漫画皇国

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ダメな労働環境と足りないお金関連

 漫画家のアシスタントの労働環境が悪いという話題を目にして、思ったことを書きます。

 

 僕は漫画家のアシスタントをしたこともないですし、漫画家だったこともありません。出版関係の仕事もしていません。なので、ここで思うのは、漫画家のアシスタントの労働環境に関して聞きかじった話から想起した自分がこれまで関わってきたビジネスの話です。

 

 労働環境が悪いということの問題は主に3点に分類できると思います。ひとつは報酬が低いということ、もうひとつは労働の内容がよくない、つまり例えば、過酷な環境で長時間労働が必要であること、最後のひとつは保険や手当などの待遇がないというようなことです。

 

 これは、漫画家のアシスタントに限らず、社会のそこかしこにある問題だと思います。

 僕の見識の範囲で、これはお金が儲かっていない事業においてよく目にするものです。報酬が低いということは、事業収入の中から人に振り分けられるお金が少ないということですし、過酷な労働環境は、労働量に対して労働者数が少ないときに起こったりします。そしてなぜ人が少ないかというと、結局は同じくお金の話で、多くの人数を雇えるほど儲かっていないということです。保険や手当などがないことだってそうです。そのために出せるお金がないことや、十分な手続きをするための人手を雇うお金がないということです。金金金、金の話です。お金がないのが悪いので、これらの問題をわかりやすく解決する方法はその事業で十分なお金を儲けることです。

 

 もちろんお金が儲かっている事業でも現場が過酷でひどいことはあります。でも、儲かっていなければ、それを改善する余地すらなくて虚しくなります。

 

 お金が儲かっていない事業を、お金が儲からないままで無理に継続しようとするときにこれらの問題は起こりがちです。ここで、段々とお金が儲かるようになるならば光もありますが、世の中の事業は時代の流れに流されて右肩下がりで収入が減ることも多いでしょう。

 その事業の上手くいってなさが、継続するメリットがもうないと判断され、廃される直前あたりにしんどさのピークがあり、そのあたりの現場はとてもひどいことになったりします。

 金もない人もいない、それらが今後増える可能性もない。でも、現場の人が身を粉にして頑張ってしまっているために、ぎりぎり採算性があってしまい、その辛い状況が破綻せずに継続してしまったりします。そういうときには、本当はもう頑張ったらダメなのかもしれません。でも、それによって誰かが困ると知ったとき、頑張ってしまう人もいるじゃないですか。

 

 僕は近年システム開発の仕事をよくしていて、それは人がやっていた仕事を機械の仕組みに置き換える仕事です。ある事業について、人に支払うべき報酬が枯渇しているとき、それでも仕事量が減らないのならば、それを機械に置き換えるというのが進歩的な解決方法です。僕は、自分がやる仕事も、他人がやる仕事も、たくさんの仕事を機械に置き換えてきました。

 素晴らしいと思うじゃないですか。実際、すごく楽になったことも多々あります。でも、実際はいいことばかりではありません。なぜならば、より少ない人数で、より多くの仕事ができるようになったため、一人の人間が担当する仕事の範囲が非常に広くなってしまったりするからです。何年か前であれば、専任が複数人いたような仕事を、いくつもまとめてたったひとりで担当しなければならないというような辛さが生まれたりしている事例もあります。なぜそうなるかといえば、関わる人数が減ることによってランニングコストが下げられるからです。そうすれば、その事業をより低価格でお客様に提供することができるからです。そうしなければ、競合他社に劣後したりしてしまうからです。

 世の中は残酷なものです。皆さん労働者の権利を大切にすべきと思いながらも、一方で平気で一番安いものを手にとってしまったりします。実は裏で働いている人がより過酷な労働環境に追い込まれることでできたより安いものをが選ばれてしまいます。十分な人員と報酬と労働環境を守りながら作ったそれよりも高いものではなく、です。

 それは別に悪くはないですよ。そういうものです。そして、それが過当競争を招き、人間を追い込んでいたりもするというだけの話です。

 ひとりの受け持つ責任の範囲が広くなれば、普段は回せても複数のトラブルが重なるとすぐに稼働が限界になります。それで体や心を壊した人も目にしました。そんな思いをして安くしたのに、「今までがぼったくりだった」と怒られたことが皆さんはありますか?僕は何度もあります。

 

 さて、漫画の話ですが、アシスタントに支払われる報酬の原資は基本的に漫画の原稿料でしょう。つまり、この問題が、今まで触れてきた世の中によくあるしんどいもの同質であれば、そもそもその原稿料が上がらなければ問題の解決はできるようなものではないということだと思います。

 そして、原稿料が上がればどうなるか?漫画雑誌を作るために必要なコストが上昇します。雑誌の部数が同じの場合、同じ値段で提供し続けるならば、原稿料を増やす代わりにそれまでお金をもらっていたどこかの誰かの報酬が削られるはずです。その方法は様々でしょうが、結局アシスタントの低待遇が別の人の低待遇に置き換わっただけで、もぐら叩きのようにいつまでたっても叩き続け、そして、全員が報われる状態は訪れないのかもしれません。

 ならば、原稿料の原資を稼ぐには雑誌の値段を上げるか、雑誌の部数を伸ばすしかありません。でも、それらは背反します。値段を上げてもそれによって部数が落ちれば結局意味がないかもしれません。単純に部数が伸びればいいですが、じゃあ、皆さんは漫画雑誌を買いますか?って話ですよ。僕は割と買ってますけど(月に40冊ぐらい)、これを読んでいる皆さんの多くはおそらくあまり買ってないんじゃないか?と睨んでいます。特に、マイナーな月刊誌なんかはどうでしょうか?買ってない場合、自分がそれらの雑誌を毎月買う状況を想像できますか?できないなら、それはつまりそういうことです。

 無からお金は生まれません。ならば、全ては繋がっている話です。誰もが被害者であり同時に加害者でしょう。

 

 それが紙の雑誌ではなくWeb連載であったとしても構造的には同じことです。儲からない事業では、儲からないがゆえにそれを支える人間が毀損されていきます。解決方法は儲けるしかありません。儲けられないなら、そんな事業はやめてしまうというのもひとつの判断です。

 

 僕がやってきた機械化のお仕事は、漫画に置き換えるならばコンピュータで漫画を描くということに読み替えられるでしょう。実際そういう人もいます。となれば、コンピュータを使って一人で漫画を描けるようになったのでアシスタントは使わないというのはひとつの解決策ではないでしょうか?そして、同様に同じことが以前より楽にできるようになったために、あらゆることを自分でしなければならなくなってしまいます。それでいいという人もいるでしょう。そして、それがしんどいと思う人もいるでしょう。

 また、漫画を描くということだけでなく、今まで出版社がやっていた役割も個人で代替可能な部分が出てきています。それを個人でやれれば採算性は向上するかもしれません。しかしそれは、今までは他人に頼めていたあらゆる仕事を自分自身でしなければならないということです。

 生産者と消費者を直接繋げば効率が良くなるというのはインターネットで語られることが多い神話ですが、これは実際はケースバイケースです。なぜなら、間に人が入ることで効率が良くなることも多いからです。大量かつ多品種の商品を扱う市場では、とりわけその傾向が強いでしょう。自分ひとりが食べるカレーを作るより、クラスのみんなが食べるカレーの方が、一杯あたりのコストを安くしやすいのと同じです。

 

 一方、そういうのとはもはや関係なく、紙とペンでひとりで描くタイプの漫画家さんもいます。それはそれでひとつの良い在り方だと思います。しかしながら、それができる人は限られているでしょう。例えば、絵柄などもかかわってきます。緻密な背景作画が要求されるような漫画を描くならば、ひとりで描くのは週刊連載はおろか、月刊連載もあやういかもしれません。例えば岩明均の「ヒストリエ」はひとりで描かれているそうですが、隔月の連載ですし、ペン入れされないままに鉛筆描きで雑誌掲載されることも頻繁です。怠けているわけではないでしょう。それぐらい大変なことなのだと思います。

 

 僕が思うに、誰かが不当に悪いことをしているわけではなくとも、きつくてしんどい労働の状況は訪れます。これらは根本的にビジネスモデルとそれがうまく回っているかの問題だと思います。ちゃんとできるほどには儲かっていないところは、やはりちゃんとできていないことも多いです。そのちゃんとできていないことを見過ごすべきだと思っているわけではありません。なら、もうそれはやめるしかないんじゃないかというような気持でいるのです(諦念)。

 

 ですが、ちゃんとできるほどに儲かっている働く場所というのは、世の中にどれぐらいあるのでしょうか?それはどうすれば増やせるのでしょうか?そして、それを実行するのは誰の役割なのでしょうか?

 

 現場がよくないのは、管理職の責任です。ただし、予算を増やすことも、スケジュールを伸ばすことも、人を増やすことも権限を与えられていない管理職は、精神論を唱えるぐらいしか手立てがありません。そしてそんな待遇の管理職の人もすごく多いと思います。実務能力のある人は足りない部分を自分の労働時間で補って、職場の環境改善のために、異様な長時間労働を担ったりします。そうなってしまうのはどこが悪いのでしょうか?経営者でしょうか?しかしながら、経営者とて無からお金を生み出すことはできません。

 事業が儲かっていようが儲かっていなかろうが、人を雇っている以上お金を出す必要があります。事業が上手くいっていなければ、予算を増やすことも、スケジュールを伸ばすことも、人を雇うこともできないでしょう。なぜならそれをしてしまうと赤字になってしまうからです。赤字を継続すれば倒産してしまうからです。そんな会社は潰れてしまったほうがいいのでしょうか?また、その数多の潰れてしまった会社のあとに、ちゃんと儲かる会社が生まれてくるということは期待できるのでしょうか?ただ、焼け野原になるかもしれません。いや、それも正しいような気もします。

 

 僕は労働環境の問題は根本的にはお金の流れの問題が大きいと思っていて、お金の流れという意味では社会にいるあらゆる人が当事者です。被害者であり加害者です。その割合は様々だとしても。どこかの一面的に悪い誰かがいて、その人たちを倒せば問題が解決するというような種類のものではないのではないかというのが僕の感じるところです。

 

 さて、今月から全く新しい仕事に従事することになりました。僕には世の中のどうこういった部分を変えるほどの力はありませんが、少なくとも自分の目端の届く範囲では、お金をちゃんと儲けて、それによって皆にちゃんとお金を流していくことが重要だぞと年始の思いを新たにしているところです。