漫画皇国

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我々は翔丸組に入るか入らないかの話をしてしまう関連

 能條純一の「翔丸」は、暴力的ないじめを受けていた中学生の翔丸が、ある日、自分の頬をカッターナイフで切ることで何かに目覚め、強烈なカリスマ性を発揮する人間として、人心を掌握していく漫画です。

 

 「今なら間に合う 翔丸組に入るんだ」

 

 この言葉が全編を通して拡大し続け、最初は学校のクラスだったものが、学校全体、そしてヤクザ、果ては日本を牛耳る権力者までを翔丸組に入れようとします。翔丸にカッターで傷をつけられ、翔丸組に入ることを受け入れた人は、まるで魔法にでもかかったかのように翔丸組の一員であることを素晴らしいことだと語るようになります。

 僕がこの漫画を最初に読んだのは高校生の頃で、当時の印象としては「よく分からない」でした。そして、今読み返しても感想は「よく分からない」です。でも、ひとつだけ分かるのは、この漫画は強烈に面白いということです。

 

 最後まで読んでも、翔丸組が何の目的を持っているのかは分かりません。そして翔丸になぜそれほどの魔法のようなカリスマ性があるのかも分かりません。この漫画で詳しく描かれるのは、翔丸組に入らざるを得なくなってしまった人々の心の方です。

 ただ、ひとつ明確に描かれているのは、翔丸翔丸組に入らない人たちを、追い詰めているということです。翔丸は人々の心の弱い部分を的確に見抜き、そこに対するプレッシャーをかけます。そして、「翔丸組に入れば楽になる」というメッセージも発します。翔丸組に入らないことは、意地を張っているということになってしまいます。自分が誰かの傘下ではなく、自分自身がその場所の王として君臨することを望んでいた人たちが、どんどん心を折られて翔丸組に入ってしまうということ、その変化がこの漫画の面白いところなのではないかと思いました。

 

 つまりは、群れ同士の争いの話です。「誰がボスであるかを決める」という、群れで生きる人間がどうしても見ないふりをすることができないところに特化し、それ以外の部分を余計な物として排除したような物語ではないかと思いました。なぜなら、大きくなった翔丸組が何を起こすかについて、特に描かれなくても何も問題ないと感じてしまったからです。

 

 「群れが大きくなった先の目的」ではなく、「群れを拡大していく手段」こそが面白さとして描かれているのではないかと思ったのです。

 

 人間はとにかく、他人に対して自分と同じ群れの所属であるかを気にしてしまいます。そして、同じ所属の場合は、群れの中での序列を気にしてしまいます。これは僕自身もその部分があることを自覚していますし、そこから自由になることはとても難しいことではないかと思っています。

 

 世の中の揉め事を見ても、個別の揉めポイントの話以前に、相手が自分と同じ群れの人間かどうかが気にされている雰囲気を感じることがあります。なので、相手が同じ群れである場合と、違う群れである場合で、同じような問題があったとしても、人が言うことや態度や対応が変わってきたりします。

 個別の問題に対して考える前に、その対象が同じ群れかそうでないかをまず考えてしまうんですよね。そこから逃れることは本当に本当にとても難しいことです。

 

 だからこそ、物語の中でも、そこから目を離すことができないのかもしれません。翔丸は、能條純一の作品の中でも、そのエッセンスだけを抽出し、翔丸組そのものは抽象的に描かれることで、こんなによく分からないのにとても面白いという奇怪にも見える話になっているのではないかと思いました。

 この演出力を使えば、その抽象的に描かれている部分に、より具体的な話、例えば将棋や麻雀の話、ラーメンの話などを代入することで面白い漫画を描けてしまうような気がします。

 

 乱暴な物言いですが、翔丸が描ける以上、他の何を描いても人が目を離せない漫画を描くことができるということなので、これはとてつもない凄みだなと思いました。

 

 僕のこの考えも「なんとなくそうなのでは??」と思っただけなので、正しい理屈かどうかは分かりません。能條純一の著作の中に例外だって探すことはできるでしょう。

 そして、この文章も、僕を嫌いな人は「間違っている」という前提でものを読むでしょうし、僕を好いてくれている人はまず「理解しよう」と思って読んでくれたりすると思います。

 

 人間は誰しも、あちらとこちらを区切る境界線を持っていて、そのどちらに足を置かれているかで、様々なことが変わってきます。だからこそ、その境界線を越えるということは、価値観が根本から変わるというとても大きなことなので、人は夢中になってしまうような気がしています。

 僕は翔丸をそういう物語だなと思いました。このように考えると色んな事に説明がつくようになって、楽になるからです。

 

 今なら間に合う、ピエール手塚組に入るんだ。