漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

誰かの模倣で人気者になりたい欲関連

 この前に人から聞いた話では、特にSNS上で散見される欲求として「誰かの模倣をして、特別な人気者になりたい」というものがあるとのことです。確かにその視点で見ると、それはあるなと思うというか、自分もそのようなことをしていることに気が付きます。

 

 特に動画の分野では、誰かがやってウケたことを自分もやってみるという動画が勢いよく広がっていくのを目にします。皆が知っている歌を歌ってみるのもそうでしょう。写真でも絵でもテキストでも、そういうことは当然あります。皆が撮っている写真を真似したり、流行っているテーマや構図、二次創作の絵を描くことや、こういうときにはこういうテキストをコピペすればよいというような、その模倣が繰り広げられています。

 

 なぜ模倣をするかというと、理由の一つは「そのやり方に実績がある」ということだと思います。世間で一度以上ウケた実績があると、その模倣をすれば再びウケる可能性が高いと感じられやすいということです。自分が全くのゼロから考えたウケるかどうか分からないものでは、めちゃくちゃスベッてしまうかもしれません。実績がないからです。やったところで誰の理解も得られないかもしれません。

 つまり、有名な何かの模倣であれば、少なくとも「ああ、あれね」という一定の理解が保証されやすいと思います。そのため、すでにウケた何かの模倣をする人が多くいるのではないでしょうか?

 

 人は「自分という人間には特別な価値がある」と思いたい傾向があるものだと思いますが、その意味では「模倣する」ということはそこに反しているようにも見えます。なぜなら模倣をすることは、沢山の模倣者のうちの1人として自分を埋没させてしまう行為だからです。しかしながら、スベってしまうことを考えた場合は、その埋没が救いになることもあります。なぜなら、自分のオリジナリティのあることでスベッてしまうということはたったひとりでスベッているということで、それはつまり特別に劣っているという話になってしまうからです。そのために避けたいことでもあるでしょう。

 

 それゆえに、「自分独自のことで試されることは避けたい」が「他人よりも優越していると認められたい」という、相反する欲求の落としどころが、「模倣によって人気者になりたい」という行動として立ち現れてくるのかもしれません。何かを模倣する人も、ひとつひとつは流行りの模倣かもしれませんが、その集積によって評価を得た場合、それは「その共通点であるところの自分の評価である」という話になってくるかもしれないからです。

 

 とはいえ世の中はそんなに調子よくいくことはなく、大半の人は人気者の真似をしているだけの特にウケていない人という感じになってしまうようにも思いますが。

 

 模倣をするということは人の目を集める上では、きっと効率のよいことです。例えば、漫画を描いてみるにしても、オリジナルの漫画を描いても最初に読んで貰うところにすらなかなかいかないかもしれません。でも、二次創作であれば、ジャンルやキャラクターという流れで人の目に留めてもらいやすくなります。

 学生バンドでも、皆が知っている曲をカバーすればまだお客さんが盛り上がってくれるものの、オリジナルの曲は全然ウケないなどのこともあります。

 

 「知らないものが知っているものに変わる」という部分にはおそらく大きなエネルギーが必要で、そこを自分のオリジナルで乗り越えるのはとても難しいことだと思います。なので、既に知られているものに接続する形になればそこで必要なエネルギーが節約されるのではないかと思いました。

 

 こういうことを考えていると、無名の人間が人気者になるためには、まずは皆が知っている何かに接続するような活動をするといいように思います。二番煎じ三番煎じでも、まずは皆が知っている何かと接続する形の表現をして、そちら側が知られているということから、自分のことを知ってもらうきっかけにしていく、みたいなやり方が有効なのかもしれません。

 一方で、それをやり続けてそれなりに知られるようになったときに、でも、実は皆が自分の活動に興味を持っているのは、その既に有名な方への興味が強いからで、自分自身に興味をもっては貰えていないという部分で悩むようになるかもしれません。

 

 同人誌でも、二次創作でそれなりに売れていた人が、コミティアでオリジナルの漫画を出すと全然売れなかったという事例を聞くことがたまにあり、その人気は二次創作の題材となった作品の方にあったということで、作者自身への興味はまだ十分に育っていなかったと解釈することができます。

 

 少し話はずれますが、何かの作品のレビューを長年やっている人も、マイナーな作品の良さを伝えたいというモチベーションでやっていたりするものの、メジャーなものを取り上げたときの方がずっとアクセス数が増えると言っていたことがあり、僕自身も同じような経験があります。

 個々の作品に向き合う姿勢は同じであったとしても、そのレビューに対する注目は、作品そのものの注目度に左右されます。仮に自分のレビューが大きな注目を集めたとしても、自分自身が注目を集めているのではなく、作品が注目を集める人気作であるからと解釈しておいた方が、そのギャップに苦しむことは少なくなるかもしれません。

 これも模倣をするということと構造的には同じ話なのではないかと思いました。

 

 既に人気のある大きなものに接続するということが、人の注目を集めやすい行動であって、人気者になりたいときには正しいやり方なのだと思います。そして同時に、それ自体は自分自身の人気ではないと思っておかないと、そのギャップにつまづいて傷ついたりすることがあるので、そのあたりのハンドリングが必要なのかもしれませんね。オリジナルのものが人気を得る試みの大半は失敗すると思いますし、それが人に気づいて貰えるまでにも時間がかかったりします。

 そういう部分を意識しながら自意識をコントロールしておくのが、取り分けSNSのような場所で何かを表現する上ではいいのかもしれないなと思いました。