漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

「忍者と極道」と敬意・感謝・絆関連

 コミックDAYSで連載中の「忍者と極道」を皆さんは読んでいますか?

 

 この漫画は、江戸時代からの因縁のある忍者と極道の戦いの、現代に至る最先端の物語です。この漫画における忍者は、常人離れした強い肉体を持ち悪を討つために戦う存在です。そして極道は、手段を択ばず悪を成す存在です。そして現代では、忍者(しのは)くんと極道(きわみ)さんを中心としてその戦いが繰り広げられます。

 

 この漫画の基本構成は、山田風太郎の小説「甲賀忍法帖」を意識していると思われます。

 甲賀忍法帖は、能力バトルもののチーム戦という現代の少年漫画にも引き継がれ続けている構図の源流にあたるようなお話です。戦うのは甲賀と伊賀、そして甲賀の当主となる弦之介率いる卍谷衆、と伊賀の当主となる朧の率いる鍔隠れ衆です。甲賀と伊賀は、徳川の世継ぎを決めるための代理戦争として戦うことになります。ここで悲しいのは、弦之介と朧は恋仲であったということです。甲賀ロミオと伊賀ジュリエットというという章題にもあるとおり、惹かれ合う2人が、対立する組織の中で苦しむことになります。

 忍者くんと極道さんの2人の男も、戦いが始まる前に偶然出会います。彼らは同じアニメが好きであるということから意気投合し、忍者くんにとっては初めての友達、極道さんからすると、事故で失われたはずの感情を刺激する特別な存在として惹かれ合います。

 しかしながら、彼らはそれぞれが自分たちそれぞれの仇である忍者と極道であることをまだ知りません。いつか発覚するその爆弾を抱えながら、忍者と極道の戦いは激化していきます。

 

 この漫画の特徴的なところは、戦うにあたっての忍者と極道のそれぞれの特性のバランスだと思います。

 少数精鋭ながら圧倒的な肉体的な強さを誇る忍者と、数では勝れども常人でしかない極道では、単純には戦いになりません。しかし、そこにそのバランスを破壊するアイテムが生まれました。ヘルズクーポン、これは紙型のドラッグで、使用者の肉体を刃物や銃弾、爆発に耐えうるほどに強化してくれます。それでもまだ忍者が優勢だと思われるところに、忍者のどうしようもない弱点が存在しています。

 

 それが「情」です。

 

 強さでは圧倒的であったはずの忍者が、かつて極道たちに大敗北を喫したのは、忍者たちの情による判断間違いがあったからです。そしてそれは現代にも生きています。この物語は、忍者側に主人公視点、極道側に敵視点を置きながら、敬意・感謝・絆の力を積極的に使うのは、むしろ極道側です(もちろん忍者側にもありますが)。

 多くの物語で基本的に主人公側に割り振られる、友情の力を弱者である極道たちが発揮することで、忍者たちを追い詰める構図が存在します。

 

 ただ、極道たちの言っていることはおかしいんですよね。自分たちが人々を傷つけ、奪い、殺した罪を最大限軽く表現しながら、自分たちが忍者によって受けた痛みだけを強調しています。自分たちがいかに被害者であるかという認識をして怒りを燃やし、仲間内でだけ敬意・感謝・絆で結束を固めます。

 

 極道たちの行動原理は理解できる部分があり、理解できない部分があります。ここにひとつ補助線を引くならば、彼らは極道とそれ以外の人間を等価だとは思っていないのでしょう。だから他人を傷つけることと、自分たちが傷つけられることも等価ではありません。仲間のことを想い、厚く信頼関係を信仰しながらも、仲間ではない人々をゴミのように扱います。

 彼らは自分たちを孤独であると言います。社会に居場所がないと言います。だとすれば極道たちにとっての認識は逆なのかもしれません。極道でない人々たちは極道を仲間に入れてくれませんでした。仲間に入れて貰えないのであれば同じ人間ではないのです。

 

 これは例えば、「HUNTER×HUNTER」に登場したジャイロという男の行動原理を考えればより理解しやすいですね。自分は人間の枠組みに入れられていないと気づいた瞬間から、彼は人間たちへの暴力に目覚めました。

 

 世の中から居場所を奪われたはぐれ者たちが、力を手に入れて起こした大反逆という意味では、極道たちは自分たちを物語の主人公だと思っているのかもしれません。そして、その彼らの主人公性は読者にも分かる部分があるはずです。彼らはあんなにも間違っているのに。

 

 極道は忍者に恨みを抱えています。忍者も極道に恨みを抱えています。極道たちは悪いのに自分たちを主人公とする物語の中にいます。一方で、忍者たちだって本当に曇りのない正義でしょうか?彼らが正義のために行った殺しに、罪はないと言い切ることができるのでしょうか?これは憎しみの連鎖の物語です。互いに多かれ少なかれの視野狭窄であり、互いに自分たちを正義の主人公だと捉える2つの派閥の戦いです。

 

 だからこそ、「忍者と極道」は正義と悪の戦いであると同時に、悪と正義の戦いであり、悪と悪の、そして正義と正義の戦いであることが同時に重ね合わされた物語のように思えます。そこに矛盾があるからこそ、それはあるいは葛藤という形で感情の流れが入り組んで複雑になり、強いエネルギーが生み出しているのではないでしょうか?

 そして、その象徴たる忍者くんと極道さんの間には既に奇妙な友情があり、全てが発覚するときにその愛と憎しみの矛盾の前に立たされることだけが示唆されています。

 

 また、このお話には、他の沢山の漫画やアニメからの引用が存在します。忍者くんと極道さんを結び付けたものは「プリキュア」をモデルにしたアニメですし、極道たちは「特攻の拓」の台詞を引用します。特に説明なく登場する極道たち個々人が身につけた戦闘特性、極道技巧(ゴクドウスキル)にも他作品の影響が見て取れます。

 能力ものチームバトルの源流である甲賀忍法帖を下敷きとしながらも、その上には現代に至るまでの数々の漫画やアニメなどの物語の構成要素がてんこ盛りにされており、まるで人間の胎児が進化の過程をなぞるような形態変化を見せるように、一作の中に歴史が詰め込まれているようにも思えます。

 

 つまり、あの漫画で、あのアニメで、あの物語の中で、主人公たちをエンパワメントしたような要素が、多くの物語では主人公たち側だけに使うことが認められていたような要素が、忍者と極道のそれぞれに区別なく惜しみなく分け与えられ、彼らの精神に感動的に力を与えることができるのです。

 それが彼らをとにかく苛烈な戦いに駆り立てます。

 

 いやー、本当に毎週面白いですね。来週2巻が出ますが、今後もほんと楽しみですね。皆も読もう「忍者と極道」。

 

 あとこれは、最近描いたファンアートです。