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三国志演義を登場人物3人の4ページ漫画に圧縮する試み関連

 前々回のコミティアに何にも作れる余裕がなかったのに、無理矢理作った4ページ漫画があります。4ページの漫画はA4に印刷して折れば冊子になるので、ホッチキスも不要で簡単に作れ、時間がないときにはこれを作ることにしています。

 

 さて、三国志を題材にした映画「レッドクリフ」を撮影するときにハリウッドプロデューサーが、登場人物が多すぎるので、劉備関羽曹操を一人の人物にまとめられないか?と聞いたという話があります。歴史の話なので、1人にまとめるのはありえないと笑ってしまいますが、歴史のことはおいておいて、物語に必要な登場人物の数はどれだけか?という問いを立てたとき、「歴史にはこれだけの人が出てくるから」という理由からむやみに数をそのままにしてもいいでしょうか?

 

 限られた時間の中で物語を作るときには、適切な人数というものがあるはずです。果たして、三国志という物語を描くために最低限必要な人数とは何人なのか?と考えたとき、これは面白い考えだなと思いました。つまりそこで、「自分が三国志という物語をいかに捉えているか」を表現することができると思ったからです。

 

 三国志における物語の本筋とは何かを捉えれば、それ以外のすべてを捨てても背骨は残るため、物語として成立します。その話を友達としていたときに、登場人物を3人に抑えるなら、誰だと思うという言い合いをしました。

 

 僕の答えは、劉備諸葛亮馬謖です。この3人がいれば三国志は描けると思いました。そしてそれを4ページで描くとすれば、切り取るのはもちろん「泣いて馬謖を斬る」の場面です。

 

 三国志という物語は、後漢の時代が終わり、新たに統一される時代が来るまでの混乱の時代です。様々な争いの中で、中国は魏呉蜀の3つの国に収斂し、そしてすべて滅びていきます。

 つまり、三国志という物語のテーマとは何か?それを僕は「継承の失敗」だと考えました。

 

 後漢の皇帝が、その権力を次代への継承するのに失敗することから始まる物語は、主人公として描かれる蜀の劉備を含め、魏の曹操も、呉の孫権もすべて失敗し、中国を再び統一するのは司馬炎です。子供の頃に読んだとき、それまで出てきた数々の魅力的な武将たちが次々に死んでいき、最後はこうなるということがとても印象に残りました。

 なので、継承の失敗に関する思いを描けば三国志になると考えます。

 

 三国志の物語の構成要素として、「三国を描く」「継承の失敗を描く」の2つを描ければよいとなれば、劉備の跡を任された諸葛亮を描けばいいことになります。諸葛亮劉備に対して、中国を3つに分ける天下三分の計を進言しますし、そして、劉備は遺言として、子の劉禅に才覚がなければ諸葛亮が跡を継ぐようにと言い残されているからです。しかしながら、諸葛亮劉禅を立てることを選択し、そして魏に戦いを挑みます。しかし、諸葛亮は何度も試みたその戦いに失敗し志半ばに死んでしまいました。これが継承の失敗です。

 

 そして、そんな諸葛亮が目をかけていたのが馬謖です。馬謖は任された戦の中で、諸葛亮の命に背き、独自の判断で陣を立てることに失敗し、その責を負って斬られてしまいます。処刑を命じたのは諸葛亮です。これが「泣いて馬謖を斬る」という言葉の語源です。目をかけていた馬謖を斬る判断をした諸葛亮の目に浮かんだ涙の話です。そう、これも継承の失敗です。

 

 劉備は中国全土を統一する皇帝の代わりになることができず、諸葛亮劉備の代わりになることができず、馬謖諸葛亮の代わりになることができません。ここに同じ構造の収束するポイントがあるため、諸葛亮馬謖を斬る場面を描けば、三国志そのものになると考えました。

 

 ここで描くべきは諸葛亮が、劉備の遺志を継ごうとしたこと、そして戦に敗北し、それに失敗してしまうこと、そして、それは馬謖も同じです。諸葛亮の代わりにいいところを見せようとしたのに、失敗をしてしまいました。ここで感情導線を描けるなと思いました。

 つまり、馬謖諸葛亮が同じであるならば、馬謖を許さない諸葛亮は、自分を許さない諸葛亮ということです。跡を継ごうと頑張っているのに上手くいかない自身の不甲斐なさに憤る諸葛亮ならば、馬謖を許すことは自分の失敗を許すことであり、そんなことは許してはならないという話になります。

 

 諸葛亮馬謖に見出すのは自分の愚かさ、そして代わりとして上手く働くことができない不甲斐なさです。それを涙を流すということで表現すれば、単純な出来事だけでなく人の心の動きを描くことができるので、お話になるなと思いました。

 

 そしてできたのがこの4ページです。これは三国志演義の物語の一部を切り出したのではなく、三国志演義の物語そのものを不要な部分と登場人物を限りなく取り除いて圧縮してできた結果です。そこにあるのは、何を物語の背骨であり、どのように残すかという思想です。






 実際描いてみて、4ページは無謀だったなと思いましたが、ホッチキスで留める作業をしたくなかったので仕方ありません。本当は8ページぐらいあるとよかったので、そのうち描き直すかもしれませんが、それにしてもコマの窮屈さを変えるだけで、描く内容としてはこのままで過不足ないと思います。

 

 これを描いたことで、自分が三国志演義において、どのような捉え方をしているかが分かって面白かったなと思いました。別の物語でも圧縮してみたときに、誰が最低限必要で、何を描けば成立するのかも考えてみたいなと思いました。