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映画版「映画大好きポンポさん」と自覚的な暴力関連

 令和にナウいのは暴力だなと思います。僕は物語の中に自覚的な暴力が登場するととても嬉しくなってしまう人間なので、映画版の「映画大好きポンポさん」を見て、すごく嬉しくなってしまいました。

 

 映画大好きポンポさんは、pixivで公開された杉谷庄吾人間プラモ)の漫画で、映画プロデューサーのポンポさんが、映画オタクで制作助手をしていたジーンくんに映画を撮らせるお話です。

 

www.pixiv.net

 

 この漫画で僕が面白く感じたのは、偏った考え方を肯定的に描いていた部分です。ポンポさんは長さが90分程度の分かりやすい娯楽作を好み、長い映画を嫌っています。その理由は、ポンポさんは子供の頃から映画プロデューサーだったおじいさんと一緒に映画を鑑賞させられていて、長い映画に辛い思い出があるからです。

 ただ、長い映画もそれらが名作であることは自体は認めます。でも、苦手なわけです。それはポンポさんの偏った考え方です。他にも、映画は女優を魅力的に撮れれば成立するとか、クリエイターに向くのは社会に居場所がない、目に光がない人々であるなど、独自の理屈を主張します。

 もちろんこれらは絶対的な指標ではありません。上映時間の長い映画が好きな人もいますし、きらびやかな青春を送ってきた素晴らしいクリエイターもいるでしょう。女優を魅力的に描けただけの作品を楽しめない人もいるかもしれません。ただ、ポンポさんの感性はそうであるというだけです。そして、ポンポさんに寄り添うということは、そういった偏った感性に寄り添うということです。

 世の中には人の数だけ、少しずつ違った良い悪いの感性があります。それらは絶対ではありません。でも、ひとりひとりにとっては重要なことのはずです。そして、そこに寄り添うかどうかという話があります。その、何に寄り添うかということがはっきりしていて良かったなと思いました。

 

 さて、映画版のポンポさんの話ですが、すごく良かったです。

 

 原作として漫画があったとしても、アニメは別の人が作った別の作品だと思っています。さらに媒体が変われば適切な表現も変わってくるものでしょう。なので、この映画版を作った人は、原作を読んで、これがどのような物語であると解釈し、それを表現することにしたのかというところが毎度気になります。

 僕が映画版を見て思ったのは、原作の中からピックアップして主軸に置くものが「暴力」なんだなと思ったというか、この原作を見て、暴力の物語だという認識をしたということに、ある種の批評性を感じて、そこがすごくよく感じました。

 

 この映画が着目したのは「上映時間が90分」という部分だと思います。ポンポさんがそれを好きだと言ったから、原作のジーンくんは自分の作った映画を90分におさめました。そして、この映画もまた、90分で終わります(映画の事前情報は何も調べてなかったのですが、絶対に90分で終わるものだという確信を持って見に行きました)。

 そして、この映画には原作にはない大きなオリジナルパートがあります。それが90分に収めるということの意味について、映画として掘り下げた部分だと思います。そしてそれが「暴力」です。

 ここで言っている「暴力」とは、「自分の考える形に、他人の形を歪める力」のことです。

 

 ジーンくんが撮った映像は72時間におよぶものでした(ちなみに原作では17時間)。それを90分に収めるということは、70時間30分の映像を、不必要なものとして排除するということです。せっかく撮った98%近い映像を、誰の目にも触れない形に葬り去るということです。

 ジーンくんは、それらの映像を自らの手で編集するという大役を担います。なぜなら彼は監督だからです(なお、監督が自分で編集をするのはポンポさんの映画会社の方針)。

 そして、撮れた映像は、ジーンくんの力だけで生み出せたものではありません。環境をお膳立てしてくれたポンポさんがいます。演じてくれる俳優がいます。撮影をしてくれたり、セットを作ってくれたりするスタッフがいます。それぞれの映像は、誰かのアイデアが入って撮られた素晴らしい映像であったりします。誰かの思い入れがあったりします。自然の偶然によってたまたま撮れた貴重な映像であったりもします。みんなのアイデアが結集して、思い出深い大切な映像であったりもします。

 切りたくはありません。切りたくはないという気持ちに寄り添えば、映画は長くなります。90分にはとうてい収まりません。大切な映像を切ることは、誰かの思いが踏みにじられることかもしれません。あなたたちの仕事は結局無駄だったと捉えられるかもしれないからです。

 

 そう、だからこそ暴力だなと思いました。監督をするということは暴力を振るうことです。様々な人の力が結集し、みんなで一生懸命作ったそれぞれの大切なものを、自分が望む形に切り刻んで、自分の望む形に作り上げる行為が監督には求められるからです。

 みんなに良い人と思われたいのであれば、監督なんてするべきではないのかもしれません。みんなの意見を全て取り込んだ、太った映画ではなく、自分を形作るために必要な最小限のものをカリカリになるまで削り込んだものが、少なくともポンポさんが望んだものであるのではないかと思うからです。

 

 ジーンくんは、監督という立場を与えられ、脚本を与えられ、キャスティングも与えられました。それを映画に仕立てるための監督としての役割を単純に果たすだけのことはできるかもしれません。でも、それだけでは、そこには自分がいません。でも、かつて自分が映画を見ていたときには、映画の中に自分を見つけていたことがあるはずです。その映画の中にあるものが自分の中にあるものと共鳴してその映画を良いと感じていたはずです。

 みんなの意見を全て尊重するなら、何十時間もの映画になってしまいそうなとき、それを削り込むためのガイドラインとして、ジーンくんは自分自身を発見しました。そしてそれにそぐわないものは、それがどれだけ大事なものであったとしても削る決意をします。そして、削るだけではなく、足りないものを追加撮影したいとも決心します。

 これは監督のわがままです。今あるものだけで完成させる方が簡単で、楽な道です。でも、それが自分じゃないときに、自分自身となるものを作り上げるわがままを突き通すことを、ジーンくんは望みました。それは多くの人に多大な迷惑をかけます。そして、多くの人が手助けをしてくれます。そして、それもジーンくんは切って構成し、映画を作るのです。

 それが暴力の目覚めだなと思って嬉しくなってしまいました。編集のシーンを刃物でフィルムを切り刻むように表現したことの意味が、後半になって理解ができました。だって、それは暴力だからです。みんなが一生懸命作ったものに、自分のエゴを基準にして、必要なものと必要でないものを切り分ける行為だからです。

 

 一度も暴力を振るったことのない人間が、初めて暴力を振るうシーンは、いつもある種感動的です。それは、他人の力で自分の形を決められるのではなく、自分の力で周りを歪めてでも、自分の形を決めるということだからです。つまり、それは自我の目覚めだと言えるからです。

 ジーンくんは監督になるために、暴力を手にすることになりました。自分の映画に不要なものを徹底的に切り続けた結果、ジーンくんの映画はついに完成します。それは、期せずして、ポンポさんが望んだ90分の映画となりました。

 

 ここが原作に加えられた良かったところでもあると感じました。ポンポさんのためだけに作った映画ではなく、自分のために作った映画が、ポンポさんが望んだものを重なったということです。

 創作物とはそういうものではないでしょうか?全ての人に好かれたいと思って作った物語が、全ての人に響くとは限りません。誰か一人のために作った物語が百万人に共感されることもあります。物語を書き手と受け手のコミュニケーションとして捉えた場合、それが双方向には上手くいっていないことが実は正解であることもあると思っています。

 結局物語で感動することは、見る人がそれぞれ勝手に発見しているだけの、すれ違ったコミュニケーションなのかもしれないと思ったりするからです。

 

 ジーンくんが自分のために作った物語がポンポさんの望むものと重なったということは、そういう奇跡的なことが起こったことのように思えて、僕はそれがとてもいいなと思いました。

 

 また、この映画は、何重にもなぞらえがされていて、映画監督となるジーンくんの心は、ジーンくんが撮る映画「マイスター」の主人公の立場とも重なります。そしてなにより、この映画そのものも重なります。原作にあるものの要素を一部削って、多くのものを足しています。

 それができることが創作者の振るう暴力であり、それをやるんだということが、作中作の登場人物と、作中の登場人物と、作品の在り方の3重構造で存在しており、言いたいことはそれなんだなということを深く重く突きつけられた気持ちになりました。

 そして、そのメッセージ性が僕に個人的にとても響いたので、とてもよく感じたのではないかと思います。僕は人間が自分の暴力を自覚し、それを振るうことを決意するということがとても好きなんですよね。令和の物語のスタンダードは「自覚的な暴力」だと勝手に思っています。

 

 なので、原作もすごく好きな漫画ですが、映画版も新たな意味ですごく良かったと思いました。

 

 余談ですが、作中の主要登場人物であるベテラン俳優のマーティンブラドックの声を大塚明夫が演じていて、映画の冒頭は彼の言葉から始まるのですが、それを見た瞬間、ベテランをベテランがやるということから、おそらく新人監督のジーンくんと、新人俳優のナタリーは、それぞれ声優としては新人がやるのだろうなとビビっと感じて、この映画をメタな意味でも解釈してくれよな!!というメッセージを勝手に受け取ったりしました。

 これも勝手に僕が受け取ったと感じているだけかもしれません。まあ、でもそういう見た人が勝手に何かを思うというようなことが物語を受け取るというところでは重要な気がしていて、僕はこの映画から色んな分かるものを受け取ったように思いました。

 とにかくすげえ良かったです。