漫画皇国

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視力と描く絵の絵柄関連

 ゲッサン最新号の「これ描いて死ね」は手島先生の過去回だったのですが、その中に、アシスタントとして背景を描くことにチャレンジする中で、メガネをかけるという描写があります。それによって、世の中をより精細に見れるようになった手島先生は、背景の描き方が変わりました。

 そのように、人が「何を見ているか」が、描く絵に反映されるというのは自分の実感を振り返って「そうだな」と思いました。

 

 これは視力が良い悪いという物理的な話だけではなくて、目で見た何かを脳でどのように認識してるかという話でもあります。何かを見ていても、実は見ていないということはよくあって、例えば僕が何の資料も見ずに描いた背景の絵は、僕が認識しているものしか描かれていないので、すごくシンプルです。

 そこにはおおざっぱな陰影と、目立つ物体しかありません。例えば壁にパイプが走っていても、それがどこからどこに繋がっているかなどの意味はなく、ただパイプがあるだけです(僕がその程度の認識だから)。本棚があっても、何が置かれているかの認識はなく、ただ、本があるんだなという絵があります。

 

 ただし、実物の写真をベースにした絵を描くときには、そこが変わります。僕自身が認識していないディテールが写真には存在し、描きながら、僕が今まで何を見ていなかったかが分かってきます。「絵を描く」ということは、「対象を理解する」ことに通じています。絵を描くことで、自分は今まで色んなものを実はちゃんと見ていなかったことに気づきます。

 

 大きな本屋には無数の本があります。しかし、僕はそのうちのほとんどの本を認識していません。なぜなら、読もうと思っていないからです。僕は興味のある本のコーナーのことしか理解をしておらず、それ以外にどのような本があるのかが分かりません。

 しかし、一旦何かに興味を持ち、再度本屋に行くと、その興味を持ったものに関連する本が本屋にあることに気づきます。そう、本はずっとそこにあったわけです。ただ僕が興味を持っていたから見えていなかっただけです。

 

 人は自分を取り巻く世界の一部しか見ていません。しかし、興味を持った瞬間に今まで見えていなかったそれらが、一気に精細に目の前に立ち上がってきます。

 

 人の描く絵には、その人が頭の中で何をどう見ているかが表れてくるのかもしれません。僕は物事をとてもぼんやりと見ていることに気づきます。それはもしかすると、僕が昔、視力が悪く、しかし、別にメガネをかけずに生活をしていたことと関係あるかもしれません(今は画面の文字を見る必要がある仕事をしていることもあって常にメガネをかけていますが)。

 昔は、別に周囲がよく見えなくても大丈夫でした。そのせいか、人の顔を認識することが上手でなかった時期があります。人のことは、シルエットや声や匂いなどで認識していて、いざ顔をまじまじと見たときに、この人、こんな顔だったっけ?と思ったりすることがあります。その一方で、その人の姿を見なくても、部屋に入ってきた時点で、動きの所作や匂いで誰だかわかったりもしました。

 

 僕は世の中をぼんやりとしか見ていないので、絵もぼんやりとしています。人の服装であったり、どこかの部屋であったり、車であったりをぼんやりとしか見ていないので、それが絵に反映されてしまいます。写真を見ながら描いていても、特に自然物は、ぐしゃっと塗りつぶしてしまうことがあって、そこに何があるのかは分からないが、陰影があることだけは分かるので、陰影だけを描いていたりします。

 

 そういえば、以前、岩波れんじさんと話していて、読切漫画で、教室に机をたくさん描いても面白くなるわけじゃないから…と2つしか描かなかった話をしたらウケました。机を沢山描いて面白くなるなら描きますが、それで面白さが上がらないなら描く必要がないと思ったのは本当の話で、僕の「必要がなければ描かないでもいいじゃないか」という、必要なものしか必要じゃないと思っている僕の性格が読み取れて、可愛いですね。

 

 

 そういえば、岩波れんじさんは「コーポ・ア・コーポ」というすごい漫画を連載していて、ディテールの鬼のように思います。出てくる人のファッションや背景について、強い実在性を感じるほどに色んなものを事細かに見ていて、それが本当にすごいと思っています。4巻の最後に収録されている登場人物たちのディテールもめちゃくちゃ詳細です。

 岩波れんじさんは色んな意味で目が良いんだなと思います。色んなものを見ていると思うからです。

 

www.comic-medu.com

 

 さて僕も、興味がある部分はちゃんと描き込んでしまいます。それは例えば、人の表情などです。

 人間の顔に強く興味を持ち始めたのは、二十代後半ぐらいに常にメガネをかけ始めたあたりかなと思っていて、人の顔は少しの動きの中で心の表現がされることもあり、絵で描きながら、それが立ち上がってくるように思えるのが面白くて、描くのも楽しいです。一本の線を引くたびに、僕が描いた絵なので人格なんて本来は存在しないはずなのに、何かを思っているのではないか?というような絵が浮かび上がってきたりします。

 理想をいうなら、漫画を全て人の顔のアップだけで描きたいぐらいですが、それは僕が興味があっても構成としてのバランスは悪いので、そうはなりません。でもそうしたい気持ちには常に抗っています。

 

 僕の興味の比重で言えばどっちかと言うと「絵」ではなく「言葉」の方だったりします。言葉にはこだわりがあるので、自分の描いた漫画を、提出予定のギリギリまで何度も読み返しながら、やすり掛けをするように、細かく言葉を調整したりしています。

 このように、僕自身の特性としては、絵の方は表情を除いて記号的に描いていて、一方で、言葉を本物にできるように磨こうとしているなという認識があります。そこには今まであんまり何かを詳細に見てこなかったという生き様が反映されている気がしていて、そのせいで、自分がよく見ているところと見ていないところが、絵の中にぱっきり二極化して存在しているのだな思うんですよね。

 

 別にこれが未来永劫そうだということもなくて、最近は背景を描くことによって、世の中に存在するもののディテールにも興味が出てきましたし、何も見ずに描く背景にも、それが少しは反映されるようになってきました。

 今の絵にはこれまでの僕が見ていたものが反映されていて、今後変わっていく絵には、そのときに見ているものが反映されるはずです。絵というのは、そのように人のことを理解するための手がかりになるんだなと思うと、それは面白いものだし、人の描く絵をみることで人についての理解が深まるような気がしています。

 

 なので、ネットでは、絵を描く人が人気者になったりしやすいのかなと思ったりもしました。その人について知ることができる大きな手掛かりだと思うからです。