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インターネットでの道を踏み外しにくい歩き方関連

 普通のことを書きます。

 

 インターネットでは不確かな情報を根拠に色々と道を踏み外してやらかしてしまうことがあり、僕もそれは怖いので、できるだけ気をつけようとしています。気をつけているからといって踏み外さないわけではありません。既にやらかしていることに気づいていない可能性もあります。ただ、とりあえずどういったことを気にしているかの行動指針が大きく3点あるので、それを共有します。

 

(1)情報を信じるのは「疑う理由がないから」ではなく「信じるに足る根拠が示されたから」とする

 インターネットには様々な情報が書き込まれています。その中には本当のこともあれば嘘のこともあります。

 嘘の情報を信じてしまうことを少なくするコツは、その情報を信じるに足る根拠が示されているか?を考えることだと思います。例えば、ある有名人がツイッターのアカウントを開設したとして、それが本人のものだと信じることができるでしょうか?例えば、そのアカウントの開設が、他の公式アカウントから周知されていたり、そのアカウントを最初にフォローしているのが、その人と直接接点のある既に身元の確認がとれている人であるなどというように、誰かが単純に騙っているのではないと信じるに足る理由を得ることができたことで、初めて信じることがいいように思います。

 一方で、信じるに足る根拠が必ずしも示されるとは限りません。例えば、見ず知らずの誰かが、自身が遭遇した出来事を書いているときに、そこには信じるに足る理由がないことも多いです。しかし、だから嘘の話だというのも乱暴な話です。

 その場合、本当か嘘かの明確な根拠はないが、「ある人がこういうことを書いていた」という事実のみを認識する形となるでしょう。

 

 こういった部分での踏み外しを誘発するのは、そこで示された情報が、自分の立場に大して有利な情報である場合です。例えば、自分の立場を異にする相手の醜聞などは、そこに信じるに足る情報が十分に示されていなくても信じてしまいたくなることがあります。なぜならそれを信じることが自分にとって有利に働くからです。逆に、その情報を信じると自分の立場にとって不利な場合は、冷静に根拠が示されているかどうかを検討したりします。

 そういえば、後者の立場は、ネットでは「冷笑」という言葉で表現されることもあります。

 

 疑い続けることはある種の正しい態度であると同時に、不確定な中でも進まなければならない状態を避けているという認識もできます。不確定な中で進むことは踏み外す可能性を高めている状態であり、できれば避けた方がいいとは思いますが、それでも先に進まなければならないことはあります。

 どうしても前に進まなければならないという状態を避けつづければ、ずっと正しい状態を維持することができます。でも、前には進めません。そういう意味で冷笑的な態度は、正しくあるための正解であると同時に、それだけではそもそもの問題が何にも一歩も進まない可能性も大きい態度であるとも言えます。

 この辺りがとても取り扱いが難しい部分でもあります。

 

 必要なのは、何が正しい情報なのかを都度検証しながら、少しずつ分かる範囲を広げ、前に進むことでしょう。正しい情報が誰かから示されるまで動かないことで手遅れになり、結果的に間違っていたと感じることもありますし、だからといっていい加減な都合のいい情報に飛びついて、前に進むことも道を踏み外してしまうこともあります。そのどちらかをえいやと選ぶしか選択肢がないと思うことが良くなくて、どうすれば確かな裏付けとなる情報を得られるのか?ということを考えて少しでも目の前をクリアにしていかなければならないのではないかと思います。


(2)「事実」と「想像したこと」を明確に分けて考える

 自分が認識した出来事について、どこが事実として確認したところで、どこが自分があくまで想像しただけのことであるかを切り分けて認識することは誤解を避ける上で重要です。

 例えば、「同じ会社のAさんと仲良くない」という事実と「ネットに悪口を書かれていた」という事実があったとします。その場合に「Aさんがその悪口を書いたに違いない」という想像が生まれることがあります。その想像はもしかすると正しいかもしれません。しかし、この時点ではあくまで想像したことでしかありません。

 その場合に「Aさんにネットに悪口を書かれた」と心から思ってしまうことは踏み外してしまう可能性があります。なぜならそれは事実ではないかもしれないからです。Aさんが悪口を書いているという想像したことを事実として取り扱った場合、それを誰かに事実として伝えたり、仕返しをしたりしてしまうかもしれません。

 大事なのは、そこは自分が想像したことでしかないとまずは思うことです。人間の想像力はたくましいので、確認した事実同士を想像力で繋げて全く事実ではない認識を生み出してしまうことがあります。そこでは確かに繋げている事実同士は確かなことかもしれません。しかし、最終的に導き出したものは事実ではないかもしれません。

 

 それが起こってしまうのは、想像したことと事実をごちゃまぜに取り扱ってしまうからだと思います。仮説の時点で論文を発表しても信憑性がないように、それを裏付けるなんらかの観測や実験結果は必要だと思います。


(3)ある不確かな情報を信じて行動した場合に、何が起こるかの結果の大きさを考える

 世の中にある情報については、信じるに足るほどの根拠は示されていないが、嘘だと断じるほどの根拠も示されていないという曖昧な領域が広く広がっています。その場合に、何にも信じないということは、情報に踊らされないという意味では正しいですが、それによって世の中の大半のことが信じられなくなったりするかもしれません。

 ならどうするか?という指針ですが、まずはそれを信じた場合に何が起こるかを考えてみることです。もし、次の瞬間に判断をしなければならないのなら、情報に対する冷静さはむしろ足かせになるかもしれません。「オオカミが来たぞ」という声を聞いたときに、本当にオオカミが来たのかどうかの根拠が示されていないと思うのはある種の正しい態度ですが、今逃げなければオオカミに襲われてしまうかもしれません。

 

 もしそれが事実だったとき、嘘だったとき、それぞれに起こりうることが大きければ、不確かな状態でも動いた方がいいことも多々あります。

 あるいは嘘の情報を信じて誰かを殴ったときに、嘘に踊らされていたと分かったとしても殴られた人の痛みはなかったことにはなりません。ならば、もう少し状況がクリアになるまで待ってみるのもひとつの判断です。拙速に行動すると取り返しがつかないことになってしまうかもしれません。

 

 ここで人の信用を失う態度としては、自分が間違ってやらかしたことについて、笑ってごまかそうとするというようなものです。それをやってしまうと、この人は正しさにこだわっているのではなく、自分の利益のために正しさを利用している人であると、以後判断されてしまうので、信用がなくなります。

 やらかしたときには誠実に謝る必要がありますし、それ以前にやらかさないように気をつけることの方がいいなと僕は思っています。

 

 そういう感じに振る舞っていると、インターネットの情報に踊らされて、道を踏み外してしまう可能性は少なくはできると思います。でも完璧にやるのは難しいです。前述のように不確かな状態でも動かないといけないことだってあるからです。

 だからせめて、自分が何かをやらかしてしまったときには、ちゃんと自分が間違ったことをしたということを認めて、謝り、繰り返さないことを約束して、その約束を全力で守るのが大事だろうなと思います。

 

 お気づきになられましたか?最後のは、ハンターハンターのジンの言葉のパクリです。