漫画皇国

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自分を蔑むという自衛戦略関連

 よくしている話ですが、人間の基本的な性質として、「序列に敏感」というものがあると思います。一般的な日本の教育では、「全ての人間は平等」だと教えられます。しかし、多くの人はそれはそれで肯定する一方で、自分が接する人間に対して、すぐにその人に「価値があるかないか」などの判定をしようとしてしまいます。もちろん僕自身も自分がすぐにそれをやろうとしていることに気づいたりします。

 

 そして、自分が認識している序列認識と、その人が世間から扱われている序列認識に齟齬があると、人はすぐに「それはちょっとおかしいのではないか?」と思ってしまいます。場合によっては、「こいつはそんなにすごくないだろ!」と世間に対して主張することで、自分の中の序列と、世間の序列を、なんとかして一致させようと躍起になってしまったりもします。あるいは逆に、「この人が世間で評価されていないのはおかしいのでは?」などとも思って、もっと評価されるべきだ!と主張してしまうかもしれません。

 人間は自分の頭の中の序列と、世間における序列に齟齬があることを見せられた場合に、それについて黙っていることが難しいのではないかと思っています。

 

 この考え方をベースにしてみると、「人間は調子をこいていると、他人から叩かれやすくなる」と思います。なぜなら、人間が調子をこいているというのは「序列が上の行為」だと思われがちだからです。人は、自分が「こいつはカス」と思っている人間が、カスのくせに調子をこいていたら、叩きたくなってしまうかもしれません。

 

 しかし、人は自分が誰からカスと思われているかは分からないものです。インターネット経由の全然面識のない人たちから、知らぬ間にカスと思われているかもしれません。ただ、そういったことは、おとなしくしているときには目に入りにくいものです。なぜなら、カスがカスのように振る舞っていれば、序列認識の齟齬は出ないため、わざわざ声高に主張する必要がないからです。

 そんな場合、一旦調子をこいてみれば、場に伏せられていたカードが一気に開いて、苛烈な叩きが発生する可能性があります。それは、「カスのくせに調子をこいた」ことで、「こいつを叩いて、カスにふさわしい態度に戻させよう」というモチベーションが人に発生したりするからではないかと思っています。

 

 これを避けるためには、常にカスの態度で生きて行くという方法があります。つまり、自分はゴミカスですよという感じに振る舞うことで、誰かに叩かれることを回避することができます。このように、「自虐」は「身を守る盾」です。こちらをカスだと思ってくる他人の目を、上手い感じにくらませる技術です。

 このように考えると、日々自虐ばかりしている人は、もしかするとそのような「誰かに叩かれにくい振る舞い」を意識的にか無意識にか、心の深いところで内面化してしまっているのかもしれません。

 

 一方で、このような防衛方法も、見抜かれているところがあり、自虐の中に少しでも調子こいた部分が混じると、目ざとく見つけられ、今度は「自虐風自慢」と言われて叩かれたりします。謙虚なふりをしているぶんだけ余計に悪いと怒られます。誰かに叩かれたくなければ、そのような部分を強く脱臭していくしかありません。調子をこいてはいけません。それは常に無意識にできた方がよく、その先にあるのは、自分という人間には本当に価値がないと心から思って生活する人の姿です。

 

 でも人がそういう状況に陥ってしまったとしたら悲しくないですか??

 

 もちろんここで挙げたものが世の中の全てではないと思いますが、自分の経験や人の話を聞くにつけ、こういうのは確実にあることだなと感じています。「自分という人間には価値がない」というように、自虐的な振る舞いをしてしまう人には、他人の目を強く気にして、調子をこいて誰かに叩かれることを回避しようとしている部分があるのではないでしょうか?つまり、自己を否定的に捉え、自虐的に振る舞うことこそが、その人にとって一番得をする振る舞いだということです。

 それは個人の問題だけではなくて、周囲との関わり方がそうなっているという環境が良くないという話です。

 

 でも、調子こいてる人間に、調子こきやがって!と言う人がいない環境ってちょっと想像できなくて、なら、人間は一生調子をこかない方がいいのか?ずっと「自分なんてカスでゲスよゲヘヘヘヘ」と笑っていればいいのか?みたいなことを思い、よくないな!と思い、じゃあ僕自身はもう調子をこいてしまおうと思う感じになってきました。

 それでもし、僕を蔑んでいる人たちが怒り出してもいいじゃないかというか、僕のことをカスだと思っている人に怒られないために生きるのって、そういう人たちに何よりも影響を受けて、自分の行動を変化させるということじゃないですか。それって嫌じゃないですか?という気持ちになってきたので、今は良いこととか上手くいったことがあれば、調子をこいていこうと思ってそうしています。

 

 それで叩かれたりすることもあるんですけど、逆に、僕が嬉しいことを嬉しそうにしてたり、自慢したいことを自慢していたりすると、それを良かったねと言ってくれる人もいます。周囲の反応としては、悪かったり良かったりはそれぞれあります。

 他人は様々なんですけど、じゃあ自分はどうなのかというと、自分で自分の今の状態を良いと感じていると表現することに対して、屈託がなくなったことにより、日頃からの気分がかなりよくなったので、他人との兼ね合いは今後も全く考えないわけではないんですけど、とにかく自分が良いと思えるようにする状態を維持しておくのが、自分にとっては良いだろうなと思っているところです。この先また考え方が変わるかもしれませんが。

 

 自虐的であったり、自己評価が低い人というのは、社会の中でそれが最適だからやっている側面ってあるんじゃないかなと思っていて、そういうのってとりあえずは最適に見えますけど、もうちょっと広めの視点で見たら、なんか損してるような気もしていて、とはいえ、知らん人に怒られたりしたくもなくて、まあ、そういうところを色々考えて調整するのがいいんだろうなと思っています。