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綺麗事を語るような大人になってしまった関連

 ここ何年か、自分が前向きでポジティブな綺麗事を日々語るような人間になってしまったなという実感があります。この状態は、自分の心境の変化で、そうなったことは別に嫌ではないんですが、子供の頃ならば、そんな理想みたいなことばかり言う大人に対しては、ケッという気持ちがあり、目の前のどうしようもなさに対して、そんな上っ面の綺麗事なんて言ってなんの足しになるんだよ?というような気持ちがありました。

 

 では、最近の心境の変化は、どこから来ているんだ?と思ったのですが、自分が社会における実務をやる中心的な年代となり、そういう立場になってきたことの影響が大きい気がします。

 例えば、良くない現状があったときに、それを良くするためのアクションをとれる立場になってきているので、良くないことに対しては「良くないね」と言って終わりではなく、それを今から良くするためには何をすればいいか?ということを考え、実行していくのが自分の担っている役割になってきているなと感じています。

 その「どのように良くしたいか?」という部分が、つまりは理想的な部分で、綺麗事です。例えば、部屋が汚れているときに、「汚れている現状を見ろ」というところから出発したとしても、じゃあその汚れた部屋をどのように片付ければ理想的かを考えるのが綺麗事です。もちろんそれは、その片づけを自分の手元で実行していくことがセットなので、言って終わりにするわけではありません。そして、理想的な形に片付くとも限りません。でも、どのように綺麗にしたいかという考えはあるわけです。

 

 綺麗事を言うことが軽んじられるのは、「結局のところ、口先だけのことじゃないか」と思われるからなんじゃないかと思います。「食事を制限して運動すれば痩せる」と理想的なことを言っても、実際に食事を制限できずに、運動もしないのであれば、その言葉は軽んじられます。

 なので、自分でその綺麗事を実行することが徐々にできるようになってきたことで、軽くなく言えるようになってきたのかもしれません。

 

 僕は会社員生活の多くの部分を、企業の研究所で先端研究を行って過ごしているのですが、それを考えると例えば、「日本の技術力が海外に比べて劣っている」という言説を目にした場合、その「日本の技術力」という部分は自分の話なんですよね。「日本の企業はマネジメントが弱い」という話を見ても、その「日本の企業におけるマネジメント」は自分の今の業務の話です。

 

 そこに対して、じゃあ国際競争力のある技術をやっていくにはどうすればいいか?より良いマネジメントをやって、若手を伸び伸び働かせて成果を出しやすい環境を作るためにはどうすればいいのか?というのは、日々、自分が頭を悩ませ、その環境を実行していかなければならない領域です。

 「世の中は良くない」という現状認識は、現状の立場からすると出発点でしかなく、そこから先の綺麗事を言いながら、それを実現していくという面倒で厄介なことをやっていくのが自分の役回りなんだろうなと思うと、自然とその目標であるところの綺麗事を口にするようになってきました。

 

 この辺を具体的に意識したのは、2年ほど前に「プリティーリズム ディアマイフューチャー」という女の子向けのアイドルアニメを見ていたときです。作中のクライマックスで、「私たちはプリズムスタァだ!みんなが進む道は明るいって、未来は美しく輝いているって、私たちが言わなきゃ誰が言うんだ!」という言葉が出てきて、ああ、このアニメを作っている人たちは、子供たちに対して「未来は明るい」というメッセージを伝えようとしているなと思いました。

 実際、このような台詞を子供のときに聞いていたら、「ケッ、中身のない綺麗事ばかり言いやがって」と思ったかもしれません。でも、大人になってみると、未来のことなんて分からないし、その時点では何の根拠もない空虚な言葉であったとしても、それでも、君たちの未来は明るいと子供たちに言い切って、そして自分がその明るい未来を作るための実務をやっていった方が良いんじゃないかなと思ったりしています。

 

 なぜなら、子供に向かって「自分は世の中の汚いところや、世の中に絶望する要素を君たちよりも沢山知っているし、未来はどん詰まりで、日本の行く末は暗黒で、だからこの絶望的な世の中を君たちは生きて行くしかない」なんてメッセージを投げかけることの方が、真っ当だとはとても思えないなと感じるからです。

 

 とはいえ、そのような綺麗事の言葉は、口にした時点では空虚であるとは今でも感じていて、ただ、その空虚な言葉を現実にしていくことは、今は自分たちの世代の仕事だろうなと思っています。

 

 あとは、自分が子供の頃にとにかく自分の未来が不安だったということがあって、特に生きるための金のまわりの話が大きかったですが、自分は将来生きて行けるんだろうか?とか、自分には社会の中で担えるポジションがなく路頭に迷うのではないか?とかで、ずっとぼんやりと不安で、でも、不安になることが頭の結構な部分を占めていた割に、それが自分にとって意義があったとは思えなかったんですよね。

 それらはただ自分の行動を停滞させていただけのようにも思いました。

 

 なので、そんなことはもう止めようという気持ちがあります。少なくとも身の回りでは、人がそういう停滞状態に陥ってしまうことは避けられるようにしたいと感じています。

 

 そういうこともあってか、綺麗事を平気で口にするような大人になってしまいました。子供の頃の自分が今の自分を見たら、やっぱりケッと思うかもしれませんが、今はそれが良いと思っているのでそうしています。