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SNSで疲れないやり方関連

 僕はTwitterがかなり好きで、ちょっと時間が空くと見ていることが多いのですが、でも、他人と交流するためにはほぼ使っていません。いや、むしろ、他人とあんまり交流をしなくて済むのでSNSでもTwitterだけが好きだと思える気もします。

 

 この前、Twitter疲れみたいな話を人としていて、そのとき僕が、「Twitterで疲れないコツはリプライをしないことですよ」ということを言ったら、他の人たちが、「でたよ…」みたいなリアクションだったので、僕がそのように振る舞っていることが既に理解されていたようでよかったです。

 僕は他人に対して直接話しかけることがほぼなく、話しかけられても返事をしたりしなかったりで、返事をした場合でもそっけなかったり、相手の言うことと微妙にずらした返事をしてしまったりします。それは意図的というか、もうちょっと厳密に言うと、「やらない」んじゃなくて「できない」という領域に近くて、他人とコミュニケーションの歩調を合わせることに、ものすごくエネルギーを使ってしまうので、使わないようにしなければならないという制約を抱えています。

 もし、話し込むぐらいにリプライの応酬をすることを義務付けられたとしたら、僕はTwitterに書く頻度は今の10分の1以下になると思います。なぜなら使えるエネルギーがなくなるから。つまり、SNSに疲れてしまうんだと思うんですよね。

 

 じゃあ、なんでエネルギーを消耗してしまうかというと、別に会話相手が嫌いなわけではないというか、普通に好きだったりもするんですけど、でも、その場合余計に、「ちゃんと返さないとな」という気持ちになり、「適切な返答とは何か?」ということを考え始めてしまったりします。

 「自分が書いた文章を相手が読んだらどう思うか?」と考えて、なおかつ、相手にも同じように考えさせてしまったら、もし忙しいとしたら迷惑がかかるのでは?もし、別のことしているからとタイムリーに返事できないと、向こうは返答に困っていると考えるかもしれない。特に存在もしていない裏を読まれたら嫌だな。早く返信できるようになんかするのはやめて待つか…。

 などという色んな想いが頭を巡ったあと、「今適当に返した方がよい」。あるいは、「返事をしない」という結論になります。あえて粗雑にすることで、それで頭がいっぱいになり、何もできなくなることを回避しています。

 

 他のケースでは、不用意にバズってしまったときに色んなコメントをもらったときにも同様に返せないのですが、それはそもそも別に向こうもちゃんとした返事を求めて話しかけてくれてるわけでもないだろうなと思うということと(そうでなかったらごめんなさい)、バズること自体は別にいいんですけど、その反応を見ることが苦手なので、早々とミュートにして通知が来ないようにしてしまうためです。

 でも、おかげで無視をするなと追加で怒られることもあり、怒られてしまうと、こちらも嫌な気分になるので、余計に全ての反応を見たくなくなってきます。

 他人との交流をしたくなくなってきます。

 

 このへんは感覚的なところなので、分かるって言ってくれる人と、全然分からないと言う人がいます。

 頑張って例えてみると、一人で狭い部屋にいるとします。狭いとはいえ、物がなければ寝転がったり飛び跳ねたりし放題ですが、物がたくさん増えてくると窮屈になります。例えば、机の上にコーヒーのなみなみと入ったカップがあったら、うっかり手が当たってこぼさないように気を使う必要があるでしょう。

 このようなことが、僕の場合は他人とのコミュニケーションでも起こります。自分の心の中に他人を入れて考えないといけない状況は、一人でいるのであれば使わなくてもいい気を、どうしても使ってしまいます。

 これは、気を使わせる他人が悪いと感じているわけではありません。他人がいると、どうしても僕が気を使いたくなってしまうわけです。僕がそういう性質の人間なのでどうしようもないという話です。そうして勝手に、自分が動いたら周りはどうなるかな?周りに変な影響を与えないようにコントロールするために、動き方をちょっと変えた方がいいかな?ということをぐるぐる自分の中でループでフィードバックしていくうちに、考え続けて行動には至らず、ずっと動かないままで時間が過ぎてしまったりします。

 

 それなら、何も気にせず動いた方がいいなと思ってしまったのが今の状態です。そのために、楽な状態でいたいなら、他人が自分の思考の中に入ってくることを、仕組みとして排除しなければなりません。

 話しかけたり、話しかけられたりするのは、自分の中と外に他人を出し入れする行為に他ならないため、それをやらないことで疲れないように心がけるわけです。

 

 じゃあ、コミュニケーションしたくなければ「手元のメモ帳にでも書いとけや」という話もあると思うんですが、違うんですよ。僕はTwitterで人が話しているのを読むのは好きだし、それを見て思ったこととかを書くのも好きなんですよ。疲れるのは直接的な交流だけです。

 

 なので、目にした話題に関しては何かを書くんですけど、ただし、そこからコミュニケーション性を排除しているので、誰の何について話しているかの文脈は消失していることも多く、なんでこの人は急にそんな話を始めたんだ?と思われているかもしれません。ただその代わり、それが誰かの何かについての話だとは分からなくても、意味が分かる文にしておくことでバランスを保つみたいなところはしています。

 

 僕のこのような使い方は、別にそれほど特殊ということもないと思っていて、僕はこれと近い感じの人と繋がっていることが多いです。それによって、うっすらとした繋がりが存在するものの、それぞれを独り言を言っているだけという空間が目の前に広がっているということがあって、僕にはそれがとても住み良く感じています。

 なので、僕がフォローしている人とは特に直接リプライのやり取りをしないままに何年も経過したりしますが、じゃあ、仲良くなる気はないのか?と言われると、この状態が、この距離感で仲良いと思っている感じなんですよね。

 そこから関係性をより近くすることに特段の意味を感じないというか。でも、何年もそういう状態で過ごしたあとで、別の場所(コミティアとか)で初めて話したことで、やりとりを始めるなんてこともあります。

 

 一方で、時間を区切ったりするとこのようなことはできないわけではないので、イベントで人に会ったり、通話をしたりするときには上記とはまた別の行動ができます。Twitterは、一日中見ることができるので、一日中はそういうことができないという話です。

 

 SNSで疲れてしまう場合、その人の許容できる以上に他人とのやり取りをし過ぎてしまっているのでは?と思っていて、それなら単純な話、他人とのやり取りを薄くするのが一番簡単な解決方法だと思います。なので、僕はそういうことをしていますが、人によってはそれを奇妙に感じることもあるようです。

 対人コミュニケーションについて、「あまり量をこなすことができない」という人はいて、例えば僕がそうですし、結構そういう人はいるような気がします。それでも、こういう使い方ならTwitterは楽しく使えるので、よかったなと思い、もっと人とやり取りをしないといけないSNSだと難しいなと思っています。

 

 言いたいのは、僕はTwitterとかでは反応が悪いですが、別にそれは話しかけてくれた人が嫌いとか嫌な気持ちになっているわけじゃないよということで、でも、そうなってしまうか使うのをやめてしまうかしか、今の僕にはないので仕方ないんだよなあということです。