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「HUNTER×HUNTER」における組織のトップという存在関連

 上手く行っていませんよね。幻影旅団の組織運営。幻影旅団は頭を含めてメンバーを入れ替え可能な仕組みで運営しようとしている団体です。なぜそうしようとしているかというと、そうなることで初めて組織が持続可能なものになるということでしょう。ある人がいなくなったら続かない仕組みではなく、誰がいなくなっても代わりが出てきて持続していく仕組みが求められています。

 それはその目的が、流星街の子供たちを守るためだからでしょう。子供たちが未来永劫守られる仕組みを維持するためには、属人性を排除しなければなりません。

 

 しかしながら、幻影旅団は上手く行っていません。それは団長のクロロを筆頭に、今時点では、とても属人的に運営されているからだと思います。団長がクラピカの念能力によって団員たちと接触できなくなったときにも、クロロの代わりの団長が選ばれるのではなく、クロロを除念によって再び団長にすることが選ばれました。

 幻影旅団は、属人性を排除し仕組みを主として持続可能な組織として設計しようとしているのに、結局、個人に依存する形で属人的に運営されてしまっているのが実情です。そして、それは現実の会社とかでもよくある話ですね。

 さて、なぜ属人的になってしまうかというと、役割を他の人に渡すことができない、つまり、引継ぎに失敗しているということです。会社でもそうです。上手く引継ぎの仕組みを作れていない場所では、どんどん業務が属人的になっていき、その人がいなくなるときまでそれは放置され、いざいなくなるときにトラブルに発展したりします。

 三代続けば伝統、という言い方もありますが、それは最初に始めた人が誰かに継承し、継承した二代目が、次の三代目への継承に成功すれば、数学的帰納法により、未来永劫続くと思えるからだと思います。

 

 団長としてのクロロの役割は、他の団員たちも理解はしており、クロロは劇団だった幻影旅団と盗賊として再編する場合にも、仕組みの話から始めています。クロロにとっては仕組みこそが大事で、人はそのためのパーツであるべきということでしょう。そして、なんでも命じられる便利なパーツが自分自身で、だからとりあえず厄介な仕事を自分に集中させながら仕組みを回し始めることにしたのではないでしょうか?

 

 分かる!分かりますね。その考えや判断や行動は、現代の中間管理職の抱えがちな問題と一致します。僕も会社の中で似たような立場で行動をしているため、クロロの気持ちがすごく分かるような気がしています。

 

 そう考えたときに、現在連載中の王位継承戦編は、幻影旅団の抱える課題を描く場所として用意されたものであるように思えてきました。なぜならば、カキン帝国の王位継承戦は、まさに王という役割を王子に継承するための仕組みの話だからです。幻影旅団が上手く回せていない役割の継承を、カキン帝国は既に回しているという話でもあります。

 だとすれば、カキンの王子が14人なのも、幻影旅団の13人+クラピカと数が一致するのも重ねて捉えられるのかもしれませんね。クラピカが担当するワブル王子を除く13人が王子から幻影旅団になったらおもしろいですね(既に何人も死んでいますが)。

 

 さて、これまでのハンターハンターのエピソードを思い返すと、組織のトップを巡る話が多いことに気づきます。前のエピソードである選挙編では、ハンター協会の会長を選ぶ選挙を行っていましたし、その前のキメラアント編ではキメラアントの王メルエムの姿が描かれました。カキン帝国とハンター協会の選挙の違いは、伝統的で繰り返された実績のあるカキンの継承システムと、新しいルールで選挙を行ったハンター協会の違いでしょう。ハンター協会の選挙は結局、副会長だったパリストンに遊ばれてしまい、ネテロの次の会長となった瞬間に辞職、継承には失敗してしまいます。

 カキン帝国とキメラアントの違いはどうでしょうか?キメラアントの王は女王によってたった一体が生まれ、王位を継承します。しかし、王メルエムは王としての責務を自覚し果たしつつも、自分に来たる死を知った後には生態系の頂点の王としてではなく、個人としてコムギと軍儀を打つ時間を選びます。メルエムにとって王とは運命で、そして、最期のの選択はそれを手放すことでした。

 対比されるように描かれるのが、キメラアントに占領された東ゴルトー共和国の総帥でしょう。彼は、影武者に国の一切を任せ、自分は晴耕雨読の生活を送っていました。それは、王となるべくして生まれたものが、王とならなければならない運命に抵抗する話でもありました。一方で、カキン帝国は十四人の王子の戦いを生き残った者が王となる状況です。

 その中には王になりたいとは望まないものもいますし、それ以前の赤子も含まれます。そして我こそは次代の王になるべきと考える者もいます。彼らにとって王の運命とは呪いであるかもしれませんし、つかみ取る栄光であるかもしれません。しかしながら現国王のナスビ・ホイコーロは、この継承戦は国民の利益のために行うものだと認識しています。王とは一番恵まれたものではなく、国民への奉仕者であるという自覚があるということです。それは彼がそうやって生きてきたということかもしれません。

 

 そして、奉仕者としての組織のトップという意味では、クロロもそうでしょう。優しく利発な子であったクロロは、自分を世紀の大悪党として演出することを選びます。演じる力はあっても彼そのものではない幻影旅団の団長という役割に自分を寄せ、幻影旅団というシステムを設計し、構築し、維持しようと試みます。

 しかし、最初に書いたように、その試みは上手く行っていません。感情を排したシステムとして動かすにはクロロ自身を含めてその運営が属人的過ぎるからです。クロロは上手くやれていないことを気にしているようにも見受けられますし、その上でシステムとして完成させる道を模索しているようにも見えています。

 

 先述のクロロに重なる僕自身の経験をもう少し詳しく言うと、組織というシステムの在り方を考えてそれを実行しようとするときに、それを構成するパーツとしてのちょうどよい人員がいい感じに見つかることはまれです。その場にいる人のスキルに合わせて仕事を割り振りしたとしても、人に振りにくい仕事がその場に残ってしまうことがあります。その場合、それを上手く回すために自分が無理をしてそれをすることがあり、「この場所にこういうことをできる人がいてくれれば」と思ったときに、最速でそれを達成する方法は、自分自身がそういう人材になることです。

 向き不向きに関わらず、それを担うことにした瞬間から仕組みを回すことができるようになります。ただし、属人性を排するために作ったシステムなのに、便利な人材としての自分がその要となってしまっており、自分がいなくなるとそのシステムが上手く回らないという苦しい自覚をしてしまったりします。

 つまりそれは間違ったやり方でした。便利な人間がいるとどうしても属人的になってしまいます。持続可能なシステムを作るのであれば、交換可能な人員のみでそれを作らなければなりません。

 

 そういえば、代替可能な人間でのみで構成された組織として、エイ=イ一家が対比対象なるかもしれません。モレナは恋のエチュード(サイキンオセン)によって、普通の人に能力を与えることができるため、まさに代替可能な人材によって組織を構成することができるようになります。ただし、その中核にはモレナがいるため、その部分だけは代替できませんが。エイ=イ一家は、中央集権的な構造によって現在の幻影旅団の上手く行かなさを乗り越えた集団として捉えることもできるように思いました(レベル100が出れば新たな集団も生まれますし)。

 

 一方で、クロロが目指しているのは自律分散的な組織だと思います。どこかが壊れても別のパーツが代替し、新しいパーツも受け入れて動き続けることができる組織です。そうならないのは人間を人間として見れば見るほど代替可能ではないと思ってしまうことでしょう。

 組織に求められているのは役割ですが、人は役割だけでなく人格があります。役割だけとして割り切るにはクロロと幻影旅団のメンバーたちは仲間想い過ぎるのでしょう。

 

 仲良しクラブであればそれはそれでよかったのかもしれませんが、自律分散的なシステムを理想としてクロロに設計された幻影旅団は、だからこそヒソカを受け入れてしまいました。ヒソカは幻影旅団に属する気持ちはないものの、他のメンバーよりも幻影旅団の理想に近いと思います。ヒソカは、人を一定の価値観で裁くことができるからです。ヒソカが幻影旅団を構成する上での理想のパーツであったために、幻影旅団が機能不全に陥ってしまうというのは皮肉なことです。 

 

 本日発売のジャンプで、クロロは理想の幻影旅団を諦めていないことが描かれました。それはきっと、当初の設立目的である流星街の子供たちを守るという目的が、自分を含めたメンバーがいなくなる程度で達成できなくなることを避けるためでしょう。そんな脆弱なものではなく、属人性を排して自走し続ける完成されたシステムがきっとクロロの理想のはずです。

 そう考えたときにクロロの能力、盗賊の極意(スキルハンター)は他人の能力を盗むものであるということに思い至ります。それはつまり、能力と人格を分離できる仕組みです。人格を分離できない人間が構成しているからこそ幻影旅団が脆弱であったのならば、役割とそのための能力だけをシステム側に置いて、人格は代替可能にする仕組みというのもあり得るのではないかと思いました。

 

 その上でスキルハンターの進化の先を想像するならば、盗んだ能力を別の誰かに付与するような能力ですが、そうなってくると、ハルケンブルクの人格を交換できる能力や、ベンジャミンの部下の能力を自分のものにできる能力との共通点があるように思えますね。

 もしかすると14人の王子には、それぞれ組織の在り方がなぞらえられており、どのような形で作られた組織が最も強いのかというシミュレーション的な戦いを行っているのかもしれませんね。チョウライのお金(っぽい何か)や、タイソンの教典、ルズールスの麻薬や、サレサレの好感度なども人をどのように組織するかの要となるようにも思えます。

 

 まとめですが、ハンターハンターは長らく組織とそのトップの話を手を変え品を変えやっていると思っていて、今やっている王位継承戦編はその集大成であるかのように思えます。

 そしてそれは実は、幻影旅団という存在を描くためにあつらえられた舞台とも思えるなと思ったので、そういうことを書きました。