漫画皇国

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他のSNSはできないがTwitterはできる関連

 Twitterが好きか?というと好きだと答えますが、Twitter上で展開されている文化については帰属意識はなく、むしろ苦手意識があることも多くて、そういうものにはあんまり関わらないあたりで好きなように活動をしています。

 それ以前の話では、mixiなんかはアカウントはあったもののあまりできなかったんですけど、Twitterはできたので良かったなと思っていて、何でかを考えると、僕はきっととにかく他の人と足並みを合わせるのが苦手なのだなと思います。

 

 Twitterは、なんとなくゆるやかに話題で連携していつつも、皆が思い思いのことをやっているのが楽で、別に急に思ったことを書いてもいいし、そういうことをノイズになるから書くなと言ってこられることもありません。自分のペースでやってよく、それを他の人がその人のペースで読むぐらいの感じです。

 だからリプライとかはほとんどしません。話しかけられたときも反応ができないことが多いです。他の人と足並みを揃えることはできるのはできますが(会社ではやっているので)、それが常に必要な場所となると、やらなくても問題ない場所でありという僕の中での価値が減っていきます。

 

 皆が3歩で歩く距離を5歩とか4歩とかで、ときにいきなり2歩とかでゆらゆらしながら歩いているので、自分も周りに合わせて3歩で歩かなければ…と思うと緊張して疲れてしまったり、歩くのをやめてしまう可能性があります。

 

 自分が好きなようなことを好きなタイミングでしてよいということがTwitterとして好きな部分で、それ以外はTwitterの好きなところは、好きな人がいるというのが大きな部分です。自分がこの人は好きだなあと思っている人たちがいるのが大事で、そして足並みを合わせずとも放っておいてくれるのなら、Twitterでなくともいいという話になりますね。前者を諦めるなら、メモ帳に思ったことを書くのでもいいです。昔はそうしていたので。

 

 Twitterは楽しいです。誰かが何かの替え歌をし始めると、タイムラインのそれぞれが同じ歌の替え歌や、以前にしたとっておきの替え歌をセルフリツイートしたり、食べ物を見せ合って、見せてくれてありがとうとお礼を言い合ったり、自分の中で面白い話、たとえば「数字助け士(助六を作る士業)」や「悪霊炊飯器(悪霊の力でご飯を炊く家電)」などの存在しないもの話を、できるタイミングだ!!となるとウキウキしながらしてしまったりします。

 自分が今この瞬間に思ったことを、何も気にせず書いていいということが本当に楽しいんですよね。

 

 コロナ禍の最初の1年は、本当に人に会っておらず、リモートで働いて、会社に出社もほぼしていなかったのに、不思議と孤独感はありませんでした。それはTwitterで人が目にいる範囲にいるのを見ていたからだなと思っていて、こういうのに本当に助けられてきたなと思います。

 基本的に独りでいるのに、なんとなく周りに人がいる風に使えるTwitterが、僕が唯一できたSNSなので、もし無くなったときには、同じような場所を自分に見つけることができるのか不安になります。

 

 あと、最近は漫画の宣伝に便利だから使っている部分もあって、Twitterが無くなった場合、次はどこでやるのがいいのかは考える必要があります。日常的に使っているSNSで好き勝手宣伝できるのは便利でしたが、そうでないなら面倒でやれなくなるかもしれません。でも、僕は漫画家としては無名も無名なので、まずは人に知ってもらうということが必要です。面白いとか面白くないとか思って貰う前に、まずは読んでもらうことが必要で、その前に存在を知って貰うことが必要です。

 そういう意味ではTwitterは結構いい場所であってきたなと思います。

 

 Twitterでは日々揉め事が目に入ります。そこに嫌だなと思うことも多いですが、それはそれだけ複数の価値観を持つ人がそこにいるということでもあります。同じ価値観の人だけで集まっていればぶつかることは少ないでしょう。でも、広がりもありません。

 自分の漫画の存在を知らない人に知ってもらうということはとても難しいことです。知っている人に対して宣伝しても、知ってるよとなるでしょうし、知らない人に辿り着くのは知らないのだから伝達経路がなく大変です。

 色んな文化圏が隣り合うように共存するTwitterは、その壁を超えてくれることも多くて、何かでバズったときに、宣伝したいので宣伝します!とぶら下げると、それまで僕の漫画の存在すら見たことのない人が目にしてくれて、買ってくれたりします。

 こういうのは仲間内のDiscordなんかでは起き得ないことで、様々な文化圏、価値観の人がフラットな仕組みの中で繋がっているということの意味だなと思います。

 

 色んな人がいることで僕もたまに色んな人に発言を怒られたりもしているのですが、まあそういうのも社会だろうと思いますし、怒っている人は怒っている人の中での理由がちゃんとあるのだし、怒って当然だろうなと思うことも多いです。いや、別に怒られたくはないのですが、そういうこともあるだろうなと思っています。そこで自分を改めることもありますし、改めないこともあります。

 

 散漫になってきましたが、Twitterは誰かと足並みを揃えなくてよい、Twitterには僕が好きな人たちがいる、Twitterは日々小競り合いが目に入るぐらい色んな文化圏の人がいるので漫画の宣伝に便利、の3点ぐらいが僕にとってのいるメリットになっているので、この3点が満たされればTwitterでなくてもいいですし、この3点が満たされなくなれば、Twitterにいる意味がなくなってくるので思ったことをメモ帳に書くのにでも戻ります。

 さて、今後どうなんでしょうね。