漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

連載時には批判的な感想ばかり見た漫画がいつの間にか名作扱いになっている関連

 僕は、自分が好きな漫画についての、他の人の感想をあさったりすることがあるのですが、近年は色んな潮目が変わっている気がしていて、漫画の好意的な感想が沢山目に入るようになりました。十数年前などは、感想を探しても批判的なものが多く目に入ることがあり、いかに「作者が分かっていないか」、「この漫画が面白くないか」を主張する感想の方が多く目に入った記憶があります。

 それらの漫画が、最近になってアニメ化をされたり、電子書籍で期間限定読み放題になるなどによって、再び話題になることがあり、そのとき、かつてあれだけ批判的な感想ばかりを目にしていたのに、今では、誰もが認める名作というような扱いになっていることがあり、え?じゃあ、昔のあれは何だったの??と不思議な気持ちになってしまうことがあります。

 

 その理由として、4つ仮説が考えられるなと思ったので、それについて書こうと思います。

 

(1)感想を書く人が変わった

 単純な話で、当時批判的な感想を書いていた人は、批判的な感想を書くことを好んでいた人で、そういった感想を書く人しか僕の目に入っていなかっただけという可能性があります。つまり、当時から好意的に読んでいる人は沢山いたのに、ネットの目立つところにあり、僕の目に入るのが、たまたま批判的な感想の人だけだったので、僕が勘違いしていたという説です。

 だいたいこれで説明がつきそうですが、一方で、その人たちが今その漫画が駄作であると主張しないという部分が気になります。でも、これももしかすると、その人たちが今なお批判的な感想を抱いていることを、今の僕が見えていないだけかもしれません。

 

(2)好きな人だけが残った

 一つ目の説を補完するようなものですが、かなり前に連載が完結した漫画の話を、今なおしているような人は、その漫画がめちゃくちゃ好きな人だけであるという説です。

 人間は世の中で注目を集めている作品に対して、それが好きでなかったり、場合によっては読んでなかったとしても、みんながそれに注目しているがゆえに言及をしてしまうことがあると思っていて、それゆえに連載中の人気作は、そのような形で否定的な言及もされやすいという側面があるように思います。

 ただ注目が集まっているからと言及していた人は、今は注目が集まっている別の何かの方に言及をするようになっていると考えられるため、こちらの作品に言及するのはファンだけとなり、それゆえに、名作という評価が強まるという側面があるのではないかと思いました。

 これも一つ目と同様に、当時も今も、面白いと感じている人、面白くないと感じてる人はそれぞれ一定数いるものが、どちらが見えやすくなるかが切り替わったために、僕の主観では変化したと感じてしまうという解釈です。

 

(3)面白がり方が普及した

 漫画の面白さが連載中にリアルタイムに分かるとは限りません。分かりやすい例では、子供の頃にはよく分からなかったお話が、大人になってから読めば分かるようになったということはあると思います。そして、他にも、このお話はこのように読むと面白いというような解釈が普及することも多いと思います。

 例えば、鬼滅の刃でサイコロステーキ先輩と呼ばれているキャラは、リアルタイムで連載を読んでいたときには、流して読んでしまったかもしれませんが、その後ネットで勝手に名前をつけられ、面白いものとして話がされ続けた結果、あれは面白いキャラであるという解釈が普及したように思います。

 キン肉マンなども、様々なツッコミどころが面白いものとして取り上げられるようになっていますが、僕は小学生のときに読んでいた時点では、そういった部分は気にせずに面白く読んでいたので、後にそういう面白がり方が普及して、突っ込まれながら読まれるようになったんだなと思った覚えがあります。

 他には、漫画を結末まで読み終わったところで、満足が得られたため、過程でそれまで疑問があった展開も肯定的に理解できるように変わった可能性もあります。

 この場合は、当時はそんなに面白いと思われていなかったものが、時間の経過によって、徐々に理解が深まり、転向していったという解釈になります。

 

(4)面白いと感じたことの表現方法が普及した

 人が面白いと感じたときに、それを気軽に面白いと表現できる場所や、語彙が増えたということもあるかもしれません。感じたことをそのままさっと書き込めるサービスの普及や、周囲の人がそのように気軽に書き込むことの相乗効果により、自分が好きなものを好きであるということを他人の言葉を参考に、どのような言葉で表現すればいいかを、悩まずに済むようになっている可能性があります。

 この場合も、昔から面白いと思っていた人は、面白いと感じていたのでしょうが、ただ、それを気軽に書くことができなかったため不可視になっていたという解釈になります。

 

 実際にはどれか一つではなく、いくつかの説の組み合わせかもしれませんし、他にも僕が認識していない要因があるのかもしれません。ただ、僕は昔、自分が好きな漫画が延々叩かれているのを見ていたときに、こいつらは全然分かってない!!とおかんむりだったので、今ようやく、自分の脳内の感覚と、周囲に見えるものが一致したりしてご満悦という感じになったりしました。

 人間が感じる不快感は、多くの場合、「自分が感じている感覚」と「周囲の評価」の間に大きな差があることに起因するものだったりするので、僕の不快感は一致によって軽減されることになりましたが、もしかすると今の状況では逆に、「あんな駄作が、世間で名作のように扱われている!」と憤っている人もいるのかもしれません。

 

 だとしたら、世の中はままならないものですね。