漫画皇国

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物語のグラフ複雑性問題について

 お話の展開が分かりやすい漫画と分かりにくい漫画というものがあると思います。そこにはいくつかの原因が考えられますが、代表的なもののひとつはストーリーのグラフの複雑さに起因するものじゃないかと思っています。

 ざっくり言うと、今紙面上で起こっている展開を理解する上での手がかりが、過去の展開のどこにあるかということが分かりやすさと密接に関係しているということです。

 

 この状況の分かりやすい例で言えば、沢山の人が集められて大金や命をかけたゲームをするという種類の漫画です。その手の漫画の場合、ゲームのルールはお話の序盤に提示され、読者は物語を読み進める上でこのゲームがどのようなルールで行われているかを把握しておく必要があります。なぜならばルールを正確に理解しておかないと、そのルールの穴をつくような驚愕の展開があったとしても、ルール自体がよく分かってないので、どんでん返しであることが理解できないからです。

 これがその状況の模式図です。

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 起承転結の「起」でルールの説明が行われ、「承」でそれを受けたゲームの展開があり、「転」でルールの穴をついたどんでん返しがあって、「結」でお話が終わります。図中の点線は、現在の状態を理解するために、どの過去の出来事を参照する必要があるかを示しています。

 つまり、「起」は何の前提もなしに理解することができますが、「承」は「起」で示されたルールを理解しておく必要があり、「転」では「承」の状況に加えて「起」のルールも理解しておく必要があります。「結」の場合は、最初に何があってこの結末があるのかを理解する上でも「起」を把握しておく必要があるでしょう。

 実際の漫画連載では「承」が非常に長く続いたり、「転」が「承」を挟んで複数回存在していたりもします。その場合も直前の状態に加えて、常に「起」を参照する必要があり、長期連載の場合は、「起」が何年も前に説明されただけの状況もあるので、途中に「起」と同様の説明が繰り返し挿入されたりもしますね。

 

 分かりやすい物語を構築する上で大切なことは、読者が何を把握していて何を把握していないか(忘れてはいないか)を、作者側が上手くコントロールすることだと思います。

 それが上手くいかないと現在の登場人物たちが何を前提として行動しているかが分からず、お話の内容も上手く理解できなくなってしまいます。ただし、その「何をちゃんと憶えているか」は読者ごとに違いますし、連載途中から読み始めた人だっているかもしれません。作者側にはコントロール不能なことも多々あるでしょう。それでも、できるだけ分かりやすくなるように多くの漫画は作られているものだと思います。

 

 作者にコントロール不能な状況と言えば、例えば僕は「ジョジョの奇妙な冒険」を第三部の途中から読み始めたのですが、ダービー(兄)戦での魂を賭けたギャンブルにおいて、主人公の承太郎が、怪我で入院中の花京院の魂を賭けたことに驚きました。なぜならば、僕が読み始めた時点で花京院は怪我で一時退場しており、その存在を知らなかったからです。つまりその展開を読んだ小学生の僕は「知らない人の魂をいきなり賭け始めたぞ!!」と思いました。そして、その後に承太郎の母ホリィの魂まで賭け始めるのですが、僕はそもそも彼らの旅が何を目的としているのかも分かっていなかったので、そうか、この人たちは承太郎の母親を助けるために旅をしていたのかーとようやく理解することになりました。

 そのときの僕は、旅の目的を知らなくても物語を楽しむことができたのです。そしてこの物語に登場するスタンドという能力の設定も、途中からいきなり読み始めても理解することができていました。これが意味するところは、ジョジョの面白さは少なくとも小学生の僕にとって、彼らの旅の目的とは関係ないところでも発生していて、途中のエピソードから読み始めても十分理解できる面白さで満たされていたということだと思います。

 

 読者を途中からでも呼び込みやすい漫画は、少なくともこのような面白さを持っているものではないでしょうか?特殊な設定や用語があり、沢山の登場人物が存在していたとしても、ある一話を読んだだけで展開が理解できる内容になっているということが重要だと思います。もちろん特殊な前提はあってもいいですし、理解できていればより面白いと思いますが、それなしでも理解できるお話であれば、途中から読み始めることがとても楽になるでしょう。

 その模式図がこれです。

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 現在の展開を理解する上で、過去の複数の出来事を理解しておかなければならない物語は、その複雑さが面白さを生み出していることも間違いないですが、途中から読み始めたり、過去の展開をちゃんと憶えておかない場合に、今何が起こっているかを上手く理解することができません。そこに分かりやすさと分かりにくさがあり、新規読者の参入障壁となり得るのではないでしょうか?

 このような考え方により、ある物語が分かりやすいか分かりにくいを判別するには、例えば、作中の一話を切り取ってみて、そこで起こった展開や固有名詞を理解する上での手がかりが、その一話の中にあるかどうか?もしないのならば、それでもなんとなく理解できる内容であるのかどうか?あるいは、過去の展開を覚えておく必要がある場合、それはどれぐらい前に説明されたものなのかどうか?という辺りを考えて繋ぐ線を引いてみると、その複雑さを評価できるのではないかと思います。

 

 ちなみに、このような状態と状態を矢印で結んだものを有向グラフと呼びます(皆さん御存知ですね)。繋がりを抽象的に扱う場合に使う道具です。

 

 さて、ここまでは、状態に左から右への時間の流れがある中で、現在から過去に向かって参照するグラフの話をしてきました。しかしながら、物語の中には現在から未来を参照するグラフも存在します。つまり、例えば、全く説明されずに登場した用語が、お話がだいぶ進んでからようやく説明するようなケースです。これを伏線と呼ぶ場合もあります。

 この状態は、参照先がないままで状態を理解しなければいけないので、読者側からすれば多くなればなるほどにストレスが溜まります。英語の文章を読むときに分からない単語を分からないままで読まされているようなものだからです。一定量以上増えてしまえば、分からないことが増えすぎて文書を読むこと自体をやめてしまうかもしれません。

 しかし、今分からないことは気になることでもあるので、この未来を参照するグラフは物語の先を読ませようとする力もあるのではないかと思います。

 これを有効に使っているケースは最近では「ジョジョリオン」の序盤だと思っていて、物語の開始の時点で無数の分からないものが提示された上で、その意味が分かるということを毎回提示してお話を進めていました。ある謎が解消されたときに、また新たな謎を提示し、現れては解消される謎を追い続けることが物語の先を読み進めるモチベーションになりました。

mgkkk.hatenablog.com

 また、これを非常に極端に使っていた例では「BLAME!」があるでしょう。この物語では、主人公が「ネット端末遺伝子」というものを探しているということ以外は説明が乏しく、主人公の霧亥が何者で、何を理由に旅をしているのかは読者に明確に提示されません。物語を最後まで読んでも明確な答えがないものも大量にあります。この分からないまま読み続けるということが「BLAME!」の面白さの特徴であり、また、そういう作りであるゆえ、読み続けるのを脱落したという知人もいます。

mgkkk.hatenablog.com

 

 物語ではこのような過去や未来に向ける参照のグラフをどのように設計するかが、読者にどう読んで貰えるかをコントロールする上で重要な要素ではないでしょうか?

 物語にしばしば登場する「過去編」が熱心なファンに喜ばれるのも、過去編(過去と言いつつ物語の展開上は未来に位置するのでややこしい)は、過去にあった分からなくて先送りにしたことを一気に解消する状態遷移先であるからと考えることができます。

 一方、散々未来に参照先を先送りしておきつつ、その先には遷移する場所が何もないこともあって、その場合には怒る読者もいます(ただし、明確に説明することをしなかったというだけで作者の頭の中にはちゃんとある場合もあるそうです)。

 模式図が以下です。

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 このように考えると他の沢山の展開から参照される物語上の地点が、熱心な読者にとって喜ばれる状態だと考えることができ、また、その先が「ある」と思ったのに実は「ない」ことが読者のがっかりを呼ぶという考え方ができるかもしれませんね。

 

 こういうことを考えていて思うのですが、「カイジ」のシリーズに登場するギャンブルは、この考えに基づいて解釈する上で非常によくできているということです。

 エピソードごとに特殊なルールのギャンブルがあるということは最初に示したような構造上、現在を理解する上で過去を参照する頻度どうしても多くなってしまいますし、物語が分かりにくくなる要因になるはずです。

 しかし例えば、一番最初の「限定ジャンケン」や今やっている「ワンポーカー」などはゲームのルールが非常にシンプルです。これはつまり、ルールは最初に提示しなければならないものの、そのルールを参照するという行為が非常に軽いということを示していて、ジャンケンで勝つか、数が大きい方が勝ちというような、誰にでも理解しやすい状況に読者を集中させるという効果があると思います。

 なので、特殊ルールのギャンブルかつ、最近ではお話の進み方が非常に鈍重(「承」が多い)にも関わらず、状況が理解しやすいですし、作劇上の妙手だなあと感じます。

 そして、この前は伏せられたカードがひっくり返り終わるまでで1話使い、しかもそのカードが何であるかまだ分からないという、まるでアキレスと亀のような時間間隔の薄まりがありましたが、そこに、今までの状況とギャンブル当事者の心情の説明をきっちり入れてきており、これから起こりうることに対して、読者に把握して欲しいことをしっかり提示してきたのがまた手練れだと思うと同時に、うるせえ!!おれはわかってるから、早く先を読ませろや!!!!!という気持ちがすごく沸き上がってきてしまってたいへんでした。

 

 今週のヤングマガジンでカードの中身もようやく分かったことですし、状態遷移先がきっちりあってよかったですね。何の話だったか分からなくなったので、この辺で終わりにしますが、みなさんも読んでいる物語がどれぐらい複雑なのか、グラフを書いて検証してみてもいいかもしれませんね。

 先生はめんどうくさいのでやりません。