漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

「プリパラ」における「み~んなトモダチ、み~んなアイドル」という言葉について

 プリティーシリーズを一気に観た話の第五弾。月5本書くことにしてるブログを、今月は全部プリティーシリーズの内容にしようと思ってやってたので目標達成です。

 

 「プリパラ」はゲーム筐体をベースにしたアニメです。

 アニメだけの視聴者にしてみると、プリパラのアイドルたちはライブを外から見ている存在ですが、ゲームでは、プレイヤー自身がアイドルになり、プリパラのライブを自分でやることになります。だからプリパラにおけるアイドルとは、「見て応援する存在」であると同時に、「見られて応援される存在」でもあるわけです。

 

 それを象徴する言葉が、主人公のらぁらちゃんの言う「み~んなトモダチ、み~んなアイドル」です。

 

 このことは物語の中で何度も語られています。第一期の最後では、ファルルの心に歌を届けるために、主人公のらぁらちゃんたち6人はライブを行います。ファルルはプリパラの内部にのみ実態を持つボーカルドールですが、トモダチを求めるという例外行動をとってしまったために、機能停止をしてしまっていました。しかし、6人の懸命のライブでも、それだけではファルルを起こすには力不足なのでした。

 ファルルの心に届いたのは、舞台上のアイドルたちだけではないライブ会場にいた皆の歌です。会場にいる皆は、それぞれ観衆であると同時にそれぞれが舞台に立つプリパラのアイドルでもあることを思い出させてくれます。

 

 僕はここで歌われる主題歌の「make it」という歌がめちゃくちゃ好きなんですが、歌い出しの「オシャレなあの子 マネするより 自分らしさが一番でしょ」というところからも分かる通り、自分自身が誰とも違う唯一無二のアイドルになるということの讃歌です。

 ライブにおけるメイキングドラマでは、サイリウムのように光り輝く沢山の帆船の上に、らぁらちゃんたちと一緒に沢山のアイドルたちが乗って、夜明けの海に向かって進むという光景を作り出します。そして、それぞれの船はプリチケの連なりによって繋がれていました。

 これは、人と人がアイドルとして互いに繋がる「み~んなトモダチ、み~んなアイドル」であるということが大きな力を持つということが印象付けられる場面でした。

 

 この段落は僕の脳内だけで起こったイカレた話なんで別に読まなくていいんですが、僕はこれを観たときに三国志演義赤壁の戦いを思い出していて、赤壁の戦いについて説明すると、曹操軍の船に対して、劉備軍と孫権軍が手を組んで火を放つんですね。そして、その前段階として龐統という男が連環の計を使います。赤壁の戦いにおける連環の計とは、船と船を鎖でつなぐことで、船酔い対策とするという嘘の情報を教えることなのですが、これに引っかかって簡単に離れることが難しくなった船団は一気に炎に包まれてしまいます。

 これがめちゃくちゃプリパラのこの絵面に似ているなと思ったのですが、曹操からすると最悪の状況が、「ドキドキするとき無敵でしょ」という歌詞とともに、こんなにも無敵感のある光景として類似して浮かび上がってくるのが、最悪と最高がひっくり返るようでめちゃくちゃおめでたく、あれだな!赤壁の戦いでいくら船が燃やされたとしても、曹操がもしあの船の上で「ドキドキするとき無敵でしょ」と「make it」を歌いながら踊っていたら、そこでどれだけ被害が出ていたとしても赤壁の戦い曹操の勝ちだっただろうな!!!と思いました。

 

 さて話を戻して、プリパラにおけるアイドルというものが何なのか?なのですが、僕はこれを「憧れの対象」なのではないかと思っていて、舞台上でライブをするアイドルを見て憧れるということが、応援をする側にも応援をされる側にも力を与えるものだと思っています。

 作中に登場する多くの曲の中でも憧れの気持ちということが象徴的に歌われているように、あんな風になりたいという憧れの気持ちの流れこそが、プリパラにおけるアイドルという存在に力がある根拠になっているのではないでしょうか。ボーカルドールのファルルは、そのような気持ちそのものが集まって実体化した存在でした。

 そして、この誰かに憧れを抱く気持ちを抱くこと、そして、その憧れの気持ちがもし相互になったとき、それはもしかすると、トモダチでもあるのではないでしょうか?

 

 もしかすると「み~んなトモダチ」と「み~んなアイドル」は同じ意味なのではないかということです。

 

 つまり、みんなが自分にとってアイドルであるということを認めることが、みんなとトモダチになっていくということ全く同じことです。だからこそ、トモダチができるということ、そしてトモダチの輪が広がっていくということが、プリパラにおけるアイドルという存在に一番の大きな力を与えます。

 第三期における最後、神アイドルになるための挑戦の最後の関門が女神との勝負でした。2人の女神は、全ての少女の憧れの気持ちの讃歌のような「Girl's Fantasy」という曲を歌います。それに対して、らぁらちゃん、みれぃちゃん、そふぃちゃんのSoLaMi SMILEの3人が歌う新曲「I Friend You」は、そこに対抗する曲ではなくその続きとなるような歌です。

 対立ではなく融和、敵ではなくトモダチということです。そして、歌には2人の女神も加わり、組曲へと変化していきます。

 

 試練を経て神アイドルとなったSoLaMi SIMLEの3人に対して、ガァルルちゃんが「ガァルルもいつかなるガル!」と声援を送ります。ガァルルちゃんはファルルちゃんとは真逆、自分はアイドルにはなれないという挫折の気持ちから生まれたボーカルドールです。憧れの真逆の気持ちから生まれたガァルルちゃんが、憧れを抱くということ。ひとりで孤独だったガァルルちゃんが、この物語の中で、憧れを抱き、アイドルを目指し、トモダチになっていくという変化が見て取れる場面でした。

 

 プリパラの物語は、全編通して、この誰もがトモダチ(=アイドル)となることの持つ力の強さが描かれていると思います。

 第二期の最後ではひびきさんがトモダチを拒絶し、ボーカルドールに転生しようとする一幕があります。その結果、プリパラのシステムが壊れ、トモダチという概念が消え去ってしまった世界が生じてしまいます。

 そこにはアイドルは存在していても、元のプリパラのようなエネルギーは存在していません。なぜなら、人と人との繋がりが存在していないからです。誰にも憧れを抱いていないアイドルからはあの湧き出るようなパワーがないという世界を目の当たりにしてしまいます。

 他の人の憧れを受けてアイドルになる道が開けていたそふぃちゃんはアイドルになれてすらいません。

 

 プリパラの物語は、みれぃちゃんがらぁらちゃんをプリパラのライブに誘うことから始まりました。それは最初は人数合わせのことでしかありませんでしたが、それでも、求められることで始まったのがこの物語です。しかし、このトモダチが消失したプリパラでは、それが存在しなかったことになってしまいます。

 トモダチが消失した世界で、今度はらぁらちゃんがみれぃちゃんをプリパラに誘いました。かつて求められた自分が今度は求め返すという双方向性が生まれます。このひとつの繋がりが、ひとつひとつの繋がりがどんどん増殖して広がっていったのがプリパラの物語です。

 

 プリパラ第三期の最後では、第一期の最初でみれぃちゃんがらぁらちゃんに確認し、第二期の最後でらぁらちゃんがみれぃちゃん確認した言葉が、今度はその場にいる全員に対して確認されます。

 

 「プリパラは好きぷり?」

 

 その答えがイエスなら「なら、大丈夫」なのです。かつてはひとりとひとりの関係性であったこの言葉が、双方向になり、その外にどんどん広がり、ついにはとてつもなく大きな力のうねりとなる様子が生まれる物語へとなりました。

 これはアイドルの話であり、トモダチの話でもあります。その2つは同一の力を示しています。その力の大きさの巻き起こす軌跡と奇跡を描いた物語であり、友情と憧れの気持ちを等しく讃歌となる物語だと思いました。

 

 だから、プリパラは「み~んなトモダチ、み~んなアイドル」の物語なんだなと思ったのでした。