「呪術廻戦」がそろそろ最終回になりますが、最後の戦いは毎週面白くてすごく楽しみに読んでいました。これを書いている時点では残りあと1話、最終回を残すのみです。
本作における呪術については非常に沢山の設定があり、読んできた僕もちゃんと分かっている気が全然しないですが、作中における呪術のひとつの意味は、ある種の因果のことで、呪力を持たないものはその因果から外れるという部分がとても面白いなと感じています。
例えば、作中の呪術界の根本に存在する天元という存在は、その存在そのものが呪術的です。天元は、不死の能力を持つものの、不老ではなく、老化が進めば、呪霊のような人ではない何かに変質してしまうため、それを防ぐために星漿体と呼ばれる人間を取り込んで同化しなくてはなりません。それは言うなれば生贄で、人柱です。天元の存在をそのまま維持するためには犠牲になるために選ばれた人間が必要です。
天元がまだ普通の人間であった頃を知っている羂索は、天元が星漿体と同化するのを阻止しようと何度か試みていますが、そのたびに失敗をしています。その妨げになったのは六眼を持つ人間(現代では五条悟)です。
曰く、「天元」「星漿体」「六眼」はそれぞれ何らかの因果で繋がっており、羂索は生まれたばかりの星漿体と六眼を殺したこともありましたが、同化のタイミングには星漿体と六眼が現れ、やはり阻止されてしまいました。その因果は仕組みとして繰り返されるものであり、それは、維持するために生贄を必要とし続ける呪われた機械です。
その同化を阻止しようとした羂索は、ある意味、呪いを解こうとしたのかもしれません。しかし、羂索にはどうしてもそれを成し遂げることができませんでした。その因果の呪いを打ち破れたのは、伏黒甚爾です。彼は天与呪縛フィジカルギフテッドと呼ばれる存在で、生まれながらに呪力を一切持たない代わりに、その代償として異常なまでの身体能力を持つ存在です。一般人でも持つ呪力を完全に持たない特異な存在です。
そして、呪力を持たないということは、この物語の中では大きな意味を持ちます。それはつまり、呪力を持たないために、「呪いから認識されない」ということです。
呪術界の御三家である禪院家に生まれながらも、呪力を持たないということは、差別的な扱いを受ける要因となりました。言うなれば、呪力があることはある種の絆であり、そして同時に呪いでもあります。呪いの力を持たない彼は、その代わりに禪院家を出て自由を得、そしてその自由は呪術界の大きな因果のサイクルに対しても自由でした。
つまり、繰り返される「天元」「星漿体」「六眼」の呪いのサイクルにも囚われることがなく、彼は羂索がどうしても阻止することができなかった天元の同化を阻止できます。星漿体を殺すという方法で。
面白いのは、羂索も伏黒甚爾も、作中では最悪の人間として描写される一方で同時に、繰り返され、人が巻き込まれ続ける巨大な呪いを、自らの意志で破壊しようとした存在でもあるということでしょう。ただ、羂索は多くの呪いの因果も生み出し続けた存在でもありますが。
呪力を持たない人間は呪いの因果に縛られないために自由であり、呪いに対する破壊者になり得る存在です。しかし、それゆえに孤独でもあると思います。
同じく天与呪縛によって呪力のなかった禪院真希は、伏黒甚爾とは異なりわずかな呪力を持ち合わせていました。ただし、それは双子の真依が呪力を持っていた(本作の呪術において一卵性の双子は呪術的に同一人物と判断される)ため、その繋がりが生み出した呪力であり、真依が真希にすべてを託して死んだことで、その頸木が外れ、伏黒甚爾と同じ完全に呪力を持たない存在に変わります。
これはそれによって強くなったという話でもあり、わずかながらも持ち合わせていた人の繋がりを失ってしまった話でもあります。真希は一族を皆殺しにし、自分の生まれた場所、呪いの生まれたその因果を根絶やしにしました。
ただ、禪院真希は完全な孤独ではなく、呪術高専における繋がりが残っていますが。
九十九由基は、発生する呪霊に逐次対応する対症療法ではなく、原因療法を考えます。方法は2つ。呪霊が人の呪いが澱のように重なって生まれるものであるならば、①人を伏黒甚爾のように呪いを持たない存在にするか、②呪いをコントロールできる呪術師だけの世界にするかです。
これを因果の話として読み替えると、呪いとは人と人との関係性が生み出す負の側面のようにも捉えることができます。人が誰とも因果的な関係を結ばない孤独な存在であれば、例えば人間関係の揉め事のようなものは生まれません。人間は誰しも負の側面を持ちうるもので、それを適切にコントロールできる人だけならば、人と人との揉め事も起こりませんが、そんなふうに他人に影響する負の感情を適切にコントロールできる人ばかりではありません。
この世に人間の負の側面たる呪いがあったとして、それを無くしたいとしたとしても、全ての人が孤独に暮らすことも悲しければ、全ての人がそれを完全にコントロールできる世の中も夢物語でしょう。
ならば呪いがどうしても存在する世の中で、同じような呪いが遥か昔から繰り返され続けるような世の中で、人は生きていくしかありません。そこでどのように生きていけばいいのか?最終回でそういうことが語られるのか語られないのかぜんぜんよく分かりませんが、例えば、一族を皆殺しにした禪院真希が、どうなるかなどで、その辺について何か思ったりするのかもしれません。
ともかく最終回が楽しみです。