漫画皇国

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絵柄が古い関連

 漫画について「絵柄が古い」という指摘の仕方があって、これってどういう意味なのかなということについて考えたことを書きます。

 

 漫画の絵には象形文字の側面があると思います。つまり、「この絵を見た人にこれは何だと思って欲しい」という意図があるということです。歩いている人の絵を描いて、読んだ人が「歩いている人だな」と思ってくれれば象形文字としての役割は果たしていますが、それを読者が「立っている人だ」と思ってしまうと、次のコマで移動していたときに、「さっきまでただ立っていたのにいつの間にか移動している」と思ってしまうかもしれません。

 ただ、読者にも補正能力があるので、読みながら「今移動しているということはさっきの絵は歩いていたんだな」と後付けで解釈してくれるかもしれません。

 

 漫画を描くということは、紙にコマを割って描かれた絵と文字を通じた作者から読者へのコミュニケーションであって、読者もまた、漫画を読むという形で、作者が何を描いているのかを読み取ろうとする双方向のコミュニケーションだと思います。

 

 これが会話などと違うのは、作者側には読者がどう読んでいるかが、感想を書いてくれたりしないかぎり分からないということで、なおかつ上手く伝わらなかったなと把握しても、すぐに漫画を修正して、より伝わる描き方に直したりはできないという部分だと思います。

 なので、作者側は読者がどう読むかを最初に想像して、自分の頭の中にあるものを伝えるための象形文字を描いているというのが漫画の一側面だと思います。

 

 こう考えると、絵柄が古いというのは、伝える際に使っている文字が古いという解釈が可能です。

 

 文字というものは伝える側と伝えられる側の双方の事前合意がなければ伝わらないものです。例えば、ハンターハンターに登場するハンター文字は、ひらがなを置き換えたものなので、文字の対応表を見れば日本語で解読できますが、文字表がなければ伝わりません。文字の置き換えは暗号の一種です。事前合意がないと、その暗号を頑張って解き明かす必要があります。

 象形文字はもう少しその事前合意が緩くても伝わるもので、文字が絵としてそのものを示しているので、解釈がしやすいです。それでも、初見で上手く文字が伝わるとは限りません。

 

 絵柄が古いという指摘には、その部分に伝わりづらさあるという理解をすることもできます。その絵柄が多く存在していた時代であれば、読者が色々な作品を読む中で事前合意が得られていたかもしれませんが、現在の読者にはその前提がないので、絵から得られる「伝えたいこと」が上手く伝わらないかもしれません。

 たとえば「可愛い」絵というものがあったときに、時代性によってそれを絵だけ見て「可愛い」と思えなかったときに、絵の力はそれが可愛いと思えていた時期よりも弱まると思います。

 あるいは、記号的表現の意味が伝わらなかったりもするかもしれません。おでこに縦線が入っていれば精神が暗くなっていることを記号的に示せますが、その表現に事前合意がない人には伝わらないかもしれません。

 

 でも、そういった記号的表現って別に自分たちも学んだわけではないですよね。それは「暗くなる精神」と「おでこの縦線」という組み合わせを何度も読んだことで自分の中で結びつきが自然に出来たのだと思います。そして、その結びつきを得る機会がどれだけの頻度で発生しているかが時代性だと思います。

 そういった記号的な分かりやすい漫符表現でなくとも、例えば、昔流行った肩幅の広い男の絵柄を、当時の感覚であれば「カッコいい」と感じていたはずが、今は「肩幅広っ!」と笑われてしまうかもしれません。その場合、その象形文字が伝えたかった意味は「カッコいい男」なのに、読者には「面白い男」と捉えられてしまうので、すれ違ってしまいます。

 

 古い絵柄というのは、その象形文字が意味することを繰り返し学習して強化できる機会が少なくなっているもので、それゆえに伝わりにくくなる可能性が出やすいものだと思います。

 

 でも別に伝わらないわけではないので、絵柄が古いことそのものが悪いとも思いません。流行の絵柄の方が現在労せず伝わりやすいから得なだけで、伝える意志と手法さえあれば、別に時代性は一番重要なものでもないと思うからです。

 

 自分をかえりみて思うのは、自分に出来ることの中で、自分がそれを伝える上で最適なものを選択しているか?ということです。そのために絵柄を変える必要があるなら変えますし、必要がないなら変えないなと思います。

 そういえば、僕はアニメのプリティーシリーズにハマってファンアートを描くようになってから、女の子の絵が可愛くなったと言われたことが何度かあります。それは確かにあると思っていて、可愛い絵のファンアートは、自分なりに可愛くないといけないなと思って、この絵は可愛いという価値観に対して有効に機能しているだろうか?というそれまではあまり考えていなかったことを考えるようになったからかなと思います。

 そこで「自分の絵柄はこうだから…」で変わらない意味はないと思っていて、なぜならそれによって「可愛い」ということを伝えることを放棄するのであれば、そもそも表現する意味がないからです。

 

 僕の絵もよく独特の絵柄と言われたりしますが、自分の中では意図を持って選択している絵柄なので、これが今自分が表現したいものに対して自分にとれる選択肢の中で最適であると思ってやっています。その象形文字が世間ではどう読まれるかについては、コントロールできない部分ではありますが、できるだけ分かる文字にしたいとは思っています。