがしていて、めちゃくちゃ無力感を感じました。

 記事のタイトルに面白い誤字があると、中身の話じゃなくて誤字の話ばかりがされるように、人の興味を誘引するような睡眠の情報が話に含まれてしまったのがよくなかったなと思いました。

 

 そんなことよりも、隙間時間にスマホでちょっとSNSを見るように、ちょっとずつでも漫画を描いたりすると、会社の仕事をしていても漫画の連載はそんなに辛くなくできると思います。僕は会社で毎月時間外労働を50〜70時間ぐらいしていますし(管理職なので制限がなく、やることは沢山ある)、出張で朝5時台の電車に乗って、地方で肉体労働をして帰ってくるなども月に何回もやってたりしますが、それでも全然連載できます。これは僕が異常にタフだからではなく、漫画の原稿を描くにはこれぐらいの時間が必要だと計算して、それを一日に分割して隙間時間を積み上げて、これぐらいの時間を確保すればできるという話でしかありません。

 

 1ページの作画2時間程度かかるとして、16ページなら32時間、それを月に2回掲載なら1日2時間程度働けばいいだけです。通勤時間と昼休みで1時間半描ければあとは30分やるだけですし、休みの日に多めに働ければ、家に帰ってからは何もしなくても大丈夫です。僕が時間がかかっているのは、2本連載とか、読み切りを描いたりとか、同人誌をやったりとかしているからというだけなので、それは別にしなくてもいいんですよ。僕はたまたまそれを面白いと思っているからやっているだけです。

 なので、漫画を描いてみたいし、商業誌の仕事をしてみたいけど、色んな事情で会社を辞めたりはできないと思っている人でも、チャレンジすることはできますし、そのやり方はあるので、それを伝えられるといいなと思ったのが僕の言いたいことだったので、そういう部分も読んでもらえるといいなと思っています。

「運命の巻戻士」を無料公開チャンスにまず読んでほしい関連

 コロコロコミックで連載中の「運命の巻戻士」がめっちゃおもしろいです。今全話無料公開期間なのでオススメのためにこの文章を書き始めました。

 

www.corocoro.jp

 

 運命の巻戻士のお話の立て付けは、巻戻士という、時間を巻き戻して目の前の状況に何度もチャレンジできる人たちが、人を救おうとする物語です。

 主人公のクロノは巻戻士に助けられた少年です。そして、妹を助けられないという現実を前にして、自身も巻戻士になる道を選びます。いつか自分の力で時間を巻き戻し、妹を助けられるようになるためにです。

 

 この漫画の良いところは、幾多もの困難を前にして挫けない人間が描かれることです。時間を巻き戻して何度もチャレンジできるということは、実はとても苦しいことです。なぜなら、1回しかなければ、上手くいかなくても仕方がないこととして諦められるものを、巻き戻せるがゆえにベストの答えに至るまでは諦められないからです。そこで諦めるということに対する責任が、巻き戻せるがゆえに大きくなります。まだ頑張ればやり直せるのにやり直すのを止めたのか?という目線がそこにあるからです。

 

 一方で、巻き戻せるということは当然幸運なことでもあります。一度しかないなら諦めないといけないことを諦めないで済むからです。一度や二度の失敗をしたとしても、自分が至りたい答えに至るために何千回と同じ状況を繰り返すことができます。それを続けられる信念さえあれば。

 

 これは特に子供をターゲットとした漫画として、良いものだなと感じていて(おじさんはすぐにそういうことを思ってしまう…)、失敗を恐れてチャレンジをしないのではなく、何度失敗してでも自分が至りたいところまで工夫を重ねて頑張ることを諦めない、という主人公の姿が描かれ、それを良いものとして受け取れることは、人生にとって、とてもプラスの感覚だと思います。

 もし何かを目指しているなら、そこでの失敗は終了じゃなく、上手く行くところに至るためのスタート地点です。失敗は、まず今の時点で何が上手く行かないかを確認できる貴重な体験です。

 こういうのはゲームを遊んでいても気づけるものですが、漫画の物語の中に組み込めることでよりわかりやすくなります。色々最初からは上手くいかない人間が、何度失敗しても反省して再チャレンジしてついに上手くやれるようになること、それがあるということを実感できるのがこの物語の素晴らしいところだなと思います。

 

 そして、本作においては個人的に21話がめちゃくちゃ良かったので、そこまでとりあえず読んでほしいので、まず読んでください。

 

 読みましたか?

 

 もしくは読む気がないということかもしれません。それならば、ネタバレを含んだ解説をするのでそこで読む気になってほしいと思います。21話ではある敵との戦いの決着が描かれます。その敵はとても大きな絶望を抱えていて、それゆえ巻戻士を憎んでいて、強く、主人公たちはそいつになかなか勝つことができません。しかしそんな敵が、ついに主人公に敗北します。

 そして、敗北と同時に命も助けられたその敵は、あることに気づき主人公に問います。

 

 「何回目だ!?アタシは…何回死んだ!?」

 

 そう、その敵にただ勝つだけであれば、実は主人公たちはとっくに成し遂げていたことが分かるのです。しかし、それまでの勝ちは同時にその敵の死も意味していました。だから主人公にとってはそれは成功ではなく失敗だったのです。

 これまで描かれてきた「全員助ける」ということが主人公にとっての正しいクリアルートだということを思い出せば、その助ける「全員」には敵も含まれていたということが、「何回目だ!?」の一言で瞬時に理解できるという話なんですよね。

 

 ここ本当に良い場面で、今の主人公は、自分の妹が犠牲になったその先の未来に居ます。それを助けてみせるのが目的です。誰かを犠牲にした先の未来に対してNOをつきつけてやることこそが主人公の信念です。

 この場面で、主人公の目的を再確認できること、主人公はこういう人間であるということを実感させてくれるところ、そして助ける対象から敵を除外しなかったことこそが、敵の心に刻まれた大きな絶望から救い出せる方法であること、つまり、この物語の小目的、大目的、エピソードの完結、登場人物たちの感情と信念、すべてが集約した一手がここで打たれるので、前回の無料公開時にここを読んだとき「なんていい漫画なんだ!!!」という気持ちになり、すぐに既刊を全部買いました。

 

 人の想いと信念、熱さが、読んでいて本当に心に来る上に、様々な要素がめちゃくちゃ上手く構成されて分かりやすい漫画なので、この無料チャンスに是非読んでみてください。