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「ルックバック」と物語の無力感関連

 先日公開された読み切り漫画「ルックバック」がすごく良かったのでその話をします。良かったのは気持ちに来たなと思ったところがあるからで、ただ、それを面白かったと言っていいのかは分かりません。

 これを面白いという感情に回収していいのかが分からないからです。

 

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 ルックバックは2人の少女の関係性と漫画を描くことを追っていく漫画です。

 この漫画はその中で、「漫画を描く」ということについて描かれた漫画だと思いました。人間がなぜ漫画を描くのか、描き続けるのかということを最も簡潔に分かりやすく描いたのがこの形だったのではないかということです(143ページありますが冗長ではなく必要十分だと感じました)。

 そして、僕が読みながら思った一番大きなことは「物語の無力さ」でした。

 

 一回しか読んでいないので、色々見落としがあるかもしれませんが、初見時に自分の中でこの物語に呼応するように思ったのが、そこにある「物語の現実に対する無力感」でした。これを思うのは、僕が昔から抱えている気持ちだからだと思います。例えば、差別を取り扱った漫画があったとして、その作中で世の中にある差別が完全に解消されたとして、「だから何だというんだ?」と思ってしまうということです。

 なぜなら、作中の何らかの方法でそれが達成したところで、依然として世の中に差別はあるからです。 実際に起こっている悲しい出来事を、物語の中でどのように描いたところで、その悲しい出来事そのものを変えることはできません。もちろん、せめて物語の中でだけでも、現実には起こらない解決ができるということにも意味はあるのかもしれません。実際にその悲しみを抱えている人にとってのその物語は、慰撫となる可能性もありとは思います。でも、その慰撫を安易と感じると、馬鹿にするなと思ってしまうかもしれません。

 

 この物語の後半には、ある不幸なことが起こります。そして、その悲しみの中で始まるのが、あり得たかもしれない別の可能性の話です。その可能性の世界の中では、元の世界にあった不幸は回避されます。

 しかしながら、物語は再び元の世界に戻ります。そこではやっぱり不幸は回避されていません。別の可能性として描かれたものが一体何なのか?それは主人公の妄想であったのか?あるいは並行世界の出来事であったのか?何かしら魔法のようなものがあったのか?それは僕には分かりませんでしたが、別に重要なことではないなと思いました。

 重要なのは、「もし何かが違っていれば、別の可能性もあったかもしれないという想像力がある」という話です。そして、その想像力の存在は、現実に対して何かそれを改変するような力は発揮してくれません。そこがこの物語の抱える誠実な部分だなと思いました。

 

 なぜなら、この物語には実際にあった事件を想起させる部分があるからです。その記憶が人の中でまだ生乾きである状態で、都合良く改変されたハッピーエンドを見せられたところで、僕はだからなんだというんだ?と思ってしまうような気がするからです。

 

 ただし、それはこの物語の中で現実には力を持たない何かとしては描かれました。その2つの世界は互いに干渉することができない別個の存在です。ただし、ひとつだけ行き来することができるように演出されていたのが漫画です。隔てられた扉の下をくぐった4コマ漫画だけが、もうひとつの世界に届くように描かれました。

 ただ、それもまたそう思えるというだけなのかもしれません。別の世界からやってきたように見えた4コマ漫画も、こちらの世界で偶然描かれたものとしても辻褄が合うように描かれているからです。

 

 ただ、漫画という想像上の物語だけが、本来干渉することができない世界を行き来するかのように演出されて描かれたことが、この漫画そのものを暗示しているようで良かったなと思いました。その想像の力が描かれることと、それがやはり現実に対しては無力であるということの両方を捉えて、それが漫画であると描かれているように思ったからです。

 

 つまり、漫画を描くということは無意味だと言われれば、それはきっとそうなのでしょう。でも、現実そのものは改変不可であったとしても、その一瞬を別の世界に繋げる可能性だけは漫画は持っているということが描かれたと思ったからです。

 

 この漫画では、どうしようもなく目の前にある「無力ならば描く意味はないか?」という命題に対して、それでも描く意味が存在しているということが描かれたように感じられました。そこに、漫画を介してのみ交流ができた相手がいたことや、その漫画を喜んでくれた人がいたことを含めて、描くということに対して意味を見いだせたという過程が描かれたように思ったからです。

 

 最初に、これを面白いと言っていいか分からないと書いたのは、不幸な出来事を面白いものとしてエンターテイメントに昇華するということに、個人的に罪悪感を感じてしまうからです。だから、仮に想起させるようなものであったとしても、実際に起きた事件とはあまり繋げて感じたくないなと思ったというか、そういう読み方しか自分にできないなら、良い話ではないなと思えてしまうなと思ってしまいました。

 なので、そういうことを抜きにしても、なぜ漫画を描くのか?そして、それを描く漫画はなぜこの形をしていなければならなかったのかということが、上述のように自分の中で分かる部分があり、そして、その分かる部分がすごく分かるなと思ったので、良い漫画だなと思ったという話です。