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子供の頃好きだったものを今見たら面白く感じなかった関連

 子供の頃にめちゃくちゃ好きだったものを、大人になってから見たら、記憶の中の輝かしさとは裏腹に、そこまで面白いように感じなかった、ということはある話なのではないかと思います。少なくとも僕はあります。

 

 こういうことがあったときに思っているのは、そこで、当該作品や自分自身に対して何らかネガティブな感情を持つ必要は別にないんじゃないかということです。

 つまり例えば、「子供の頃は絶対値としてはそんなに面白くないものも面白く感じていた」とか、「自分は子供の頃に持っていた感性を失ってしまった」とか、というネガティブな理屈を使って、思い出と現状のギャップに納得をしなくてもいいのではないか?と思っています。

 

 では、僕がどういう理屈でそれを捉えるといいと思っているかというと、「子供のときに見た作品から摂取できる栄養素は全て吸収してしまい、もはや自分自身の血肉になってしまった」という理解になります。

 つまり、その作品が自分自身と区別がつかなくなるところまで既に取り込んだので、今見ても当初持っていた新鮮さという特徴を失ってしまっているという理解です。最初から面白くなかったとか面白く感じられなくなったというわけではなく、そこから取り入れられる面白は、もう十分に吸収して、自分自身と同化してしまったんだなと思ったりしています。

 そう思うと何かを否定しなくていいので、なんらかネガティブな気持ちを抱かなくて都合がいいんじゃないかと考えています。

 

 僕は、何かの作品を面白いと感じる場合、「それを見ることで、自分の中にある何かが変わった」と感じられることが重要だと感じています。つまり、見る前と見た後で、自分の中の何かが変わったという体験は、見てよかったなと感じられやすいものだということです。

 一方で、それを見たところでそこから既に知っているものしか発見できないと、人は退屈してしまうと思います。知っている話をもう知っていると思いながらも何度も聞くことに人はあんまり耐えられません。

 

 小さい子の面倒を見ている人は分かると思うんですが、子供の頃って、同じビデオなんかを何回も何回も見ても平気だったりするんですよね。それについて僕は、まだ知らないものが多い時期には、新しく目にしたものから取り入れられる要素がとても多いということが関連していると思っています。だから、何回見てもまだまだ新しい味を感じられるとか、それを咀嚼して血肉に変えるのに時間がかかったりして、ずっと味のするガムを噛んでいる感じなのではないかと思っています。

 そしてそれをもう味がしないほどに十分吸収しきれば、観る必要が無くなります。

 

 同じ映画を10回見れば映画監督になれるという話があります。山賀博之氏はこれを実際にやって、映画監督をやったという逸話もあります。僕の解釈では、これは「普通は10回も見れない」という話だと思うんですよね。なぜなら、普通は1回見れば映画はだいたい分かったと思いますし、2回3回と繰り返し見ても、そこから新しく得られるものは段々と少なくなっていくはずだと思うからです。

 何度も見るのを重ねるなら、毎回新しいものでも見つけられないと退屈してしまいます。10回見ても退屈しないなら、ストーリーや登場人物の演技の他に、例えば、カメラの構図や物語の構造、演出意図などに目を向けていく必要があるはずです。映画には沢山の情報が込められているので、初見だとストーリーの結末以外にしか目がいかなくても、何度も繰り返し見るうちに、なぜ映画がこのような構成になっているのかの理解が深まるはずです。

 そこまで理解すれば、自分が映画の構成を考え、物語るためにどのような価値判断をすればいいかにも目が届いたりするんじゃないでしょうか?

 

 目の前の作品から何を得られるかということが、その視聴体験の良し悪しには関係しているのではないかと思います。なので、大人になったことで初めて分かる良さなんていうものも、それはそれであるでしょう。子供の頃には上手く消化できなかった栄養素を、大人になる過程で得た酵素によって消化できるようになって、吸収できるようになったりします。

 そうなれば、子供の頃見たものは、子供なりの新鮮さで何かを得られ、大人になってから再度見ても、大人の理解力で何かを得られるようになるはずです。1つの作品で2度おいしくなります。お得ですね。

 

 また、大人になってから見たときに、もはや何かを得られなかったとしても、それはそれで別に悪いことではないというのが僕の感じ方です。なぜなら、今新しい何かを得られなくても、そこからはもう十分に何かを得たという事実は揺るがないと思うからです。。そこには食べ終わったあとの皿を見るような感謝があります。

 

 なので、何かからもう味がしないと感じたら、そこに感謝をすればいいと思っていて、そして、また別のまだ味がする自分にとって新鮮なものを食べればいいと思うんですよね。そして、人生が進んでいくことで、気がつくと、もう味がしなくなっていたと思っていたものから、また新たな栄養を得られる酵素を獲得しているかもしれません。

 そんな感じに別に何かを否定せずともよく、過去を肯定しながら、長い目でたまにぐるぐるしているのがいいなと思ったりしています。