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妓夫太郎と復讐の是非関連

 僕は「鬼滅の刃」だと、上弦の鬼の妓夫太郎くんがとても好きです。

 

 彼は妹の堕姫と二人で一人の鬼として炭治郎くんたちの前に立ちはだかる敵ですが、兄と妹という間柄からして、炭治郎くんと禰豆子ちゃんの別の可能性としても描かれていると思います。

 

 妓夫太郎は「妓夫」、つまり「遊郭で客引きや金の取り立てをする仕事」をそのまま名前に付けられた男で、その醜い容姿から、人にも疎まれ、世の中に対する怨みを抱えてきた存在です。彼の人生は、絶世の美少女である妹、梅(後の堕姫)ができたことによって変わります。彼は兄としての自分を、その存在意義の大きなところし、美しい妹を守ることで、その人生にやっとのいろどりを得ることができるようになりました。
しかし、客をとるようになった梅は、奪われる前に奪えという妓夫太郎の教え通りに、客の侍の目をかんざしで刺したことで怒りを買い、生きたままで火をつけられてしまいます。

 自分の人生に兄としての存在意義をくれた妹を奪われ、妓夫太郎は絶叫します。

 

「何も与えなかったくせに取り立てやがるのか」

 

 そして妓夫太郎は、そのまま背後から侍に斬られ、そして侍を斬り返し、その人間としての人生を終わらせることになりました。

 

 人間であった妓夫太郎には、助けてくれる人間はいなかったわけです。傷ついた彼に手を差し伸べてくれたのは鬼だけでした。ただし、彼の人間としての末路は自業自得とも言えます。彼は他人から色々なものを奪いました。しかし、その全てが自業自得となってしまうほどに進むまで、社会は彼に何もしてくれませんでした。だから妓夫太郎は、自分を取り巻く世界の全てに対する怨みを抱えて鬼となります。

 

 鬼滅の刃における鬼は、人間の感情をのみを保存する器のようだなと思います。あるいは、人の中にあった感情を取り出し、それを擬人化したようなもののようにも思いました。つまり鬼となった彼らは、人であった頃の彼らとは少し異なる存在なのかもしれません。そのように解釈した場合、強い感情だけが純化されて焼き付いた、地縛霊のような概念のようにも思えるからです。

 妓夫太郎ならば、それは「奪われる前に奪え」という感情です(印象としては「寄生獣」で寄生生物が抱える「この種を喰い殺せ」という命令に近い認識)。その奥には「誰も与えてなどくれなかった」「それなのに奪われてしまう」という強い悲しみと怒りがあります。このように、何かしらの強い感情が根本に存在している鬼は、その感情そのものが存在意義であるため、人間のように、感情に折り合いをつけられることがないのかもしれません。

 例えば、怒りを擬人化してしまえば、その怒りが消えることは、存在の消失を意味します。だからこそ、満たされることがない不変の感情がそこにあり、もし、それを失うことがあるとしたら、彼らが鬼としての死を迎えるときになってしまうのではないでしょうか?

 

 鬼を生み出した無惨は、「不変」であることを理想としています。鬼は不変の感情を保存する器としての意味があるのかもしれません。

 

 妓夫太郎たちが行っていたことは復讐でした。自分たちに何も与えず、自分たちから全てを奪っていこうとする自分たちをとりまく世界の全てへの復讐です。妓夫太郎たちが行ってきたことは悪ですが、その悪は、誰も彼らを助けようとしなかったということへの復讐です。

 

 復讐という行為については、僕は虚しさを感じるところがあって、それは、復讐という行為が、何かを奪われた人がそれそのものを取り返すことができる行為ではないからです。やり遂げたことで、そもそもの根源である喪失感は埋まらないということです。何かを求めるあまりに、それが手に入ることに繋がらない行為をしてしまうことは、悲しいと感じてしまいます。。

 そして、しかしながら復讐は、奪われてしまったものがもはや決して二度と手に入らないことが分かっている状態での、他にどうしようもない代償行為として存在していたりします。そんな虚しいことを、せざるをえないように人間がなってしまうことがとても悲しいなと思ってしまうのです。

 

 復讐なんてするべきではないなと思います。しかし、人がどれだけの喪失感を抱えていたとしても復讐をするなと言うことは暴力的ではないでしょうか?前述のように、他人から選択肢を奪うことは僕の中では暴力です。その復讐という選択肢が、僕から見てとても虚しいものだと思えたとしても、それを奪うことは他人に対しての暴力だなと思えてしまうからです。

 

 なので、妓夫太郎が鬼になってしまったことそのものは否定的に思えません。ただ、哀れなことだなと思います。そして、そんな哀れなことが、さらなる不幸を生み出していきます。その状況も良いことだとは全然思いません。

 ただ、鬼になってしまったんだなと思うだけです。そして、鬼にならないで済んだ方がよかっただろうになと思います。この鬼になるということは、復讐をするということと僕の中では同じ話だなと思いました。

 

 この先、妓夫太郎編がアニメ化もされるでしょうが、できれば劇場版の潤沢な予算で観たいなという気持ちと、でも、もう一回テレビシリーズを挟んだり、2時間程度の映画に収めることを考えると、結構難しいなという想像もあって、でもなんとか上手いことやってくれまいか??と思っています。

 

 最後の僕の描いた妓夫太郎のファンアートでも置いておきます。