漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

結局人が死なないと変わらないんじゃないかと思ってしまうこと関連

 世の中はまだまだ完璧ではないので色んな問題が出てきますし、一度は上手く解決していたと思えたはずの問題だってだんだんと綻びが見えてきて再び問題となってしまうこともあります。そのため、人はその視界の範囲に問題を認識していて、ああ問題があるなと思ってはいるものの、それが上手く解決していないという状況の中で生きることも多いです。それはそこそこストレスがあるので、どうしたものかなと思ったりします。

 

 例えば、安全管理上問題のある運用がされているものがあったりします。それに対して、「危険だから止めましょう」と言えば一時効果はあったりしますが、結局すぐに戻ってしまりしたりして、その理由を聞けば、危険なやり方の方が早く終わるからとか、いちいち許可をとらなくてもいいからとか、やらなくても問題は起きていないのにやる意味が分からないとか、そもそも人手が全く足りていないのに、そんな労力を出すことはできないとか、様々なやらない方が得になるという理由が出てきます。

 

 そういうときに一瞬頭をよぎるのは、これはもう一度、この危険なやり方で人が死んだりしないと徹底した対応はできないでのはないか?という考えです。これは本当に悪い考え方で、つまりは自分の目的を達成するために誰かが死んでくれと望むことに等しい考えです。人柱を求めているようなものです。なので仮に一瞬よぎったとしても、この考えを決して認めてはいけません。

 

 しかしながら、人の生死は社会的な大きな意味を持つことが多いため、そういった呪術的な認識により、「人の死によって何かを変えたい」と思う動きは、実際世の中に存在していると思います。以前、自死をしようとしたことがある人と話をしていたときに、その人は、自分のしようとした自死は前向きな自死であると思っていたいう話をしてくれました。つまり、自分が死ねば、それによって周りが深く反省をしてくれて、自分が嫌だと思う状況が改善されるかもしれないという願いの話です。

 それは具体的に例えるなら、過重労働が問題視されている仕事場で、過重労働による自死が起これば、その仕事場でやっと過重労働が亡くなる方向に動くのではないか?というような願いです。つまり、前述の人柱問題に対して、人柱とする対象を自分自身にすることで、自分が加害者となる抵抗を感じることなく目的を達成しようとする話だなと思いました。

 

 それは、よくない考えですよという話をしました。実際にされなかったことはよかったですし、それにきっとそれを見た人が一時気にしても、深く反省なんて別にされないだろうし、また戻ると思います。

 

 このようなことは、最初に「問題が解決してほしいという」願いがあることだなと思います。そして、そのための方法として人の死が出てきてしまう話です。

 つまりは、そもそもは人の死の話では全然なかった話のはずです。問題の話だと思います。本来は人の死なんて話に出て来なくていい話で、問題が直接的に解決できる状況であればそもそもそんな話にはならないものだろうなと思います。

 

 何が言いたいかというと、人の死によって何かが動いたり、動きそうなときに話した方がいいのは、「そこで人が死ぬことの是非」ではなく、そんな話にまでなる必要がないように「そもそもあった問題を先に解決すること」だろうなと思うということです。

 

 なのでそういうことを日々やっていかないといけないなと思って、手の届く範囲でそれをやっています。