漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

「めしにしましょう」と料理漫画の競争領域関連

 「めしにしましょう」は、イブニングで連載されている料理漫画ですが、毎回何かしらの意味で極端なレシピの料理が作られる様子が描かれていて、すごく面白いです。

 

 漫画の特徴とは何か?という問いには色々な答え方があると思いますが、僕が思うにそのひとつの答え方は「誇張と省略」ではないかと思います。描くべきことを誇張し、描く必要のないことを省略するということが、漫画的であると言えるのではないかと僕は思うからです。

 これは分かりやすいところでは絵に対するもので、日本の漫画では、写実的な絵と比較して目が大きく描かれ、鼻が省略されることが多い傾向があるでしょう。それはつまり、人の顔を漫画の中で表現する上で、目は誇張すべき部分ですが、鼻は省略すべき部分であると思われがちだからだと思います。例えば感情を表情の絵で表現をしたい場合に目ですることが多く、鼻ですることが少なければ、目をより大きく描き、微細な表現をしやすくすることに有用性があると言えるのではないでしょうか?

 このように何を誇張して何を省略するかは、表現したいものをより明確に読者に伝えるために重要なことです。

 

 これは絵だけでなく物語自体にも適用されることだと思います。その漫画が何を描きたいかは、何を誇張して描き、何を省略して描かないかに見て取ることができるはずです。その意味で「めしにしましょう」はめちゃくちゃ思い切りのよい取捨選択をしているように思うんですよね。

 

 料理漫画でありがちな要素を考えてみると、

  1. 料理を作る理由の提示
  2. 食材を手に入れる工程
  3. 調理の手順
  4. 食べたときのリアクション
  5. 料理による問題の解決

 以上、5つが思い当たります。

 

 つまり、(1)まずはなぜその料理を作らなければならないのかという状況が提示され、(2)そのために必要な材料を調達する必要があります。(3)手に入れた材料を調理して料理が完成すると、(4)それを食べた人のリアクションによる美味さの説明があり、最後に(5)その料理を作ったことで当初の問題が解決されたりします。

 

 よくある漫画の物語では1と5が重要視されます。それはその部分が人間の物語だからだと思います。それは僕が思うに、人間が鼻よりも目からより多くの感情を読み取りやすいように、人間は人間の物語からより微細な感情を読み取れるからなのではないでしょうか?今風に言えば「解像度が高い」ということだと思います。

 この例で言えば擬人化などがあります。例えば宇宙探査の「はやぶさ」は機械であって、人が飛ばしたものですが、このはやぶさ自身を人に見立てて、頑張れと応援するような光景を目にすることがあります。なぜそうするのかと言えば、対象が機械ではなく、人であった方が解像度が高くより多くの情報を読み取れるからなのだと思うのです。

 だから漫画では少ない描写からより解像度の高い情報を提示するため、人の物語が描かれがちです。

 

 しかしながら、めしにしましょうで描かれるものは主に3です。それと0です。0というのは、料理そのものにはあまり関係のないことも多いギャグパートです。そしてなにより、2の食材調達を過激な方法で省略するのがすごい。過激な方法で省略とはつまり、なんだか分からない謎の物の中に手を突っ込むと必要な食材が出てきたり、無の空中からいきなり食材が出てきたりします。

 

 この思い切り、なかなかできることではありません。

 

 もちろん、回によっては食材を手に入れるところをじっくり描くこともあります。しかし、そこにコマを割く必要がないとなったら、バシバシ過程を省略していきなり結果だけを得ていく(ジョジョの奇妙な冒険第五部のキングクリムゾンの能力のように)のがこの漫画の面白いところで、それは描くべき部分がはっきりしているからなんじゃないかと思うんですよね。だからこそ、描く必要がないこともはっきりします。

 必要なものを誇張し、不要なものを省略することを漫画的と言うならば、この漫画はとても漫画的な漫画だと言えます。

 

 3の調理の過程をじっくり描くということは、それがこの漫画の武器であるということでしょう。実際に試作した経験を踏まえた、何らかの意味でやりすぎな料理を作るということが、他の料理漫画との差別化要素になるということだと思います。

 0の料理漫画にはありがちではないギャグパートが入ってくるのは、これもまたこの漫画の個性で、他の漫画にはない風合いを出している部分がここに凝縮されています。極端な思考を持ったキャラクター性が、漫画全体に極端な進行をさせることを許容する背景を作り上げているように思うからです。

 

 さて以前、作者の小林銅蟲氏が料理対決をするイベントに行ったとき、審査員としてゲストに来ていた寺沢大介氏が印象深いコメントをしていました。

 ご自身が少年誌で料理漫画を描いていたときは、とにかくわかりやすくということを第一に置いており、料理の知識が全くない人でも読めるようにと、ときには編集者によって説明台詞を追加されることさえもあったそうです。

 

 これはそのときはそれが必要なことであったため、省略することができなかったということだと思います。料理漫画を数々読んできた我々としては、今となっては当然のようなことで作中の登場人物たちが驚いていたとしても、今となっては分かり切っていることを長々と説明されたとしても、それは料理の知識が全くない人でも読めるようにするための必要な工程であって、少なくとも当時にそれを省略することは対象となる読者を減らしてしまう可能性が高いことだったのではないでしょうか?

 しかしながら、昨今の料理漫画では、こんなことは読者は当然知っているよね?で省略されて、そのまま進んでおり、それに読者がついて行っているということが感慨深いとコメントをしていたのです。

 

 前述の料理漫画にありがちな5要素、寺沢大介氏の漫画では、その全てが非常に丁寧に描かれています。レーダーチャートを描くなら、全ての要素が高い数値を示しているということが、料理漫画というジャンルを切り開いてきた一人として出す凄みのように思います。

 しかしながら、一人の作者の中でもそのチャートの変化は時間の経過に従ってあるもので、例えば「将太の寿司」と「将太の寿司 全国大会編」、そして「将太の寿司2」のそれぞれでは分かりやすくそのバランスに変化が生じています。

 

 以下、直接は関係ないですが寿司の文章です。

mgkkk.hatenablog.com

 

 寿司を知らない人に対しても分かりやすく描かれた内容だとしても、漫画を読み続けた読者にとっては自明の領域がどんどん広がっていくため、全国大会編では明確に寿司そのもの以外の面白い要素が増加していますし、2ではその過程に様々な料理漫画があったことを踏まえての、未来の物語となっています。

 

 漫画を取り巻く時代性によって、何を誇張し、何を省略すべきかは変わっていきます。かつての正解が、今も正解かは分かりません。

 

 料理漫画の料理部分に対する主要なウンチクが、出そろってしまった後には、料理に対するリアクションを誇張した漫画が増えたり(4を誇張)、「僕は君を太らせたい」のように、山に海においそれとは出会えない特殊な食材を採りに行く部分が誇張される漫画が生まれたり(2を誇張)します。「きのう何食べた」では、めしにしましょうと同様に調理の過程を丁寧に描くことで(3を誇張)、漫画を読んでいるだけなのにその味を頭の中で具体的に想像できたりもします。1や5の誇張として、料理で世界征服をしたり、人間の精神を直接救済したりする漫画もありますね。

 前に以下のような文章も書きました。

mgkkk.hatenablog.com

 

 料理漫画は、王道的なものを構成する材料が結構出そろっているために、昨今ではその中でどの部分を売りにするかが、その個性を決めるための重要な競争領域になっているように思います。レーダーチャートで描くなら、槍のように一部分が強烈に突出したものでなければ目立つことは難しいのかもしれません。

 であるならば、その強調する部分を強烈に協調するためにも、限られたページ数の中で何を描かないで済ますかが重要な部分があると僕は思っていて、こともなげに食材調達の要素を全省略してきたのはすごいなと思った次第です。

 

 上述の1~5の要素の中で何を全省略しても物語が描けるのか、考えてみるのも面白いかもしれませんね。