- 表紙がゴンだが、ゴンが本編にまた出てくるのはいつになるんだろう。レオリオやクラピカも長いこと出てこなかったしな。バキを連載している頃、刃牙は長いこと扉絵にしか出てこなかった時期があった。
- 冨樫先生の絵ってめちゃくちゃいい、めちゃくちゃ好き
- 冨樫先生の絵のすごいところはキャラクターを構成する文法が写実の寄せたものから強くデフォルメされたものまで混在していて、それでいて画面上に違和感なく同居しているところ
- キャラの絵のリアリティラインが演出によっては変化するのも好き
- 手を武器に変える念能力、粗雑に生み出される念能力者としての考えの無さ(貴重な能力をひどく単純なものに使う)であるものの、本人の特性とは合致しており、なおかつヒンリギの裏をかくことに一度成功する演出が沢山の効果がかかっている。
- 殺したはずの男が普通に生きている違和感と、その理由が死後強まる念であること、それがマフィアにとってとても都合がよくシステムとして存在していることの面白さ
- リンチ・フルボッコっていい名前だなあ。
- ノブナガの絵がめっちゃカッコいい。日本刀を持っているキャラっていいな。バクマン。でも人気漫画の共通要素と描いてあった。
- 人の死に対して、大した感情がないエイ=イ一家は幻影旅団に重ねられている気がする。
- 念能力を手軽に与えられる状況になったらどうなるかという異様な雰囲気。状況としてはクラピカが王子の護衛たちにしていることもここに重なる。
- ヒソカと言葉で交渉に成功することでヒンリギの格が上がっていく。
- 怪異としての念能力。
- 船のどこかにいる敵の捜索という安全な遠回りと、リスクを引き受けて一手で到達できる近道の2択。
- ツェリードニヒは、最悪の倫理観と所業を除けば、主人公に与えられるようなギフトが与えられている。天才的な成長性、王家の血筋、自分を特別なものとして見てくれる仲間たち。最悪の人間が最高の環境にいたときに、とんでもなくヤバくなると思うがどうなのか?
- ツェリードニヒのご学友に対して、沢山のキャラクターが初登場するのに、短いページのやり取りだけでそれぞれのキャラの立ち位置が一気に分かり、そして好感を抱いてしまう作劇の上手さがすごい。あえて不均等な立場になるものがいることで、学生時代には同じ場所に平等にいたことが浮き上がってくる。それぞれの考えることが、会話でぶつかる部分で見えてくる。情報の詰め込み方と渡し方がすごすぎる。
- エイ=イ一家に見る昔の幻影旅団への重ね合わせからの過去編。
- 冨樫義博漫画でガッツリとした過去編があるのって初めてじゃない?
- 過去エピソードが描かれることはあっても、何話にわたって過去編として描かれたのはこれまでおぼえがない。でもクラピカの過去があるか。クラピカと幻影旅団は天秤の両側にあるので、これでバランスがとれる。
- 昔描かれたビデオテープがここで意味があるものとして描かれることの驚き。
- のちの幻影旅団になる子供たちのこの時点のグループ分け(クロロとフランクリンとシャルナーク、ウボォーギンとマチ、フィンクスとフェイタン)の面白さ。ノブナガがいない?と思ったが、その後、普通にいた。パクノダは教会にいた。
- クロロの頭の良さ、真面目さ、可愛さ、それがパクノダとのやり取りで表現される。
- シーラとサラサ、クラピカの過去編に出てきたシーラと、今までどこにも出てこなかったサラサ。サラサの存在は登場時点で不穏。今いないのは何故と思わせるから。
- サラサの魅力が描かれる。不和のある流星街の子供達の、不和を解消してくれる積極性と善良さ、良い子であることが描かれることで、さらに不安が煽られる。
- 娯楽のない流星街の子供達に向けた、拾ったビデオテープの特撮番組の吹き替えアフレコ。クロロの見せる多面性と、トラブルの中で見える才覚、善良な存在も悪辣な存在も演じ分ける力。その眩しい光景に不和のある流星街の子供達の間が解消され、その最後の人押しはサラサ。クロロたちのやってきた吹き替えと称して、最後の一歩が踏み出せないウボォーの心を代弁することで、全てが解消されていく。幸福な一時。
- その光景が幸福であればあるほど、彼らの行く末を考えて不安が大きくなり、そして弾ける。
- 少年誌ではギリギリの惨事を、最小限の表現で描き切る。あまりに悲しい。
- マチのエンバーミングへの視線が、ヒソカがクロロに負けて一度死んだときに重なる。
- 頭が良くて真面目で一生懸命な子が、真面目に一生懸命に悪党になるならば、それは生まれながらの悪党よりもきっとヤバいだろう。復讐がサラサに望まれていないことも理解した上でそれでもクロロは復讐を選ぶ。それは仕組みを作って維持する話だから。
- 幻影旅団は仕組みであって、自分がいるのは必須ではないとクロロは説くし、クロロ自身は本当にそう思っていて、その気持ちを尊重しようとしているメンバーも多いが、その下にはちゃんと人と人の繋がりがあってそれがヨークシンでの物語の核にある。
- クロロは仕組みの一部として自分のことを軽く扱おうとするが、ウボォーギンの鎮魂のために暴れ、シャルナークとコルトピの死には耐えられなかった。結局なりきれてはいない。
- パクノダの制約を見た瞬間、こみ上がるものがある。一番大事な人に触れないということと引き換えに存在する能力。それは惨事の現場に残された言葉を、誰にも言わないことを抱え込んだクロロの心を、自分の能力では決して読み取らないという気持ちとも重なる。パクノダのクロロに対する気持ちの大きさが感じられる。
- それはその後、クラピカの能力によって、触ることはおろかクロロと話すことすら奪われてしまったこととも繋がっていく。旅団から切り離されたクロロをまた旅団に戻すことができるのは、パクノダの命をかけたメモリーボムだった。
- 幻影旅団は、仲間を殺されたことで結成された復讐のための集団。それは仲間を幻影旅団に殺されたクラピカと同じ境遇。クラピカの仲間のクルタ族は幻影旅団に殺されたと伝わっているが、ここで結成された幻影旅団とは価値観が違う気がする。しかし、残されたのは流星街の言葉。
- クラピカを外の世界にいざなったのは、同じ流星街にいたシーラ。彼女が訪れて消えたことと、幻影旅団の襲撃は関係しているはず。真相は何なのか。
- クロロの盗賊の極意(スキルハンター)は、能力を盗むものとして描かれているものの、盗むための制約である「対象の念能力を見て」「相手に質問をして答えてもらい」「具現化した本の表紙と手を合わせる」「これらを1時間以内に行う」という手続きは、「相手と仲間になる」というものとしても解釈できる。能力者が死ぬと能力が消失することも、能力を維持するためには相手との関係性を維持するという意味と捉えることもでき、奪うというよりは関係を構築することに意味としても読み取れる。
- 指名よりも仲間を優先したのは、クラピカでパクノダ。
- 仲間の復讐のために、犯罪者のネットワークと繋がることを目的としたのはクラピカでクロロ。
- クラピカと幻影旅団の対比が様々な側面から行われる。
- 倫理観のない最悪の盗賊だと思われていた幻影旅団が、そう振る舞うことを決めた劇団から始まったことが明らかになった今、倫理観なし担当のツェリードニヒには何があるのか?ツェリードニヒにも仲間がいることは分かっている。
- ヒンリギを認めていくノブナガの描かれ方がいい。かつてゴンを気に入ったときに重なる。だとすれば、その後ろにウボォーを見ている。損得のかけひきではなく、行動で語る存在。その人間性。
- 死んだカチョウの姿になった念獣って、かなりフランクにコミュニケーションできるんだ。
- 能力名の2人セゾン(キミガイナイ)は、両方とも欅坂46の歌で、キミガイナイの歌詞の「本当の孤独は誰もいないことじゃなく、誰かがいるはずなのに一人にされているこの状況」というのがフウゲツの今を指している。
- 本当の孤独に陥ったフウゲツがとても心配。
- 理で動くカイザルが、行動原理を情と表現する面白さ、センリツは信じないが、本当じゃないかと思わせる。
- センリツは、今は普通に可愛い存在としていて見ている。死なないでほしい。
- 今やってる話は、同じ構造のものを幾重にも重ねることで、同じ構造なのに違う部分が浮かび上がってくるような作劇をやっているように思う。何重にも掛詞がかかった文章を読んでいるようで、情報量が多くてめちゃくちゃ滋養がある。情報があり過ぎる。1巻に収まるような量じゃない。
- クラピカにも幻影旅団にも幸福な結末が今のところ見えていない。苦しみの想像ばかりをしてしまうが、悲しいことが起こった人がただ不幸な結末になるのは悲しすぎるので、僕が思いもよらないような話になるのではないか?なってほしい、という方向に期待が強くある。