漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

漫画で格闘シーンを描くのは難しい関連

 この前、新しく描いた漫画(そのうち掲載情報を告知します)で格闘シーンがあったのですが、なんかすごく難しかったんですよね。

 

 人が喋っているシーンは、顔とセリフが描けたらなんとなく成立するんですけど、格闘シーンって動きを描かないといけないじゃないですか。人と人がどういう位置関係にいて、どのような攻撃をした結果、受けた相手がどうなったかというように伝えないといけないものがとても多いです。

 漫画を描くのも基本的にはコミュニケーションだと思います。なので、僕が描いた絵と文字は、読者が意図通りに理解してくるような形になっていなければなりません。そのための技法に関して、僕自身にストックがなく、じゃあどうやったら頭の中にあるこの動きが伝わるのかなあと考え込んでしまいました。

 

 でも、それ以前に僕の頭の中にある動きが納得感のあるものなのかどうか?という課題もあります。

 

 八極拳の使い手を漫画に出したんですけど、そもそも八極拳について主に漫画、そしてゲームのバーチャファイターぐらいでしか知らないので、実際どういう原理で攻撃力が発生しているのかの理解があやしいなと思いました。

 そこで、YouTube八極拳の動画を色々見たんですが、それで分かったのは、僕のこれまでの理解の間違いみたいなところです。

 

 とりわけ八極拳がそうですが、漫画中国拳法の原理は「踏み締めた足(震脚)から上がってくる力を螺旋状に巻き上げ、打突部分に集中して吹っ飛ばす」みたいな感じだと思うんですけど、実際の動きを動画を見た感じだと、基本的には体当たりというか、大木のような太さを感じる体幹を相手に対してぶつけているというように見えました。

 つまり、直接ぶつける部分が肘であったり、背中であったりするものの、体全体を一体化した重みとして、相手にぶつけているようなイメージです。

 

 そして、ネーム(コマ割りとセリフを含めた漫画の設計図)で描いていたアクションは、漫画中国拳法の方だったので、早々にリアルな拳法の動きを描くのは諦め、嘘を描くことにしました。嘘とはいえ、その原理を読者に理解できる形にしなければならず、誇張表現としては震脚の強さと、流線による力の動きの表現を入れることにしました。

 力がどこから発生して、どのように伝わるかが描ければ、そこに理解できるものが生まれるのではないかと思ったからです。また、その威力は、攻撃を受けた相手が吹っ飛ぶことで表現できると思いました。

 

 衝撃の強さに関しては、ホワイトの飛沫を飛ばせば強調できるなとか、学ランの黒ならば、動きの流線と服のシワを一体化させることで見せやすくなるななどと、色々なことを考え、どうにか格闘アクションのシーンを組み立てていきましたが、すごく難しくて、それが上手く伝わるかどうかは、読んでもらってという感じです。

 

 色々細かいことが分からないんですよね。例えば、デカい擬音を描けば、威力の強さが出ると思うわけじゃないですか。でも、デカい擬音って絵を隠してしまうので、少しでも伝えるために描いている絵が隠れたら伝わりにくくなるかもしれません。

 僕はリアルじゃなくて記号的リアリティのある絵を描いているという自覚があって、例えば、光源的に何も正確ではない影であったとしても、描いておけば立体感を補足する情報と使えるとか、手前と奥に何かものをおけば、空間があることを演出できるとか、ちょっとした描写で上手く見る人の脳を騙して、頭の中でいい感じに再現してもらおうとしているわけです。

 でも、記号的であるからこそ、その記号部分が隠れたら意味が通らなくなりますよね?例えば「め」と「ぬ」の右下の部分が隠れていたら、文字情報は上手く伝わりません。記号は完全な形をしていなければ記号としてのていをなさないわけです。

 

 なので、擬音をデカく描きつつ、記号のディテールを隠さない配慮が求められるわけで、その方法としては、擬音の中を透明で抜くとか、キャラの後ろに擬音を回り込ませるみたいな技法が必要となってくるわけです。

 そういう気持ちで別の格闘漫画などを読み直すと、ほんと実に様々なアイデアとともに配慮の行き届いた表現がされていて、すごいなー!!って気持ちになったりしました。

 

 ちょうどその漫画を描き終わった後に、大ベルセルク展に行ったのですが、自分が格闘シーンを描くということを一回やってから見ると、本当にベルセルクの格闘シーン(というかバトルシーン)が、洗練されたアイデアとともに、高度な演出技法で構成されているものであることがよく分かった気がして、本当に感激してしまいました。

 

 ベルセルクは本当に高度な演出技法で作られた漫画だと思って、伝えたいものを万全の形で読者に伝えるということに対して徹底的に考え抜かれています。威力を表現する際に、どこから力が発生し、それがどのように伝わって、結果何が起こるかの組み合わせだけでも大量のバリエーションがあり、めちゃくちゃ伝わってきます。

 これはきっとバトルシーンだけではなく、それ以外の部分でもそうで、何かを伝えるときに、それを過不足なく効果的に伝えるということで僕は読みながら感激していたんだなという理解が深まりました。

 

 何か伝えたいものがあったときに、それをどのように伝えるのか?という部分があるわけじゃないですか。漫画はネームが命であると言われるのは、そこに「いかに伝えるのか?」という演出の設計図があるからではないかと思います。伝えたいことのテーマ性みたいなものが一致している作品があったとしても、そのいかに伝えるかという部分によって大きくその伝わり方が異なってしまうのではないかと思います。

 なので、物語の出来事の羅列としてのプロットや、そのつなぎ合わせのストーリーみたいなものは、読んだ側に訴えかける力としては、演出よりも重要度は実はかなり低くて、そこにある良さをどうすれば読者に伝えるか?という演出を考えるところがめちゃくちゃ重要なんだなと思いました。それがネームの部分である程度決まるので、だからネームを描くのは難しいんだろうなと思います。

 

 漫画の原作でも、文章原作とネームまで描く原作は、演出手法の記述という意味でかなり異なっていて、原作の意図する演出までを効果的に伝える手法がネーム原作で、より原作者の意図が明確になったものなんだろうなと思います。

 

 ほんと難しいですね。漫画はそのうちどこかに掲載されるので、その時がきたら読んでくださいね。