13歳下の妹が小学生のとき、勉強してるとおれが偉い偉いと褒めるせいか(おれ自身は本当に宿題をやろうとしなかったため)、おれが実家帰ってるときに、「宿題しようっと」とか言いながら、おれがごろごろしてる部屋まで来て宿題を始めるので、可愛くてよかったな。
— ピエール手塚🍙 (@oskdgkmgkkk) 2020年12月9日
せっかくだから、漫画描いたりしてるので読んでください!ちばてつや賞のヤング部門で佳作を頂いた漫画です。 https://t.co/jLupGzv6nS
— ピエール手塚🍙 (@oskdgkmgkkk) 2020年12月10日
やりました…!バズったので、宣伝を…!
— ピエール手塚🍙 (@oskdgkmgkkk) 2020年12月10日
僕のハートフルな思い出発言がなぜかバズったので、せっかくだから自分の描いた漫画の宣伝でもするかなと思ってリプライツリーにぶら下げたんですが、統計情報からリンクをクリックして貰えた回数は分かるので、30000回ぐらいはクリックして貰えたようなので、まあよかったよかったと思いました。
お褒めの言葉や感想なども100件近く頂いたので、ありがたいことだなと思っています。
この漫画は最初にコミティアで出したときの売れ行きは50冊に満たないぐらいなので、有料無料の差はあるにしても、ごっつい差だよなと思います。数を読んでほしいなら同人活動では紙の本を作る必要はないなと思ってしまいます(僕は紙の本を作りたくて同人活動をしているのでいいのですが…)。
また、この漫画はこれまでも別の機会があって、Twitterのフォロワー周辺の人たちには大体読んでもらうような状況は既に過ぎていて、この漫画を面白いと思って貰える範囲のポテンシャルはもうとっくに使い切っているかなと思っていたのですが、まだまだ全然初見の人が沢山いたということに、えー、そうなんだなと思いました。
つまり、世の中はそれだけ分断されているということなのではないかと思います。情報は遠くに飛ばそうとしても近くだけをぐるぐる回っていて、本当に遠くまで届けさせるには何かしらの越境が必要だということです。
バズりは、そのような複数の文化圏を繋げてしまう現象とも捉えることができます。だからこそ、周知に有利な部分があると同時に、異なる文化圏同士を繋げてしまうので、揉め事の種にもなるだろうなと思います。
ともあれ、漫画は、面白いとか面白くないとかが判断される前に、まず読まれないということです。より正確には、読まれないというより、それが存在しているということすら広く伝わっていないということだと思います。
読まれなかったから面白くなかったのではなく、それを面白く感じてくれるような人にまで届けることって、描くこととは別にとても難しいんだなと思ってしまいます。
「鬼滅の刃」が爆発的に売れているのを見ていて思ったのは、「本屋で紙の本を買いたい人って、まだこんなにいたんだな」ということです。この十数年で本屋の店舗はどんどん減っていて、漫画好きは近所に売っていない本を通販で買いますし、家に置く場所がないという理由から電子書籍で買っているのを目にしていました。
なので、紙の本を買いたい人というのはどんどん減っていて、いずれなくなってしまうんだろうなと思っていたんです。でも、その感覚に反する、本屋で紙の本を求める大量の人がいることを目にしたことで、紙の本が衰退していたというよりは、この人たちにまで繋がる道がどんどん狭くなっていたのかな?というような認識になりました。
そのようにジャンプで商業連載されている漫画ですら、まずその存在が世間に十分に届いていないんだなあと思いました。その漫画の中身が面白いか面白くないかはその先の話になります。読んでない人はまだ読んでないのだから、それが面白いか面白くないかはまだ当然分かりません。
漫画は原理的に、面白さがまるで分からないままに読み始めるものです。世の中の大半の漫画は、世の中の大半の人にとってその機会を得られず、面白いとか面白くないとかを感じられることすらない現状があるわけです。
じゃあ、とにかく無理矢理にでも宣伝をすればいいのか?という話も難しくて、読んだのに結局中身が面白く感じられなければ、そこに反発が出てきたりします。そのようなことを何度か繰り返すたびに、宣伝をできない状況に追い込まれてしまうかもしれません。
とにかく広く話題になることで文化圏の越境ができれば、それまで届かなかったところに届いて、爆発的に売れる可能性があります。しかしながら、その一方で、それまで同一文化圏では見逃されていたものが見つかってしまい、盛大に怒られる可能性もあります。
このように読者と作品のマッチングというのは難しくて、「ある漫画が、それを面白いと感じられる人に確実に届くための一番いい方法」が見つからないままで、今の世の中はあり続けているのだろうなと思います。
なので、たまたま文化圏の越境に成功できたものと、そうでないものの差が大きくついてしまうのではないでしょうか?
「面白い漫画だから広く読まれる」なんてのは現実的ではない理想論で、勝者は何かしらの波に乗り、「面白いとか面白くない以前に読まれる」という状態になっていなければならないんだろうなと思います。
それがいいことなのかどうかは分かりませんが、僕の漫画も、うちの妹が可愛いという理由だけで何にも分からないままに3万人がクリックはしてくれたので、となると、漫画が読まれるかどうかは「その面白さ」じゃなくて、「妹が可愛いかどうか?」になってくるじゃないですか。
なので可愛い妹がいてよかったなと思いました。