漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

関係性による加害性の発現の危惧関連

 僕は会社では中堅社員の管理職で、自分がリーダーになっている組織にはそこそこの数の人がいる立場なので、そこのメンバー、特に若手と話すときに色々気にする必要があるなと思って日々やっています。正直なところ、僕は自分があまり有能な人間ではないという自己認識があって、若くて元気な社員の方が自分よりよっぽど能力があると思っているため、彼らの能力を十分発揮させることが大切だろうなと思っています。

 

 そこで気にしているのは、僕自身の言葉の力です。僕の言葉が彼らに強く作用し過ぎないようにしたいと思っています。

 つまり、僕は自分があまり場における正しさを司り過ぎることがないように心掛ける必要があります。例えば、色んな人たちのA、B、C、Dの意見が実際にあるときに、僕がEでしょと言えば、Eになってしまうという状況がよくないなと思います。その状況が続いてしまうと、本当はABCDの意見があるのに、それを表明することをしなくなり、下手をすると最初から考えることもしなくなり、僕が何を言うかだけを待たれることになってしまいます。

 僕は、僕よりも優秀な人たちと一緒に仕事をしているつもりなので、それはよくないです。僕の正しさが組織の考えの上限にならないようにしたいと思っています。

 

 メンバーには僕よりも年上の人も何人もいて、その人たちとは割と話しやすいです。なぜならば、その人たちは僕よりも年上で社歴も長いので、命令系統としては僕が上の立場でも、それ以外の部分では向こうが上のことも多く、バランスがとれていると感じているからです。僕からの尊敬の念も表明しやすいですし、お互いに気兼ねなく発言をできる場を維持できていると思っています。

 

 一方で、若手に対して注意をしなければならなくて、僕の方が年齢も社歴も上で、なおかつ僕は彼らに指示を出し評価もする立場なので、彼らにとっての僕の影響力は強く出やすい状況です。なので、もしかすると僕が言ったことが彼らにとって、正しくなり過ぎるのではないかという懸念があるため、そんなことにならず、自由に意見を言って貰える環境にしたいなと思って日々行動しています。

 具体的には例えば、新入社員に対してでも敬語ですし、向こうが言ってくれた言葉には何らか応えることで、言って損したと思わないようにしてもらおうとしています。出してくれた意見はできるだけ場に上げたいと思いますし、質問されたことには答えます。答えられない質問のときには、分からないということを申し添えます。意見の問題点を指摘するときも必ず根拠を添え、その根拠がどのような価値観のもとに生まれているかの説明をします。また、価値観は日々の状況によりアップデートされていくものなので、その正しさを疑うことも重要であるという感じに話しています。

 ただ、これはまだまだ不十分かもしれません。

 

 僕は、僕よりも有能な人たちが気持ちよく仕事ができ、僕一人の考えで出せる以上の結果を組織として出せることが重要だろうなと思っていて、それが組織として求められている強さとなるのではないかと思っています。

 

 思い返せば、学生時代の後輩でも、僕のことを何らかの意味で尊敬してくれている人と話すのが苦手でした。なので、僕のことを小バカにしてくる後輩とばかり遊んでいた記憶があります。それは楽だからです。僕の発した意見が、相手に強く作用し過ぎないことで、僕は気兼ねなく何でも発言ができるようになります。

 ただし、相手にバカにされる態度を取られればその人を好きになるか?というのも違っていて、やっぱりその裏にはある程度のこちらへの人間的敬意があり、その上で、僕のダメなところを指摘しても受容してくれているというか、それは結局相手に甘えてるって話かもしれませんね。

 

 そういえば、僕は漫画の仕事をするようになって、色んな出版社の色んな編集部の色んな編集さんと話すことが増えましたが、今のところあまり失礼なことは言われたことがありません。ただ、色んなと言ってもトータルでは多分20人程度なので、編集者の全体の量からするとごく一部かもしれませんが。

 その理由を考えたときに思ったのは、僕がサラリーマンのオッサンだからということと、僕は自分から持ち込んでおらず、向こうから連絡をくれたところと話しているだけだからかなと思うところがあります。

 

 つまり、漫画家と編集者のパワーバランスに関係する要素としては、大きく以下の5つぐらいがあると思います。

①描きたいvs描いてほしい

②漫画力が高いvs漫画力が低い

③年齢が上vs年齢が下

④生活がかかっているvs生活かかっていない

⑤腕力が強い男vs腕力が弱い女

 

 僕の場合は、①向こうから描いてほしいと思って貰えている話だけ聞いていて、②漫画力は低いかもしれませんが、③年齢も僕の方が編集さんよりも上だったりして、④なおかつ漫画が描けなくても生活には問題がなくて(会社員だから)、⑤男であるという部分が、パワーバランスとして向こうに全然負けていないので問題がない可能性があるなと思います。

 

 なぜそう思うかというと、漫画を描いている友達から編集者からパワハラやセクハラを受けたという話を聞くことがあるからです。

 

 そういったケースでは例えば、①自分が描きたくて持ち込んでおり、②漫画力はまだ低かったりして、③年齢も編集者が年上で、④仕事がとれないと生活がかかっており、⑤向こうは男でこちらは女、という状況だったりします。

 

 その場合、編集者側のパワーがとても強いので、編集者側は自由に発言し、漫画家側は自分の考えていることをそのまま表に出せないかもしれません。そのような非対称な関係性では、普通なら踏み越えないような部分を踏み越えてしまう可能性があり、それがパワハラやセクハラとして出てくる場合があるんだと思います。

 もちろん、そのような人はごく一部であると思いますが、社会にはそのような行動をとる人の話が一定割合であり(出版業界に限らずどこにでもある)、それが行動として出やすい条件が整ってしまうと、出てくる可能性が高まるんじゃないかなと思っています。

 しかしながら、そのような良くない編集者でも、僕と相対したときにはそのようなことにはならないかもしれません。なぜなら、僕側のパワーが負けていないからです。

 

 自分にとっては良い人が、別の人にとっては酷いことをしているということは、社会のそこかしこでままあります。なので、その場合に自分が酷い目にあっていないのは、その人の酷い側面がたまたま自分に対して発現しにくい状況となっているだけかもしれません。また、その酷い側面がその人の本性だとも僕は思っていません。一側面です。その側面が発現しやすい条件が整ってしまった不幸というのもきっとあるのだと思います。その条件さえ整わなければ酷いことをしなくて済んだ人が、条件が整ってしまうことでしてしまうことはとても悲しいことだと思います。

 してしまった以上は、法に則った報いを受けることが正しいだろうなと思います。

 

 まともな人ならば、そのような自分が一方的に有利な状況でも、それが加害性になり得ることを認識するものでしょう。そして、その加害性を発現しなくて済む状況を自ら作ってコントロールするものではないかと思います。僕自身も、最初に書いたように自分の発言が若手に対する加害に繋がることを危惧していて、それが発現しないようにすることこそが「まとも」だと思っているので、自分の中でルールを作ることで、自分の言葉が相手に対して強く作用し過ぎないような工夫を色々しています。

 

 「交際相手のお店の店員さんに対する態度を見ておくこと」などのアドバイスも世の中にはあり、それは、自分が優位な立場になったときに、その人がどのような振る舞いをするかが気になるポイントだということだと思います。ただし、前述のようにそこでの振る舞いが良くない場合でも、優位にしなければそうはならないと思うので、パワーバランスが適切に保てれば良い関係性のままやっていけるかもしれません。

 

 僕はそういうことをしてしまう人が特殊な悪い人であるとも思っていないんですよね。なぜなら、自分の中にもその要素がないかと言ったら、ないとは言い切れないですし、あるんじゃないかと思いますし、それは人間の弱さじゃないかなと思うからです。

 だから、こういったことを特殊な人の特殊な問題ということにせず、人はそうなり得るものだと思って、人と人との付き合い方のレベルでそれが起こらないようにどうにかしていけると良いのではないかと思っています。

 

 昨今は「心理的安全性」などの言葉とともに、人が自由に言葉を発揮しやすい環境であるかを気にしてくれるようになってきました。それを僕はかなり良い傾向だと思っています。

 そうやって、それぞれの人が自由に発言ができる場所を作り、そこであんまりしんどい追い詰められ方をしないように仕事と生活をやっていけたらいいよなと思っています。