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「HUNTER×HUNTER」のドキドキ2択クイズと今後の展開について

 「HUNTER×HUNTER」の第1巻、ハンター試験会場に向かうゴンたち一行の前に立ちふさがる人々がいました。その道を通るためには、5秒以内にある問いに答えなければなりません。それは、ハンター試験における選別の一環であり、「ドキドキ2択クイズ」という名前がついていました。

 

「どちらか一方しか助けられないとき、母親を助けるか恋人を助けるか」

 

 その問いには単純な答えがありません。であるがゆえに答え方は様々でしょう。ある男は、クイズを出したのがお婆さんであることから、ウケが良さそうと考えて「母親」と即答し、その道を通ります。そしてレオリオは、どちらであろうと、自分のとって大切な誰かを犠牲にするようなものを選択させとするお婆さんに怒り、問いに答えずに殴りかかろうとします。クラピカはそんなレオリオを制止し、このような答えのない問いには「沈黙」こそが正しい答えであるという結論に至ります。

 お婆さんは、安易な答えを出さなかったゴン、クラピカ、レオリオの3人にハンターの資質があることを認め、目的地への道を通してくれました(ちなみに安易な答えを出した男は、通された道の先で魔物に襲われてしまったようです)。しかし、ゴンは道を通してくれたあとも考え続け、それでもやはり答えが出せないことを嘆きます。

 これはただのクイズであるかもしれません。でも、そんなシチュエーションに実際に遭遇してしまう可能性はあるはずです。両方を選ぶことができないという残酷な状況が、この先の人生で来ない保証は全くありません。これは試験の道程です。試験とは、ある目的に対して条件を満たす者を選ぶ工程です。であるならば、2択のクイズに安易な答えを出さないこと、そして、それが起こりうることに想像を広げることは、ハンターの資質にどう関わるというのでしょうか?

 このクイズはハンターハンターという物語の中で非常に重要な要素を示唆しているのではないかと僕は思っています。

 

(この先、現時点での最新である34巻のネタバレがあるのでご注意)

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 ハンターハンターは、ある種の選択の物語ではないかと思います。登場人物たちに、どちらか一方が正しいとは言いにくいAとBの2つの選択肢が存在する状況がもたらされ、多くの場合、そのAでもBでもない、その問いそのものをぶち壊すような答えCが掴みとられて実践されるという形式で進行します。

 ハンター試験の中では、多数決によって扉が開くゲームや、不自由な2択、残り時間を賭けるゲームなどの形式で、模式的に選択の構造が繰り返されました。そして、プロのハンターとして世界を冒険するようになったあとでは、これらの選択が実戦の中で実践されるようになります。

 例えば、小さな部屋に拘束され、目の前には扉と敵という状況があります。敵は強く正面から戦っても勝てる可能性は低いです。戦って逃げるか、戦わずに拘束され続けるか、その2択を迫られているように思うでしょう。しかし、ゴンが出した結論は違います。壁を蹴破り、扉以外の出口を作ることでそこから逃げます。どちらか一方を選ばなければならないようなシチュエーションで、そのどちらも選ばないということがまさに実践されます。

 

 「選択」とは何かというと、そのひとつの解釈は「誰かが誰かに提示するもの」でしょう。相手に対してAかBを迫るとき、問いを作成する立場ならば、相手がどちらを選んでも自分が有利になるものを考えるはずです。つまり、2択を迫るということは、本当はあるはずだった無数の選択肢を大幅に刈り取り、目の前には2つの道しかないように錯覚させるテクニックです。であるからこそ、選択肢を提示する権利を相手に認めた時点で、既に負けていることもしばしばです。

 最新の34巻で行われたヒソカvsクロロの戦いは、まさにそのようなシチュエーションでした。ヒソカはクロロに十分な準備の時間を与え、クロロは入念な準備をもとにヒソカの前に選択肢を提示します。自分が使っている能力が何であるかを特定するための沢山のヒントをばらまき、ヒソカにそれを類推させるための手がかりを与えます。ヒソカが、その選択肢を読み取ることで、クロロの状況を特定しようとします。つまり、その時点ですでに非常に不利な状況です。

 ヒソカは、クロロが喋ったことに嘘はないという前提での解釈を試みますが、嘘とは言っていなかったとしても曖昧な表現が混ざっています。暑いの反対は暑くないであって、寒いではないというような、論理の隙間を利用し、ヒソカの思考を誤誘導することで、罠がかけられています。思考の瞬発力に優れたヒソカは、クロロの言葉と目の前の光景から瞬時に正解に辿りつきますが、それはあくまで用意された正解であって、真実とは異なります。この戦いにおいてヒソカはクロロに敗れますが、それはつまり、クロロの用意した選択の中から正解を選ぼうとしてしまった時点で既に概ね負けていたのではないでしょうか?

 

 選択を提示するということは、それは用意された道です。ハンターの資質を、未知のものを追い求めること、未踏を舐ることとするならば、用意された正解のある問いに取り組む時点で、その資質に欠けると考えるしかありません。新しいことに取り組むとき、そこに誰かが用意してくれた正解はありません。なぜなら、誰かが用意してくれた時点でそれは新しくないからです。

 学生の勉強でもそうでしょう。学校が用意してくれた試験には、採点のための正解があります。それはその時点で取り組む学問が新しい道ではなく、今まで誰かが切り開いてくれた道を辿る行為でしかないからです。場合によっては出題者の意図を読むことが試験に合格するための最適解であるでしょう。しかし、それは新しいことに挑戦する上ではむしろ不利なことかもしれません。なぜなら、今まで誰もやったことがないことについては、出題者がおらず、読むべき意図がないからです。それまで手がかりになっていたものが、まるで役に立たない状況がやってくるからです。

 

 大学の研究では、このギャップがしばしば学生を苦しめます。それまで誰かが用意した答えがある問いを解いてきた経験から、自分の取り組むことになる研究の正解を、先生が既に知っていると誤解してしまったりするからです。立てた仮説が間違っていた分かることは、研究における重要な進捗ですが、ここを誤解し、立てられていた仮説こそが正解であって、その結果がでないことを悪いことのように考えてしまう人もいます。その考えは、出た実験結果をごまかし、仮説の立証に使えるような結果の捏造に手を染める道にも繋がります。

 研究には誰かが用意してくれた正解がないということ、もし誰かが仮説を用意してくれたとしても、それはあくまで仮説であって事実かどうかを確かめるには実験検証が必要であるということ。そのような考えに実感を伴って至るためには、それまでの誰かが用意してくれた正解がある道から、別の道への方向転換が必要で、学部の研究ではそれに躓く人もいて、修士でなんとかやりきれるようになり、博士ならようやく完全にやれるようになるというような、そういった難しいものではないでしょうか?

 それゆえ、学部の頃の成績が良かったからといって研究者として大成するとも限らず、学部の頃の成績が合格ギリギリであったのに研究者として大成するような人もいます。なぜなら未踏に取り組む資質は、試験では測りにくい分野だからです。

 

 ドキドキ2択クイズが示唆するのは、その2つからどちらかの選択を選ばなければならないと思考を狭窄してしまう時点で、未知のものに取り組むに適した感覚が乏しいということではないでしょうか?クラピカが、マフィアのノストラードファミリーに入るために受けた試験では、敵の姿を勝手に想像したせいで、その誤解から組織を危険にさらしてしまった男が処刑された姿が登場しました。想像するということは、その想像における正解を模索するということです。もしその想像が的外れであった場合、それまで手にあった正解はむしろ不正解かもしれません。相手が何であったとしても勝つということは、安易な正解を手に入れて安心しないということでもあるのです。

 

 さて、最新34巻では、カキン王国の王位継承のための戦いが始まります。このエピソードでは、クラピカに焦点が当たっているのではないかと僕は思っていて、なぜならカキンの第4王子ツェリードニヒは、猟奇的な人体収集家であり、クラピカが探し求めている仲間たちの目もその中に含まれているからです。ヒソカとの戦いを終えたクロロもその場にやってこようとしています。クロロは幻影旅団のリーダーであり、幻影旅団はクラピカの仲間たちを皆殺しにし、その美しい輝きをたたえた目を奪った張本人です。

 クラピカにとって因縁のある人々が同じ場所に集結しようとしてします。奪われた仲間たちの目の多くを取り返しつつあるクラピカは、その復讐と奪還を人生の糧としてきた経緯から、仮に目的を達したとして、その後、どう生きればいいかも見定まっていません。

 また、ハンターハンターのアニメ映画において配られた小冊子において、作者から「旅団もクラピカも全員死ぬ」という言葉が提示されています。それは人はいずれ死ぬということなのか、物語上でそこに至るということなのか解釈の幅はありますが、それが何らかの結論に至るのかこのエピソードではないでしょうか?

 

 ドキドキ2択クイズには、選択することの意味の他に、もうひとつの読み取り方があると思います。それはつまり「人の命に価値の差をつける」ということです。「母親」と「恋人」、あるいは「息子」と「娘」、どちらか一方しか助けられないということは、残りの一方を犠牲にするということです。これはどちらかに価値があり、どちらかに価値がないということを決断しなければいけない行為です。

 このクイズにおいてレオリオが怒ったのは、ここにポイントがあるのではないでしょうか?なぜならば、レオリオがハンターを目指した根本には、「命の価値に差がつけられた」ということがあるからです。レオリオは金のためにハンターを目指しました。それは、金がないために親友が死を迎えたからです。決して治らない病気ではなかったのに、金がないために治療を受けることができませんでした。だからレオリオは医者になろうと思いました。そうすれば、同じ病気で金がない人でも自分が助けてあげられると思ったからです。それは命の格差を埋める行為です。しかし、医者になるためにも多額の金が必要でした。金がないためにその道も阻まれてしまいます。金があるかないかだけで、命の価値に差がつけられてしまいます。誰かの命に価値があり、誰かの命に価値がない、その考えに一番憤っているのはレオリオでしょう。

 物語の冒頭でゴンは、その人を理解したければ、その人が何に対して怒るかを知るべきであると教えてもらったと言います。レオリオは命の格差に怒ります。何かの条件があるかないかだけで、人の命の価値に差がつけられています。許せるわけがないでしょう。「人の命は平等である」、それはきっとレオリオの生き方の根幹にあるものだからです。

 

 一方、カキンの第4王子ツェリードニヒ・ホイコーロは、その真逆に位置する男です。命には貴賤があり、人には価値のある存在と価値のない存在があるという認識を持っています。価値のある存在とは自分自身、価値のない存在とはそれ以外の全てです。ツェリードニヒは、自分の快楽のために、他人の命を消費します。王子と言う強権的な立場を利用し、まるで他人の命をぞんざいに扱えば扱うほどに自分の命の価値が上昇するとでも思うかのような行動をとります。ツェリードニヒは同じ立場の他の王子たちも無価値であると思っています。人は平等ではない。人の価値には差がある。そして価値ある命とは唯一自分自身である、という強大なエゴの権化である存在こそがツェリードニヒです。

 幻影旅団のリーダーであるクロロもまた、命の価値を認めない男のひとりです。しかしながら、彼はツェリードニヒとは異なります。なぜならば、自分自身を含めて、命は平等に無価値であるというような思想を持っているからです。自分が人質になったときにも、自分を犠牲にして旅団を生かすという結論にすぐに至ります。旅団の生まれた土地である流星街は、人間の価値がとても低い場所でした。流星街の長老は人間を爆弾に変える能力を持っていました。長老は、流星街にあだなす存在に、住民を爆弾に変えて送り届けます。たった1件の出来事のために、30人以上の住民を爆弾に変えた自爆テロを引き起こしました。長老は人間の命に価値を認めていません。そしてクロロもそんな長老から盗んだ能力を携え、その考えに共感を示します。

 旅団は盗むために殺しも行います。殺すことに胸を痛ませることはありません。旅団のメンバーはなぜそうなのか?クロロはそのリーダーとして、自分がなぜそうであるのかを探求するような生き方をしています。

 

 彼らと対比して、クイズに「沈黙」を選んだクラピカは人間的です。この場合の「人間的」とは、「どちらかを選ぶということに迷いがある」ということです。それが例えばツェリードニヒやクロロならば、選ばされる2択はどちらも価値がない命として、迷いなくどちらかを選び取ることができるでしょう。クラピカは復讐のために冷徹な人間になろうとしても、その心の中には迷いがあります。ヨークシンシティでも旅団との戦いでは、「復讐」と「仲間の安全」を量りにかけ、仲間を選び取ってしまう迷いと優しさを持っていました。

 

 ツェリードニヒは人に命に格差があり、価値のある命と価値のない命があるという考えに疑いを持ちません。一方、クロロは人の命には平等に価値がないと思っています。そして、レオリオは人の命は平等で、全てに価値があるはずという考え方です。今後、クラピカはこの中で何かしらの結論に至るのでしょうか?

 ドキドキ2択クイズでは沈黙し、何も選ばなかったクラピカが、その後の残酷な現実の中で、来るべき「選ばざるを得ない状況」についに到達してしまうのかもしれません。それが苦しみを抱えて生きてきたクラピカにとって、何らかの安寧をもたらす結果に繋がることをただただ願ってやみません。