漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

マニアは創作に向かないのか?あるいは研究のように創作をする関連

 僕は近年創作もやるようになっただけの漫画マニアなのですが、前に友達と話してて「マニアが創作をやっても上手く行かないことが多い印象がある(のにやってて偉いね…)」と言われたことがありました。

 

 僕は長らく読み専の漫画マニアとして、漫画を読んではインターネットで好き勝手に書き散らすということをしてきたのですが、でも、認識としては、そのときの蓄えで今創作をやっているという実感があり、むしろ、マニアじゃなかったら創作をやれてない気がする…という逆の印象があります。

 

 ここで「ラーメン発見伝」の話をしますが、ラーメン発見伝は、優秀なラーメンマニアと揶揄される主人公の藤本くんが、いつかの専業独立を夢見ながらも、昼はサラリーマン、夜は屋台のラーメン屋をやっている話です。藤本くんはそのラーメン知識を使って、昼の仕事でもラーメン屋のサポートをすることになったりしています。そこでは、敵であり、ライバルであり、師匠的存在でもある優秀のラーメン屋の芹沢さんが登場します。芹沢さんは、藤本くんを「ラーメンマニアとしては優秀」と評価しながらも、業としてラーメン屋をやるという視点からは不足している点をどんどん言い当てて行きます。

 ラーメン発見伝では、その繰り返されるバトルの中で、藤本くんが専業のラーメン屋として店を持つまでのお話なのですが、これは結構今の自分の状況と似ているなと思いました(漫画に自分を重ね隊)。

 

 僕も会社員としてフルタイムで仕事をしながら、残りの時間で趣味で漫画を描いていて、去年からは、それがなんとなく副業になることもあるという状況だからです。

 

 一方で、僕も作中で藤本くんが指摘されたような弱点があります。それは「作りたいラーメン(漫画)がない」ということです。僕は好きな漫画は沢山ありますが、自分独自の漫画によって世間に向かって伝えたいことや表現したい衝動はろくにありません。

 ただ、好きな漫画が沢山あるので、それらを分類して整理し、中身を自分なりに分析して、そこから、まだあまり描かれていないと思われる領域や、そこに組み合わせられる好きな演出手法を見つけるのは得意な方だと思います。それによってなんとなくお話を作っています。

 

 もう少し具体的に言うなら、なんというか、受け身の消去法でお話を作っています。僕独自の分類において、「この領域はまだあまり描かれていないな」と判定した分野が、「ならば描く価値があるだろう」という判断となり、そこに自分の人生経験に照らし合わせることで、自分の感情がより動く部分を抽出し、それを物語に置き換えるならば、自分に描ける中でどういった演出が最適だろうか?というものを過去の読書の記憶からピックアップして組み合わせ、最終的にお話として組み上げているというような感じです。

 

 だから、「好きな漫画のどこが好きか?」という話をし続けてきた、「マニアとしての性質」の部分を使って僕はお話を作っていて、もし、それらがなかったら、自分は創作者としてはがらんどうだろうなという認識があります。

 

 つまり、マニアの創作者としての限界は、作るものが「既存の物語のN回目の繰り返し」でしかなく、新しい領域を切り開けるような物語を作ることに不得手という部分ではないかと思いました。どこかで見たようなものを繰り返すだけであれば、それは特に新しいものには成り得ないという話です。

 

 マニアや評論家の領分は、今あるものについての何かしらの視点を提供することはあって、今ない新しい何かを提案するということではありません。なので、マニアや評論家が、マニアや評論家然として実創作に乗り出して作った作品が、どこかで見たようなパッとしないものでも、基本的にはそういうものだなと思います。

 

 ただ一方で、例えば僕が本業でやっている研究開発の分野では、ある種のマニアであるということは研究者としての第一歩みたいな部分があります。つまり、過去にどのような研究が行われてきたかは、論文でも導入部分で必ず書かれる内容で、それに詳しくなくては、その研究がどのような位置づけにあり、どのような意義があるのかが説明できないからです。

 

 それでいて研究は、何かしら新しい部分がなければ成立しません。

 

 研究ならば、今既に存在するものの中にどういう課題があって、これまでどのようなアプローチがとられてきたかをまず踏み台として、今回自分がやることは、それとは違うこれまでの弱点を解消できる何かであるという認識が必要です。であるならば、研究のように漫画を描くということも可能ではないかと思いました。

 そう考えると、自分がやろうとしていることはそれなのかもしれないという気持ちにもなってきました。

 

 影響を受け過ぎてはいけないから、同分野の有名漫画をあえて読まないという創作術は存在すると思います。実際面白い漫画を描く人が、同じ分野の超有名漫画を、自分の独自性を守るためにあえて読んでいないとインタビューで答えるのも何度か見たことがあります。

 僕が考えている方法はそれと真逆です。自分が描こうとしているものについて読んだ記憶を振り返り、そこにある、まだとられていないアプローチを見つけるようなやり方です。ただし、これは研究でもよくある話ですが、確かに独自性はあるが、ただこれまでとられていなかったアプローチをやったというだけで、結果そのものは芳しくないというものに陥る可能性も高いです。

 

 これまで誰もやらなかった物語の作劇は、それが別に面白くないからやられなかっただけかもしれません。アプローチの新しさは、面白さを保証してくれるわけではないのです。

 

 自分にとっては漫画マニアであるということは武器だろうなと思っていて、特に商業誌で依頼を貰って読み切り描くようになってからは、そこで、ちゃんとお金を出しただけの新しい価値を見せられる物語を作らないといけないなと考えています。

 まだ描かれていないものは何か?はこれまでの漫画マニアとしてのリサーチ力で埋められますが、そこから作るものが果たして面白いのか?どう演出すればそれが面白くなるのか?という部分は、毎回苦しみながら探さないといけない領域だろうなと思います。

 

 今もそういうことをしていて、おそらくは遠からず次に掲載される漫画の告知もできると思いますが、そこでも何かしら新しく面白いものが見せられればいいなと思って、研究的な漫画の描き方というのをもっと突き詰められるやり方などを考えています。

 上手く行くかは分かりませんが…(気弱になりました)。