「恋のジンロゲーム」の連載が終わり、上下巻が同時発売しました。全12話と最初から決めて始めた連載だったため、大体思った通りの内容として描けたので、個人的に満足度の高い連載になったと思います。
「恋のジンロゲーム」はラブコメのメタのようなコンセプトの漫画です。恋愛が不得手な少年が、複数の女の子に好かれるという状況の裏付けとして、そういうゲームが開催されているという内容です。主人公は3人のヒロインの中から一人の恋人を選ばなければならない。しかし、その中には人間ではない、ただ主人公に都合よく振る舞うだけの化け物が含まれており、その化け物を恋人として選んでしまうと人類が滅亡するというゲームです。人間がただ自分に都合がいいだけの虚無の存在を選ぶのであれば、人間社会の未来はないと思った存在が、そこを試すためにこのゲームを開催します。
なので、主人公は3人のヒロインの心を理解していくことで、人と人との間に生まれるものがあることを示し、人類滅亡を阻止する責務を背負わされるというような物語です。
ここから描くことは漫画を描く上で考えていたことですが、ここに書かれたように読むことが正解という話ではありません。物語の読書体験は、物語とそれを読んだ人との相互作用の中に生まれるもので、その体験が作者の意図とは異なっていても全て尊重されるべきものだと思うからです。一方で、僕は今から書くような気持ちでお話を書いていて、そこにすれ違いがあれば、それも面白いものだと思ってください。以上、免責です。
さて、僕は漫画を描くときにはテーマを決めることが多いです。それは別になんか高尚な話ではなく実利的な話です。僕はお話作りが苦手で、すぐにあっちゃこっちゃ話が飛んでしまうので、お話の芯となるものを決めておくと全体としてお話のまとまりがよくなることからテーマを設定しています。
今回のテーマは、「恋は愚かであり、愚かに恋をしていこう」というものでした。
本作の企画を立てるときにあったのは、「恋愛経験のない若者が増えている」という話でした。これは若者の問題として捉えられているように思いますが、僕の捉え方としては、若者が恋愛をしなくなっているのは、「若者が賢くなっているから」じゃないかと思います。つまり、「賢く良識的であるからこそ、恋愛という愚かな行為を避けるように行動してしまう」という理解です。
人と話していて思うのは、「恋愛を積極的に拒絶してきたわけではないけれど、自然に振る舞っていたらこの歳まで恋愛経験がないままに過ごしてきた」という人が結構いることです。自然に振る舞っていたら異性からアプローチされるということがなければ、恋愛に必要なの異性に向かう積極性です。特に一般的な男性は、自然に振る舞っていて女性からアプローチされるということはまれなことだと思うので、その状態でいたら恋愛に至らないというのは理解ができることです。
では、なぜ積極的に至らないのかというとリスクがあるからだと思います。リスクは2種類です。自分が傷つくリスク、そして相手を傷つけるリスクです。前者は分かりやすく、好きと言って振られてしまうことが怖いということです。そして、後者は特に近年具体的に語られやすいことになってきたように思いますが、自分の好きという気持ちは相手にとって迷惑になると認識するということです。
積極的なアプローチのベストな結果は、自分が相手に受け入れられ、自分の恋愛感情からの好意を相手にポジティブに受け取ってもらえるというところだと思いますが、そうならないことも多いです。であれば、好きな人を持たなかったり、誰かを好きになっても最初から積極的なアプローチをしないことが、期待値的にはベストの行動となってしまうように思いました。
つまり、「誰かを好きになり、その恋愛感情をもとに相手に積極的にアプローチをする」ということは期待値的には愚かなことであって、リスク管理をできる賢さがあり、そして、自分の行動が相手にとって良いことなのかどうかを考えられる良識があれば、誰かを好きだと思っても何もしないということがベストな好意として浮かび上がってくるのではないかと思いました。つまり若者の恋離れです。
ただし、これってかなりゼロイチのデジタル思考であって、本当はその中に無数の価値判断と選択肢があると思うんですよね。なので、恋愛離れという状況において、その辺りを描くとお話ができるかなと思ったのが「恋のジンロゲーム」の企画の成り立ちです。
自分が傷つくのが怖いのも、他人を傷つけるのが怖いのも、共通するのは「相手の心が分からない」ということだと思います。でも、これってどうしようもないところがあって、人間と人間には心を直結して理解する機能がありません。
近年それで思い当たることが2つあります。ひとつはAIです。AIとのやり取りの中で、文脈に合わせたそれらしい言葉を生成しているだけのAIに何かしら感情的なものを見出す人が出てきています。もう一つは2次元コンテンツです。漫画やアニメやゲームのキャラクターなど、実在しない存在に対して、まるで生きているかのように感じ、心の大きなところを注ぎ込むことができます。
これらは両方とも人間の不完全な認知能力が生み出しているものだと思います。人間の心が分からないからこそ、人はそれを理解するために人の発する言葉や表情、態度や行動について観察をします。そこから得た情報を使って、不完全な他人を自分の中に構築して理解しようと努めます。
一度も話したことのない相手に恋をしてしまうということがあると思います。それもまた、外から眺めたその人に対して、こうなんじゃないか?こうあってほしいというような断片から想像したその人の人物像に対して恋をしているということだと思います。その人自身とは異なる、自分が想像したその人の人物像に対してです。
それはきっと自分勝手な独りよがりを相手に押し付けているだけの勘違いで、しょうもなく、押し付けられる側からすれば加害的に感じられることでしょう。
見える範囲も取れる手段も狭い若い頃は特にそういった独りよがりな恋に陥ることが多いと思います。そして若い頃に若気の至りでそのような失敗をして人は自分を改めて成長していくものだと思います。しかし、現代では情報が手に入り過ぎてしまうため、自分の行動が異性に対してどう思われてしまうかとか、こういう痛い失敗をした人がいるという情報を得てしまい、早く賢くなってしまうために失敗もできないままに大人になってしまったりすることもあるように思います。
中学二年生なのに、中二病は痛いから中二病にならないようにしようとしてしまい、中二病になってもいい最初で最後のチャンスすら逃してしまうようなものと同じです。
僕は独りよがりの経験って通過儀礼みたいなものだと思うんですよね。この人はこうに違いないと思い込んで、それを信じてしまったりするものです。実際には、それは存在しないものだったり、間違いだったりすると思うんですけど、それが分かったときのショックな気持ちも、それを乗り越えたあとの成長も、生きていく上での重要な経験なのではないかと思っています。
なので、主人公の桃田くんには世界の存亡を人質にして、そういう体験をしてもらうことにしました。
本作を描く上で、下敷きにしたものがあります。それは1994年秋のアフタヌーン四季賞四季大賞受賞作「機械婦のいた街」です。この作品は、機械仕掛けの売春婦に入れ上げる男の話です。そして、主人公が人間のように愛した機械婦はただ客の望む通りに動いていただけのメカニズムでしかないことが分かります。
この作品を僕は中学1年生のときに雑誌で読んでとても印象に残っていたのですが、主人公が真実だと思ったものは虚構でしかありませんでした。しかし、虚構に感じた主人公の心は果たして無意味だったのでしょうか?
自分の独りよがりな気持ちを他人に投影して好きになるのは恋の一側面です。ならば主人公が機械婦に感じた気持ちは、人間が人間にする恋とどれほど違うのでしょうか?それは果たして無意味だったのでしょうか?
そういう読書体験があったので、それを元に「恋のジンロゲーム」は描きました。
ジンロゲームに登場する化け物ジンロは、人間の心を読み取って望まれる通りに振る舞う生物です。人間社会に寄生するためにそうしているだけで、人間のように心があるわけではありません。読む中で彼らに感情があるように思える場面もあるかもしれませんが、ただ目の前の誰かに合わせるように機械的に振る舞っているだけのものとして作中では描いているつもりです。そしてそんなジンロに、人間が人間の心のようなものを見出したことは無意味ではないように描いています。
だって、それは人間と人間のコミュニケーションとどれほど違うのだ?というのが本作で描いていることです。結局他人の心なんで分からないのだから、人間は目の前の何かから他人を想像して生きていくしかありません。結局大した差なんてないように思います。そして、目の間の情報に合わせて行動を決めている人間は、ジンロとどれほど違うのだ?ということも描いています。
人間は不完全な生き物で、不完全ながら賢くなってしまったために、社会の再生産としては機能不全を起こしているように思います。具体的には少子化によってゆるやかに滅亡に向かっているのでは?と感じています。実際、僕自身が結婚もせず子供も持たず、人口の維持という部分には直接的に貢献しない生き方を選らんでいますし、現代の社会はその選択を尊重してくれています。
僕自身としては、人間には滅亡するということをポジティブに選択しても別にいいんじゃないかと思っていて、それと矛盾するようですが、人間が生きようとすること増えようとすることの強さも素晴らしいことだなと同時に思っています。その辺の考え方を作中の天使と悪魔に振り分けて話して貰っているので、この物語世界そのものが僕の内面にある葛藤の投影になっているように思います。
とりとめがなくなってきたので終わりにしますが、本作は「人間は賢くなったので恋とかしなくなるだろうな」という僕の認識がまずあって、とはいえその賢くあることが人を苦しめている側面もあるので、じゃあ「愚かでもいいんじゃない?特に若い頃は、愚かに行動することがその後の人生をより良くすることもあるだろう」という感覚が投影されている物語です。
愚かであることを怖れすぎずに、失敗を重ねながら自分が幸せになる道を人は選べるようになってほしいと思えるような物語として描きました。人間は自分の中で他人を想像することしかできませんが、だからといって他人と接することが無意味だとは思いません。そうやって勝手に想像した他人と、そうではなかった現実の繰り返しの中で、生きる上で大切な何かを掴んでいくようなものではないかと思っています。
僕はそれを「恋」と同じメカニズムだと思っていて、人は生きていく上でそのような「恋」の経験をしていく方がいいのではないかと思って、その後押しになるようなものとしてこの漫画を描きました。面白く描けたと思うので、よかったら買って読んでみてください。
なぜかAmazonでは2巻が紙と電子が分かれて登録されています。


