漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

「トラペジウム」を観た関連

 アニメ映画の「トラペジウム」を観ました。すごくおもしろかったです。特に主人公が良くてめちゃくちゃ好きなタイプだなと思いました。

 本作は、アイドルに憧れる少女が、アイドルになろうとするお話です。同時にこの物語は主人公に対する理解を深めていく物語だと思いました。


 本作は主人公の東ゆうが、自分が結成するアイドルの仲間を見つけようとするところから始まります。自分の考えるアイドルを自己プロデュースするため、自分を東として、東西南北の方角になぞらえられる3人の仲間を探そうとします。彼女がなぜそれをしようとしているのかが最初はあまり語られません。彼女が何らかの理由で、目当ての女の子とまず友達になることから始め、そしてゆくゆくは四人のアイドルユニットになるための計画を遂行していくのを見守ることになります。

 

 彼女は目当ての人たちを友達とし、アイドルに興味を持ってもらうように仕向け、そして、たまたまテレビに取り上げられるように計画的に立ち回り、アイドルになるための可能性を高めることを図ります。

 しかしながら、その過程は実際は失敗続きで、思った通りには全然なりません。でもそこで足掻いた先に、ついに彼女たちはテレビに取り上げられ、番組の1コーナーを任されるようになり、そしてアイドルとしてデビューを果たすにまで至ります。

 

 僕が一番面白かったのは、そこでアイドルになることに成功した主人公が、「なぜオーディションを受けなかったのか?」と問われるところです。彼女はその問いにちゃんと答えませんが、一人になったあとで、実は受けたオーディションに全部落ちたということを独白します。

 

 ここが本当に良かったです。それによって、主人公は物語の冒頭の時点で、とっくに大きな挫折に直面していたということが明確に分かったからです。アイドルになりたくて、誰かに見つけて貰おうとアイドルのオーディションを受けたけれど、全然受からなかった、夢を叶えられなかった人間だと分かりました。

 そして、それでも諦めなかった人間だと分かりました。

 

 映画を見ながら僕が思い出していたのは、「グラップラー刃牙」に登場する格闘家、ジャック・ハンマーのことです。ジャック・ハンマーは強くなりたいという気持ちを人一倍持ち、強くなるために異常なほどのハードトレーニングを自分に課します。しかしながら、その結果は失敗です。強い気持ちはあったとしてもそれは科学的に間違ったトレーニングだからです。強い気持ちを抱えながら、ジャックの肉体はその気持ちに答えてくれません。誰よりも強さを欲しながら、世界一ハードなトレーニングをしている、弱い格闘家です。

 そんな彼が出会ったのはドーピングでした。薬物を使うことで、彼の肉体は彼の強い気持ちに答えてくれるようになりました。ジャックは自分の命を縮めるような方法で、ついに自分の気持ちに追いつく肉体を手に入れ、それを成したのです。

 

 主人公、東ゆうはアイドルになることを諦めなかった人間です。そして、自分には周囲が見出したくなるようなアイドルの才能がないことを分からされてしまった人間です。このまま誰かが何かをしてくれることを待っていても、決してアイドルになれないことを理解してしまった人間です。そして、そんな中でアイドルになるために必要なことをどんな手を使ってでもやっていくことに決めた人間です。

 だから、自分ですべてをやることにしたのでしょう。アイドルのコンセプトを考え、自分の考える才能のある人たちを見出し、グループとしての魅力を使って自分をドーピングすることで、かつて自分に目を向けてくれなかった人たちの目を向けさせようとします。

 

 そして、その計画は全然上手くいきません。諦めたくなるようになるタイミングだってあったと思います。それでも続けたという強い意志があり、そしてついにアイドルになります。しかし、なったあとも順風満帆ではありません。自分が集めたアイドルの才能のある仲間たちと比べれば、自分には目に見えて人気がありません。

 そして、自分の高い志に対して、別にアイドルになりたかったわけではない仲間たちはついてこれなくなります。

 

 ジャック・ハンマーもトーナメントの決勝戦で戦いながら、ドーピングの副作用がピークを迎えてしまいます。その状態が「マックシングだ」と呼ばれますが、東ゆうが作り上げたアイドル「東西南北(仮)」もマックシングを迎えてしまったなと思いました。

 

 どんな手を使ってでもアイドルになろうとした人間が、自分が作り上げた歪な夢のアイドルを崩壊させてしまったところに僕はめちゃくちゃ痺れました。

 

 そこから先が、この映画の本題と言えるものなのかもしれません。東ゆうにとってアイドルとは何だったのか?そして彼女がその先をいかに生きていくのかのお話です。

 東ゆうは、自分の目的を達成するために、周囲を利用した人間です。よくない人間です。彼氏の存在を伝えていなかった仲間に対して、友達になるんじゃなかったというようなひどい言葉を発したりします。もうアイドルを続けることが難しい仲間に対しても、どうにか続けさせようとしてしまい、それがさらに人を追い詰めます。でも、そんなものが長く続くわけはなく、彼女は必死で積み上げた全てを失います。

 

 あれだけなりたかった、ついになったと思ったアイドルである自分は、まるで幻であったかのように消え去り、何も残らなかったように思えました。


 ここで面白かったのは、その後、主人公に利用された仲間たちが、決して彼女を恨んだり憎んだりしない結論に至ったことです。その様子を見ながら、許すのかと思って驚きましたが、仲間たちが一方的に利用されたというのも一面的な見方でしかないということでしょう。

 仲間たちにはそれぞれ、主人公と出会い一緒に過ごした時間があり、それは悪いことばかりではなかったんだろうなと思いました。仲間たちはそれぞれ自分がいた場所で浮いた存在で、そんな子たちの居場所になるところを作ったのは主人公だったからです。

 主人公のまず友達になる作戦も、相手が好きなものについて調べて勉強し、合わせて、手伝うというようなやり方でした(それも上手くはできていませんでしたが)。もしかすると、主人公のアイドルになることへの想いに対しても、仲間たちが同じようなやり方で友達であろうとしてくれていたのかもしれません。ただ、それをいつまでも続けられなかっただけで。

 

 主人公は、自分が今まで上手く見えていなかった、アイドルを目指す自分の姿を肯定してくれていた人たちの姿を目にします。決して上手くはいかなかったものの、何もかも無駄ではなく、そこにあったものを胸に、主人公はそこから先に進んでいきます。

 

 本作を見終わってから思い出して色々思ったのは、車いすの少女が、10年後の自分というテーマで、アイドルの服を着たい思った気持ちを押し殺す場面です。代わりにそのアイドルの服を託された主人公は、その女の子にだけこっそりと、自分はアイドルになると打ち明けます。

 見終わってから思ったのは、このくだりは、アイドルになる才能がないと一度挫折した主人公だからこそ意味が出てくる場面だと思っていて、自分は車いすだからアイドルになんかなれないと最初から諦めてしまう女の子に対して、才能のない自分でもアイドルになってみせると約束する場面と捉えられると思うんですよね。

 「才能がない」ことが「アイドルになれない」ことなんて意味しないと自分が証明してみせるという表明です。できないことなんてないと、自分は絶対にアイドルになって見せてあげると、人間の可能性を諦めない心強い場面です。

 

 そう思ったときに、主人公に対してこいつはすごい奴だよと思う気持ちが追加で湧き、いい物語だったなと思いました。

 なので、観て良かったなと思いましたので、オススメです。