漫画皇国

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「タイムパラドクスゴーストライター」をおもしろく読んでた関連

 タイムパラドクスゴーストライターは、ジャンプで連載されていて、この前完結した漫画で、終わる直前は特にかなりおもしろく読んでいたので、短く終わってしまって残念でした。

 

 おそらく打ち切りで終わっており、もっと長く続くなら回収されるはずだったと思われる要素のいくつかも宙ぶらりんの状態でしたが、短く終わったために結果的にテーマ性のようなものはむき出しになったように思ったので、そこが分かりやすくなっていったのが終盤おもしろく感じていた理由のひとつではないかと思います。

 

 この物語は、連載をどうしても勝ち取れず、編集者に強めにダメ出しばかりをされていた漫画家の卵の佐々木くんの家に、ひょんなことから未来のジャンプが家に届くようになり、そこに載っていたとてもおもしろい漫画「ホワイトナイト」を、うっかり無自覚に盗作してしまうところから始まります。

 僕が序盤で感じていたことは、佐々木君がやってしまう盗作という事実の悪さと、人間としての善良さのバランスの合わなさであり、また、佐々木くんが抱えている美学がイマイチよく分からない感じだったりしたことがあったための困惑でした。

 

 主人公なのに、どういう考えのもとに何を正しいと考えているのかがよく分からないという、作中の倫理観や美学の基準が全然分からなくて、これはいったいなんなんだ?というのが当初読みながら思っていたことです。

 僕が思うに「漫画を描く」ということもある種のコミュニケーションの形態のひとつで、だから「誰かに何かを伝える」ということが重要ではないかと思うのですが、佐々木くんは漫画を読んでほしいのは特定のどういった人ではなく、漠然とみんなだと言いますし、内容としてもそこに対して自分の中にある誰かに伝えたいものがあるわけでもありません。

 それは悪いことではなく、ただ平凡なだけだと思います。いや、特別な何かになりたいのに、平凡でしかないということは、限られた人しか立てない場所に立とうとする上では不利なことなのかもしれませんが。

 

 なので、最初の方ではよく分からない漫画だなと思っていました。

 

 ただし、「透明な傑作」という概念の説明が登場してから、そこはがらりと変わります。透明な傑作とは、後にホワイトナイトを描くはずだったアイノイツキちゃんが抱えていた概念です。それは、作家がどうしても持ってしまう個性としてのクセを極限まで排し、全人類の誰が読んでも気兼ねなく楽しむことができる究極の漫画のことです。実際、日本で一番売れている漫画でも単巻では数百万部が限界です。

 日本人口から言うと、95%以上の人たちは単行本は買わないということを選択した漫画と考えることができます。それを100%にすることは現実的に可能でしょうか?不可能だと思います。

 でも、そんな不可能な場所を目指してしまう人間がここにいたと考えれば、全て辻褄が合うと思いました。そこで今まで分からなかったことに対する理解を得たと思ったわけです。

 

ここでもうちょっと詳しく書いてます。

mgkkk.hatenablog.com

 

 囲碁漫画の「ヒカルの碁」で、塔矢名人とどうしても打ちたいと言った幽霊の佐為に対して、ヒカルは佐為の存在がバレてしまわないように、15目差で大勝することを目標とさせるハンデをつけるなら…という条件付きで打たせるという展開がありました。同等の条件でも勝てるかどうかが分からない相手に、大差で勝とうと思えば、それは一見むちゃくちゃな碁になってしまいます。ただし、名人に対してそんな勝ち方をしようとする人がいるなんて思えないため、その真意に気づける人は普通はいません(塔矢名人は気づきましたが)。

 タイムパラドクスゴーストライターもこれと同じじゃないかと思っていて、そんなむちゃくちゃな場所を目指しているのならば、これまでのはちゃめちゃな展開をその解釈で読むことができるということに気づくわけです。そのスケールのデカさを目指しているならば、正攻法な面白い漫画を作ろうとしている編集者との意見が合うわけがありません。

 

 佐々木くんとアイノイツキちゃんの漫画を盗作してしまいましたが、その一方で、この物語の中で、他の誰にも理解できない同じ場所を目指している数少ない同志だということになります。そして、未来のジャンプが届かなかった場合の別の未来では、むしろ佐々木くんの描いた漫画がアイノイツキちゃんに影響を与えていたという事実も告げられます。

 

 このように、ありえないような理想の場所に向かって突き進む無謀な人たちであったということが分かったことで、この物語に対する理解が僕の中に生まれました。また「透明な傑作」は現実的にはあり得ない漫画であったとしても、漫画の中ならば存在することができると思います。

 それがどのように生まれるのか、生まれないのか?もし否定されるなら、どのように否定されるのか?彼らが目指すべきところはどこなのか?そして、そこに辿り着くことはできるのか?ということにとても興味が湧いてきました。

 

 例えば、そんな「透明な傑作」は、ひとりの力ではできなかったとしても、時空をゆがめてそれぞれの人が時代時代に積み重ねたものを継承し続けた果てには、もしかすると生まれ得るかもしれません。もしかすると、それがタイムパラドクスゴーストライター、時空の歪みの中で誰が生み出したのかも曖昧なままで生まれる究極のクリエイティブなのでは?などと想像したりしました(なお、この想像は全く外れています)。

 

 現代の漫画表現も、過去の様々な漫画家たちが生み出したものの上にある最先端です。ひとりの人間だけでは生み出せなかったものを、これまで読んできた沢山のものを取り込んで前に進んでいることに自覚的な漫画も沢山あります。例えば、ジャンプではチェンソーマンがそうですし、他には忍者と極道もそんな漫画だと思います。影響を受けたものを隠すことなく取り込み、推進力として、ひとりの人間のクリエイティブだけでは突破できない先に行こうとしている漫画です。

 

 この物語は、最終的にアイノイツキちゃんを救うことを目的とした物語だということが分かりますが、その過程の無数の試行錯誤があり、どうしても助けられない誰かを助けようとする無限の試行錯誤の中で、遂にはその透明な傑作が生まれたりするのではないのか?そして、それはいったいどういうものなんだろうか?ということを期待したりしていたんですが、実際、最後まで読んでみるとそういう感じにはならず、割と落ち着きそうなところに落ち着く話になってしまったように思いました。

 

 まだ完結巻も出ていないので、ここでは終わり方はぼやかしておきますが。収まりのいい話としては落ち着いたように思います。

 

 ただ、個人的にはどうせなら突き抜けて欲しかったような期待を勝手に抱いてしまっていたんですよね。爆走する車が上手い具合に駐車場に止まるよりも、なぜだかさらに加速して空を飛び、大気圏の外に飛び出してしまうような感じに。

 

 話を綺麗に収めてしまったのは、短く終わらせることになったからということも関係しているように思うので、もしもっと連載が続いていたら、どのような展開や終わり方をしていたのか?というところは気になります。

 

 僕は漫画をテーマ性みたいなもので読みがちなところがあって、僕が言うテーマ性とはつまり価値観のことです。何を良いと考えて何を悪いと考えるか。物語が何に寄り添っているのかという価値観が持つ個性に興味が湧いて読んでいることが多いです。

 漫画を誰のために描いていて、そこで何を描こうとしているかというのは、僕自身が漫画の同人誌を作るようになって考えることがある話で、だから分かる話だと思うんですよね。

 

 そういえば、僕自身の感覚はそれをそのまま漫画にしてみるかなと思って描いたやつがあります。

誰ガ為ノ草枕www.pixiv.net

 ここで描いたものは、同人誌でもあるし、結局自分は自分が読みたいものを描くしかないなと思って、それを同じく面白く思ってくれる感覚の人が他にもいるということを祈るという姿勢でした。それが自分にはしっくりきたんですけど、まあ狭い話だなとは思っていて、そういうところにも、なんかもっとでっかい何かに対する期待があったのかもしれません。

 

 タイムパラドクスゴーストライターは、せめてあと1巻分多く続いたら、もう少し駆け足でなく色々描けることもあっただろうになと残念な気持ちになりましたが、世の中は色々仕方ないので、仕方ないなと思います。

 何か僕が思いもよらなかった概念や、読んだ後、自分の考えられる範囲が広がるのではという可能性があっただけで十分面白く読みましたし、それが描かれるぐらいに連載が続いていればもっと良かっただろうなと思います。残念。