漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

漫画のネームに関しての今の理解メモ

 漫画を描くようになってからもネームというものが描けなくて、ずっといきなり原稿を描いていたのですが、商業誌など、事前に人に内容を見せる必要がある漫画を描く機会を得られるようになって、どうしても事前に人に見せないといけないので、ネームを描くようになりました。

 

 ネームというのは漫画の設計図のようなものです。コマを割ってセリフを入れて、簡易的な絵を入れて、これから細かく作画をしていく漫画がどのようなものになるかを理解できる形になったものです。

 これがどのようにすればできるのかが分からず今も試行錯誤しています。

 

 どのようなものを描くかを箇条書きにしたようなプロットを作ったりすることもあります。それを作るのは簡単に感じていて、30分もかからなかったりするのですが、そこからネームにするのにはどれぐらい時間がかかるのかがわかりません。

 ネームができれば作画に必要な時間はだいたい分かります。しかし、ネームにどれぐらいかかるのかは今のところ全然分かりません。

 

 漫画というのはコミュニケーションの一手段だと思います。というか、漫画に限らず、他人に見せる前提の作品には基本的にコミュニケーション性があります。つまり、そのような作品は、作者の中にあるものを、別の人に伝えるための媒介になるものだと思うからです。

 ここで面白いのは、作者の中にあるものを完全に伝えることが良いとも限らないことです。作者が自分の中の何かを作品に変換し、読者は作品を自分なりに変換して、頭の中に何かを再現します。ここで、作者の頭の中にあったものと、読者の頭の中で再現されたものは、実は異なっていたりします。

 しかし、異なることでこそ、ひとそれぞれ固有の特別な読書体験になったりもするのだと思います。

 

 完全には伝わらないものという前提にしても、作者にはまず何か伝えたいものがあるはずです。それは言葉にできるものかもしれませんし、言葉にできないからこそ、作品で伝える意義があるものかもしれません。作者には基本的に何かがあるはずです。それは、感動的な気持ちかもしれません、悲しい気持ちかもしれません、エッチな気持ちかもしれません。

 プロットには、その何かがズバリ書かれているかもしれません。でも、プロットを読ませても、それは完成作品の読書体験とはかなり異なるはずです。「命は大切だ」ということを伝えたいとして、「命は大切だ」という文字を読まされても、そうだろうねと思うだけかもしれません。それは「命は大切だ」とただ書いてあるとしか思えないからです。

 しかし、それが物語となる場合には読者は読んだないようから、内面に「命は大切だ」と思うだけの何かが浮かび上がってくる内容になっているはずです。そこにあるのはつまり、伝え方が異なるということでしょう。

 

 例えば、「どうしても生きたかった人間が死んでしまう」という物語を読んだとき、人は「命は大切だ」と思うかもしれません。ただ、そんな陳腐な物語で、そう思うなんて侮らないで欲しいと思うかもしれません。

 では、多くの人をその気持ちにさせるためには、どのような伝え方をすればいいのか?それを設計する工程がネームだと思います。

 

 読者に伝えたい核の部分を、どのような言い方で伝えることが最も適切なのかを探る行為です。

 

 物語上の出来事を羅列しただけのプロットにはそれがまだ無かったりします(その段階である程度設計をできる人もいるかもしれませんが)。つまり、世界観やプロットが作れたとしても、それは人に何かを伝えられる物語になっていないということです。

 個人的な感覚ではプロットができた段階では全体の工程の5%以下しか進んでいないように思います。作画の工程は僕の場合(画力的にできることが限られていることもあり)は淡々とやるだけで多く見ても30%ぐらいなので、残りの65%ぐらいのことがネームにあるなと感じたりしています。

 大切であり、大変な工程です。

 

 伝え方には無数の方法があります。試行錯誤をしようと思えば無限にできるかもしれません。僕がネームを作れなかったのはこの部分にあると思っていて、可能性があり過ぎるので、目の前に広がる無数の道の中に怖気付いてどれかを選べないままに立ち止まってしまったところがあると思います。

 僕がやっていた「いきなり原稿を描く」というのは、つまり退路を断つ行為です。今まで描いたことをもう変えることが出来ないということにしてしまえば、その先の選択肢は大幅に狭まります。狭まれば選ぶことがしやすくなるので進められるようになります。

 

 しかし、かつてのようにいきなり原稿にして退路を断つことをしなくなった今、自分がどうやってネームを完成させられているのかが自分でも明確には分かりません。なんとなく出来たり出来なかったりしています。

 ただ、編集さんにネームを送る期日を決めてしまえば、それが退路を断つ行為になって進められたりしている可能性はあります。

 

 ネームというのは、無数の選択肢の中から、どのようなやり方で伝えれば、自分が意図したものが他人の頭の中で再現できるかを考える行為だと思います。

 読者にどういう情報を与えることで、どのように思わせ、それをどのように変化させていくのかを設計することで、最終的に読者の頭の中に何を広げたいのかを考える必要があります。

 できますか?僕は全然できないですよ。

 

 ただ、このようにちゃんとネームが作れない人でも、例えば、別の人が作った作品を見て、この展開がもっとこうだったら良かったと考えることはできると思います。なぜなら、その時点でかなり選択肢が絞られているからです。

 他人の作った作品では、作中に人々や読者が、既に何を知っていて、この先、どのようなものを伝えようとしているかがぼんやり見えていたりします。それならば、そこからの限られた選択肢の中で、このやり方をした方がより良く伝えられるのではないか?ということを考えることは狭い話なので、自分なりに選ぶことができます。

 

 僕は自分の描いている漫画でもそういうことをするのが、ひとつの方法だなと思っています。つまり、とりあえず描いてみて、他人事のようにそれを読んでみることです。そこで、読んだ自分が今何を思っているかを考え、この後どうなれば良いと感じるかに向き合えば、次の選択肢が出てきやすくなります。数ページ描くたびに、そういうなんかなんとなくサイコロを振るような行為をして、出た目の雰囲気をどう感じるか?を考えるというようなことをしています。

 そこからたまたま美しく見えるようなものを見つけられると、なんとなくネームが出来たりするような気がします。

 

 つまり、今は試行回数を増やすことで、たまたま出来ることに賭けています。運でネームを作っています。運で作っていると、ネームにかかる時間が読めないので、難しく感じてしまいます。

 今はこのように全然わかっていない部分が多く、なんとなく出来たり出来なかったりするのが僕にとってのネームです。このままでは、継続的に描くことが難しいので、もうちょっと細かい部分を整理していくことによって、運に頼る部分を狭く出来ないか?ということを考えています。

 

 その方法とは何か?今はまだ全く見当もついていませんが…。