漫画を描いていると思うのは、人と人が正面を向き合って言葉を交わしている状態で、両方の顔を描く構図はほとんどないということです。重要な会話を描いているのだから、言った側と言われた側の表情を1コマで両方描けると便利だなと思うのですが、どちらかの顔を正面から描くと、向かい合う人は画面の奥側を見ることになるので顔が描けません。
そのため、横から向かい合う絵を描くことになりますが、横顔の場合、正面顔のように読者と目が合わないという欠点もあったりして、結局2コマに分割して描いたりするのですが、リアクションがコマをまたぐ分1テンポ遅れるので、同時にやりたいときもあるんだよなと思います。
そういうことを思っていて、少し前のアフタヌーンに掲載されていた「メダリスト」を読むと、暗い部屋のガラスに室内が鏡のように映り込むという構図によって、向かい合う人たちの顔を1コマで描いていて、問題を解決する構図だ!!と思ってすごく良かったです。工夫次第で描き方はまだ色々あるんじゃないかと思うので、個人的に模索してみようと思っています。
そういう観点で言うと、ニャロメロンさんがよく使う、向こうを向いている人の顔のパーツが顔から少し浮いて見えるようになっているという絵の効果について、これもすごい発明だなと思っています。これはめちゃくちゃ異常な状態なのですが(人の顔のパーツは人の顔から離れて空中に浮かぶことはないからです)、しかし、これによって向こうを向いている人の表情が分かるようになります。
ニャロメロンさんは4コマ漫画を多く描いているので、コマ数を増やすことが難しい制約の中で漫画を描いてきた経験が豊富だと思います。その際に、漫画としてインパクトのあることが起こり、演出上それを見た人のリアクションの顔もあった方が良いが、普通にやると1コマに収めることはできず、リアクションのために1コマ増やすことも4コマの密度を下げてしまう、みたいな制約があると思うのですが、そこを「顔のパーツを空中に浮かせる」というやり方をするだけですべて解決できています。
これは、任天堂の宮本茂氏の言うところのアイデア(複数の問題を同時に解決するもの)でしょう。
問題があって、それを上手く解決できるのであれば、その表現がどれだけ異常に見えても良い方法です。シャーロックホームズも似たようなことを言っていたと思います。
そう思ったときにピカソのキュビズムで、遠近法を放棄し、複数の視点による対象の再構成を行うことの意味も腑に落ちたような気がしました。写実にこだわるのであれば一枚絵では描けないものを、独特の描き方によって1枚の中に押し込めることに成功しています。この描き方でなければ描けないものがあるのだから、そこには意味があります。
また、漫画のコマの中に収まる絵は、ただの一枚絵とは異なり、視線の動きが設計されていることが多いです。基本ルールとしては読者が吹き出しと人の顔を追いかけるものだという性質を利用し、読者の目の動きに合わせて流したりせき止めたりするような線を入れることで止まっている絵の中に動きを表現したりします。なので、遠目に見ると3次元的に破綻する絵があることもありますが、漫画を読む上での視線の動きに合わせて読めば、正しい絵となっていることも多いわけです。例えば、視線の動きに合わせて、カメラも動いており、その動くカメラのとった変化する絵を1枚の中に合成して描いているイメージです。
擬音の文字の配置なども読者の視点を一瞬動かして間を作るように配置したり、様々な工夫の上で描かれているため、例えばアニメや実写にした場合には、吹き出しや擬音の要素がなくなりますし、コマを追う動きもなくなるため、絵としての構図は同じでも絵から得られる情報は異なったりする場合も多く、なので、漫画の構図をそのままアニメや実写にするからこそ、むしろ原作と異なる印象を得てしまう、みたいなこともあるんですよね。
漫画の1コマの絵の中には、複数の時間軸や、複数の画角を入れることができ、それを上手くやる技法を身に着けている人ほど、情報の密度を自在にコントロールができるのでメリハリの利いた漫画を描けるようになると思います。
そういう意味では漫画の絵は2次元と呼ばれたりもしますが、複数の空間軸を同時に描けるプラス1次元であったり、複数の時間軸を同時に描けるプラス1次元もあったりすると思うので、紙の平面上の1つのコマの中に3次元や4次元を描いたりしているとも言えるかもしれませんね。漫画を読んでみるときに、コマが何次元で描かれているかを考えてみても面白いかもしれません。