漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

昨日より今日はちょっとマシになる関連

 昨日の話の捕捉みたいな文章です。

mgkkk.hatenablog.com

 昨日の話は、漫画家志望の人に対して、よってたかって「一作描けなければ才能がない」みたいな話がされているのを目にして、そんなこと言われたって別に描けるようになんかならないだろと思って、漫画家志望者の人も言われた先って何かあるわけじゃないなと思って不毛に思ったというか、どうせなら描けるようになるために少しでも近づく話が出来た方がいいだろうなと思って書きました。

 

 漫画家志望者が漫画家になるまでのステップを以下のようなものじゃないかと思います。

①漫画を描きたいと思う

②漫画が1作描けた

③漫画を何作も描けた

④漫画を上手く描けて他の人に褒められた

⑤プロの漫画家になれた

 

 昨日の文章は①から②になかなか移行できない人に対して、できてないことを他人に色々言われるかもしれないけど、人の能力は適切な訓練をすれば伸びるものなので、描きたいと思うなら少しずつでも②に向かっていくしかないし、色んなやり方があるよと提示したいというのが文意です。

 なおかつ、僕自身が中年になってからそれをやったので、まだ若い人ならそんなに時間に関して焦る必要もないかもしれませんよと言いたい感じでした。

 

 そういうことをわざわざ言いたいと思うのは、世間で「何かになりたいと思うけれど、そこになかなか上手く進めない人」が、まるで劣った人間であるかのように悪く言われているのをよく目にするからです。

 少しずつでも能力を伸ばしていけば、そのうちできるようになるかもしれないことを、そうなる前に他人に「才能がない」というようなことを言われて辞めてしまったら、せっかくできるようになるかもしれなかったのにできないままで終わってしまいます。

 

 他人に言われる「お前には才能がない」という言葉にどれほどの根拠があるでしょうか?例えば、「こんな人間は漫画家には決してなれない」という嘲笑をする人が、そもそもどれほど「漫画家になる」ということに詳しいのでしょうか?実際はどこかで見たことのある言い回しを真似しているだけで、反撃できない誰かを「劣っている」と表現すれば、あたかも自分はそれよりも「優れている」と感じられると思い込んでいるとかそういう可能性だってあります。

 

 そんな言葉を真に受けて、何かやりたいと思ったことを簡単に辞めてしまっていいんでしょうか?

 

 僕は子供の頃から不器用で、他の人が授業中の1時間もないうちにできることができなくて、居残りをして何時間も練習をし続けたりした経験が沢山あります。先生に求められたことが上手く出来ず、お前みたいな人間は社会に出たら通用しないよ、などと言われたことも何度もあります。大学院のときまで言われ続けました。

 自分が頑張って考えたことを笑われたり、描いた絵を下手くそだと笑われたり、上手く喋れないことを笑われたり、せめて真面目にやろうとしたことを真面目にやってると笑われたりしたことも数限りなくあります。

 

 それでも今は毎日楽しくやっているんですよ。それは、できないことを時間をかけて少しずつできるようになったという変化があるからです。人と喋るのだって、会社の仕事だって、絵を描くことだって話を考えることだって、未だに上手く出来ないことは多々ありますけど、昨日より今日がマシになることを繰り返して、今生活をしています。少しずつマシになることで、以前は困難だったことが困難ではなくなって、楽に生活できるようになっているんですよね。

 何かが上手くできないことでこれまで、嫌なことだって沢山ありましたが、それでも自分が自分のありたいようになるために少しずつ改善しているという今が、自分にとっての生きていることの救いです。

 

 会社の仕事もちゃんとできるようになりました。描けるようになりたいと思ってチャレンジした漫画も仕事にまでなるようになりました。生きるお金にも困っていませんし、友達とも楽しく遊べています。昔は何も上手くできなくて将来のことを暗く考えていたけれど、今は楽しい将来に辿り着けています。それは誰に何を言われても、昨日よりちょっとでもマシになろうとすることを辞めないでいられたからじゃないかと思います。

 

 僕に「社会で通用しない」と言い放った先生は間違っていました。なぜなら今の僕は社会で通用しているからです。でも、「自分は将来も社会で通用しないんだ」と思って、社会の中でやっていくことを諦めていたら、本当にそうなっていたかもしれません。

 僕はどんくさいので、先生の立場からはそう言ってしまったことも理解できます。結局先生は、何も上手くできない僕を、上手くできるようにする方法が何も浮かばなかったので、僕が社会に通用しない劣った人間であると見なすことで、自分の指導の手にあまることの辻褄を合わせようとしたんじゃないかなと思います。

 

 漫画の話も一緒ですよ。「一作描けていないなら漫画家にはなれない」「漫画家になりたいならまず一作を描け」、それしか言えないのなら、それはつまり、「一作描く」ということをどうすればできるようになるかを、プロセスに分解して説明することができないということだと思います。

 そのため、「できた」か「できてない」という1ビットの価値判断しか持つことができず、「できないことをできるようにする」ということの説明ができないのではないからそのような物言いをするしかないのではないかと思いました。その場合、その人の話を聞いてもどこにもたどり着けません。できることは歩みを止めることぐらいです。

 

 人間は段取りを踏んで反復を重ねて行けば何でも少しずつ上手くはなります。そこで世界で一番にはなれなくても、昨日の自分のよりは少しマシになれると思います。その積み重ねで人生をやっていくのがいいんじゃないかと思って思います。僕がそれによって今いい人生をやれていると感じているからです。

 

 出来る奴は最初から出来る、出来ない人間は才能がないから出来ない、みたいな世の中なら、今がダメなら未来にはもう希望がないし、そんな世の中を生きるのは楽しくないでしょう?僕は人生を楽しくやっていきたいんですよね。

 

 漫画家志望者が少しでもマシになるように頑張り続けても漫画家になれるかどうかは確約はできません。①から②に行くのなんて最初のステップですし、でも、そこで挫折する人も多いんですよね。

 多いということは難しいということですよ。難しいということは、乗り越えるためには無策ではなくやり方が必要です。やれと言われてやれない人の方が多い話です。僕のケースはひとつやるための方法として例示しました。でも、人によって適切なやり方は違うと思うので、それぞれが自分で模索してみるしかないと思います。その先に漫画家になれるかもしれません。ちなみに挫折したら可能性は確実にゼロです。

 

 また、そういうところでやり方を模索したことが、そのあとは描く「漫画をより面白くできるやり方」を考える下地にもなるのではないかと思います。実際漫画家をやる上で本当に難しいのは上記の⑤よりもあとです。

 受賞したり連載を始めたりすることよりもあとにある、「単行本を多くの人に買って貰えるか?」のところにあります。連載を開始するまでは、最小手数では商業誌の編集長1人がOKを貰えれば開始できますが、単行本が売れて漫画家を長く続けるためには、何万人もの知らない人に「この漫画をお金を出して買いたい」と思って貰う必要があります。

 何万人ですよ?一生かけても出会わない量の人かもしれません。そのためには「嫌なことを言ってくる人に嫌なことを言われないように行動すること」よりも、「自分のやっていることを良いと言ってくれる人を一人でも多く作ること」が大切だと思います。

 

 それを実現するために僕も今試行錯誤をしています。色んな漫画の描き方を試して、より多くの人に読んで貰える漫画の描き方を考えて、自分の漫画で実験をして、効果を確かめるサイクルです。そうやって明日はもっと良いものを作れるようになるように試行錯誤することは面白いです。

 「自分で考えて」「試行錯誤して」「少しでもマシになる」。それを始める最初のステップは、「今はまだできないことを、できるようになりたい」と願うことなので、その願いを持つことは正しいと思います。

 

 なので、とりわけネットの人とかには色んなことを言われたりするかもしれませんが、やりたいなら少しでも今の自分よりマシになる方法を考えて、試行錯誤を続けながらやっていくのがいいんじゃないかと思います。

 少なくとも僕はそういうことを面白く続けています。