ワニの映画、見たけど悪くなかったって話をしてる人に、「いくらもらってる?」「弱みでも握られた?」ってリプライがついてて、そういうこと言うのが面白いと思ってる感じの人にバカにされてるんだなあと思って、めちゃくちゃ悲しくなってしまった。
— ピエール手塚🍙 (@oskdgkmgkkk) 2021年7月10日
映画を見る前に映画に言及してなんか変なことになったので、仕方ないから観るかなと思ったり、そんな理由で観るのっておかしくない?って思ったり、こういうこと書いてから見ると、アングルができているので、面白かったと書いても面白くなかったと書いても、作品そのもの以外の対立の文脈に回収されたりするだろうし、それは嫌だから観ないのが面倒がないなと思いました。
でも、そう思ったところで、結局作品そのもの以外の部分で、自分が観る観ないかの正解が決まってくるのっておかしくない??とムカついてきたので、そうだ!!観よう!!と思って、仕事帰りにレイトショーで観てきました。
観て思ったこととしては「100日後に死ぬワニ」のアニメ映画版としては、とても良く作られた作品だなと思いました。
「100日後に死ぬワニ」はTwitter上で100日間連載された漫画で、100日後に死ぬことが予告された、擬人化されたワニの日々の生活を4コマ漫画として綴ったものです。
これを60分の映画に置き換えることには、いくつかの転換が必要だろうなと思います。大きなところでは、漫画版は1日1作、100日間連載されるということが体験として存在しており、それをわずか60分で同様のものを追体験させるには異なる設計が必要だと思うからです。
また、「死ぬことが示唆された中で見るそんなに劇的なことは起こらない日常」は、「死ぬことが示唆されてさえいなければエンターテイメント性に欠ける内容」です。つまり、個別の描写そのものはあまり面白くない(ことが意図された)内容であるはずです。面白くないものが、未来の死の情報を得ることでドキドキものとして捉えられるという認識の変わり方が、本作の面白い部分であったと思います。
その別段、劇的というほどには面白いわけではない日常を綴るということ含めた上で、面白い映画を作るということは難しいことでしょう。
日常の描写をする時間が増えるほどに退屈を感じるかもしれませんし、逆に日常の描写が減れば、ワニに対する感情が映画の中で十分に得られないかもしれません。この部分のバランスについて、映画は丁寧に作られていたなと感じました。
映画の冒頭は、既に多くの人が知ることになっているワニの死、つまり原作の最終回から始まります。ここで、やがで死んでしまうということを印象付けた上で、100日前からの日常の描写が始まります。
このような形で死ぬということが明示されたあとなので、原作の「最終的にどのような死を迎えるのか?」という部分への興味関心を引きに使うことなく、このように死んでしまうという理不尽の中で、ワニが日常を生きていたということについてフォーカスが当たっているように感じました。
つまり、人との約束や、未来への希望、それらが最終的には果たされないものであるということに対する悲しみです。そして、それについて、作中の人々はその日まで決して気づくことはないということの苦しさです。
ここから、僕の個人的な話になるのですが、近しい身内がこの1年で3人亡くなりました。そのうち2人はもういい歳だったので、遠からず別れが来るだろうとは思っていて、実家に帰ったときには、もしかしたらこれで直接喋るのは最後かもしれないと毎回思っていました。最後に会ったのは2020年の正月です。
そのうちの1人が入院したことを聞いたのは昨年の夏頃です。コロナ禍もあり、地元に帰ってお見舞いに行くこともできないことも仕方ないと思っていました。その後、危篤の情報と、持ち直して欲しいという願いと、数日後の訃報、そして情勢が情勢なので、葬式にも帰って来ないようにとの話が身内からありました。
僕は小さい頃、家庭がいろいろあったので、その人に育てられていたようなところがあります。なので、身内の中でも一番近しい人でしたが、歳をとっており病気も重ねていたので、遠からず別れがあるだろうことはとっくに覚悟していました。でも、その別れがまさかこんな状況の中でになるとは、最後にあったときにはちっとも思ってもおらず、なんで今なんだよという理不尽を感じてしまいました。
あらゆることを仕方ないと思いはしましたが、自分は何にもやらないうちに大切な人がいなくなって、それを悼むことも、自分のいない場所で全てが終わってしまいました。ある日、近所を散歩しながら、それがどうしようもなく悲しくなって、その辺でうずくまって泣いてしまったりしました。
人生はひとつの因果で綴られる物語ではないので、起こることの多くは離散的で理不尽なことです。
その1ヶ月後、また1人身内の訃報(祖母)があり、連続することでさらに、何で今なんだという気持ちを抱えたままで、先月、また身内が亡くなりました。病気でしたが、同年代でまだ若く、快復するものだと思っていました。
正直今も全然その辺の、自分の中にあったものがなくなった穴はまだ空いたままです。そのうち埋まるのだとは思いますが。
「100日間生きたワニ」という映画は、人間のそういう部分に対する喚起を行うような内容だったなと思いました。なので、映画を観ながら頭の中でぐるぐる回っていたのは、映画そのものではなく、ずっと自分自身の個人的な話です。
理不尽はあります。果たされると思っていた約束は果たされないことがあります。思い描いていた未来は、来ないことがあります。でも、それが悲しいからといって、失われた何かがそのまま戻ってくることは決してありません。
人生はその状態で続いていくし、そういうものだなということを思っています。そして、この映画は、そういう自分の気分が、多くの人と共有されうるものだなということを示してくれるような内容だったと思います。
なので、映画が良いとか悪いとかは正直よく分からなくて、ただ、観ながらずっと自分のことを考えてしまったなと思いました。それがこの映画の持っていた力だなと思いました。そして、この映画はある種の原作に対する批評的な内容だったと思います。つまり、原作漫画が描いていたものもそれだったんだろうなということに改めて目を向けるような内容だったということです。
映画の後半のオリジナルパートにおいて、ワニが失われた中で生きる人たちの姿を見る中で、それがよりくっきりしたように感じました。ワニに死が訪れる瞬間を待つことは、この物語から得られる本筋ではなく、その理不尽な死が訪れる前まで、人はそれを知らずに生きていたという話です。
観てよかったような気もする一方で、映画の中の人たちは、それぞれ歩み出していましたが、自分はまだそこから抜けられていないんだよなあということを思ったので、映画を観た後、いろいろ考えながら帰ってきてしまいました。
世の中の状況がそれなりに安心できるようになったときに、久々に実家に帰って、やっと墓参りができて、そこで自分の中でようやく整理がつくのかもしれません。 先日、一周忌の話もありましたが、まだワクチンを接種していないからと、この夏もまだ帰らないことにしました。
なので、それは早くても年末になりそうです。