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実証を伴わない仮説こそが最強の創作論関連

 皆さん!創作論していますか??

 僕はしています。日々色んな創作論を考えては話したり、自分が描いている漫画に反映させたりしています。

 

 さて、最強の創作論ってなんだと思いますか?僕の考えではそれは、「創作をしない人の創作論」です。創作をしない人の創作論は、つまり、その論の内容を「実際に試してみて結果を確認する」という実証の部分が不足しています。つまり仮説の域に留まっている創作論なんですね。

 仮説というのは実地で十分に検証されていない論理です。検証をされないということは、それが正しいか間違っているかはまだ分かりません。検証されていないために何を言っても間違っていることにならず無敵です。それゆえに最強の創作論です。

 そして実証を経ていない仮説は、実際の創作に対しては役に立ちません。なぜなら本当にそうか分からないからです。

 

 役に立つ論理とは、何度も繰り返して実行され、そしてそのたびに想定通りの結果の出るもの、つまり再現性があるものです。再現性がないのであれば、既に出ている結果に対して見た感じそれらしい理屈をつけているだけで、正しくはありません。

 

 この話は何度もしていると思いますが、売れている漫画が売れている理由や売れてない漫画が売れていない理由の話はこのような再現性のない創作論になりがちです。論自体が試されて、結果が出ているわけではなく、今出ている結果に合わせて、逆算的に論を組み立てているだけでは、仮説の状態で留まってしまうからです。

 

 それを実際に論として検証するためには、そこで言われた「売れている理由」を再現した創作で実際に売れる作品を作ってみせたり、「売れていない理由」を排除した捜索で実際に売れてみせたりすることが必要になります。あるいは、同じ理由を満たしているのに別に売れていない漫画を見つけてくれば、その仮説が少なくとも常に正しくはない、例えばてんで的外れであったり、あるいはまだ他の必要条件が隠れていることが考えられ、不完全であることを示すことができます。

 

 僕がこの辺について頻繁に考えているのは、僕が長年漫画ファンであり、その上で何年か前から漫画を描くようになったからです。僕は漫画ファンとして、色んな作品の感想を書いては「この漫画が面白いのはこういう理由だから」という仮説を沢山書いていたので、仮説のストックが沢山あります。

 それらの仮説の創作論を、自分が描く漫画に適用してみることで実証しようとしている、あるいは、実証して想定と異なる結果であったために仮説を修正してまた試すなどの試行錯誤をしているのが近年の状態になります。

 

 このように僕は、自分の立てた仮説を自分自身で実際に試して修正することを繰り返しているため、他の人の立てた仮説に対しても、なんでまだ実証していないのにその話を確定した事実のように取り扱えるの?という気持ちを持ちやすい状態です。

 

 この辺の話は、野球のファンが、プロ野球選手の打ち方に対して偉そうなことを言うような話だし、それは別にていいのでは?と人に言われることもあり、僕も別にそういうことを言うのはいいとは思います。

 なぜなら、誰もがプロ志望なわけではなく、そういう実際に再現性がある厳密な話をしたいわけではなく、居酒屋で親しい友達と話しているように適当なことを言うのは、別にいいじゃないかというのも実際そう思うからです。でも、そのつもりで言って欲しいと思っていますし、自分が言うときもそうだなと思うようにしています。

 

 この「そのつもり」というのは、例えば、学術的な先端研究をしている人に対して、その分野で論文ひとつ書いたことないのに、独自の永久機関理論などを提示してなぜこれができない?と偉そうにものを言っているような感じの人に自分がなっている、とちゃんと自覚するべきだなということで、そんなめちゃくちゃなことを「自分はプロじゃないんだから仕方ない」と許しているだけだというように思った方がいいなと思います。

 そうやって自分の言説の価値をゼロと自覚することで、人は自分を許しやすくなります。

 

 僕は何かを作っている人が創作論を考えたり語ったりすることは良いと思っています。そもそも僕は凡才なので、感覚で何かをつかんで作ったりすることができず、理詰めでお話を作っているのだから、その理詰めの部分を話せばそれが自然と創作論になってしまいます。創作論をやるなということは、僕にとっては創作を辞めることと同じです。

 自分が仮説として立てた創作論を自分で試して実証してみたり、あるいはまず実証してみて上手く言ったものを理論としてまとめてみたりをすることは、特に凡才の創作者にとってとても有用なことだと思っています。

 

 創作論は検証されていない仮説状態に留めてしまうと、最強ですが何の役にも立ちません。自分で作っている人は、仮説のままの創作論にハマりこむと苦しくなるのだと思っています。意味のないことに囚われてしまうからです。

 しかし、検証さえしなければ仮説の創作論は最強なのでつい手を伸ばしてしまったりもするかもしれません。でもそれだと作る上では役に立たないんですよ。強くなくとも、自分で何度も使って修正を重ねて鍛えたものの方がきっと役には立つはずです。

 

 最強の創作論は最悪の使い方もできます。その創作論を他人の創作物に当てはめて評価に使うことです。

 例えば、「良い漫画とはAという条件を満たしたものである」という論があったときに、何かの漫画を見つけては「これはAという条件を満たしていないから悪いものである」と簡単に言うことができます。しかしながら、「良い漫画とはAという条件を満たしたものである」というものが実地検証されていない場合、仮説でしかなく、それが正しいことは何も示されていません。

 しかしながら、評価を勝手に下された方は、そんな根拠もないことを後ろ盾にいして、自信の作品が劣ったものであるというような評価を下されることになります。

 

 もし、この仮説の創作論を真に受けて、そうだこの人の言うようにこれからはAという条件を満たした漫画を描こう!と思ったとします。でも、Aという条件を満たしたからといって良い漫画になるかどうかは全然検証されていませんから、良い漫画ができることは全く保証されていません。逆に迷走してしまい作れなくなるかもしれません。

 そうなってしまうと、何にも良いことがないですよね。

 

 これは、創作者以外の話を聞くなというようなことではなく、「その創作論が検証されているものなのかどうか?」という部分に着目した方がいいという話です。仮に仮説を元に自分の創作物になんやかんや言われたとして、じゃあ自分でそれを検証してみるかと思って役に立たないと分かったら、役に立たないものだなと思って次に行きやすくなります。実際に役に立てば、役に立ったなと思って取り込めばいい話です。

 検証されているかどうかで採用するかどうかを考えた方がいいという話です。

 

 まとめとしては、創作論ベースに創作をやるのであれば、自分で試したことのあるもの、それで実際に上手い結果がでたものを寄せ集めて、色々修正を重ねながら「こう作ると良いらしい」という自分で実地確認して再現性のあると感じられた創作論に落とし込んでいくことが重要だと思います。

 一方で、検証をしなければその創作論を最強を維持できるので、自分で作るのでなければその最強の創作論を元に、他人の創作物に対してなんやかんや言えばいいですし、言われた側は、「検証されてない仮説の創作論を元になんやかんや言われてもね」と流せばいいだろうなと思っています。

 

 そういう話です。