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「ジョジョの奇妙な冒険」における呪い関連

 ついに完結しましたね、ジョジョの奇妙な冒険第八部「ジョジョリオン」。面白かったものの、分からないことも多々残っており、それは分からなくてもいいのかもしれませんが、何年かして急に分かるのかもしれません。

 

 僕は例えば、5部の最期の眠れる奴隷のエピソードや、6部のプッチ神父の言った幸福の話、7部の回転の話などについては、リアルタイムに連載を読んでいたときには上手く受け取ることができていませんでした。しかし、ときどき読み返しながら、何年も経ってやっと「分かったかもしれない…」という気持ちに至ったりしています。

 

 特に近年のジョジョには作者の荒木飛呂彦による思想性が強く反映されており、それがとても面白い物事の捉え方であるがゆえに、僕が分かったと思えるまでに少しタイムラグがあったりします。なので、ジョジョリオンについても今分かっていないことが分かるかもしれません。ただ、取り急ぎ、今の僕の理解について書いておこうと思います。

 

 ジョジョリオンは「呪いを解く物語」として始まり、呪いが解かれて終わる物語でした。では、その呪いとはいったい何で、それがどのように解かれたのかが重層的であるように僕には感じられました。

 

 ジョジョリオンの中で解消された分かりやすい呪いは「土地の呪い」あるいは「血縁の呪い」ではないかと思います。東方家の一族が代々抱えていた、人の身体が岩のように変化する呪いがそこにありました。それは血縁の呪いのように見えますが、もしかすると土地の呪いであったのかもしれません。なぜならば、東方家のあった土地は特別な場所であったからです。

 

 7部には「悪魔のてのひら」という場所が登場しました。そこに踏み入ったものはスタンド能力に目覚めるという特別な土地です。それはある種の土地の呪いです。

 東方家の土地も特別な場所でした。その地面に埋められたものの中味が入れ替わるという不思議な現象が存在します。その土地と、東方家の肉体に訪れる呪いと関係があるのかは最後まで描かれませんでした。そして、その土地を特別なものとして岩人間がやってくることの意味も描かれません。

 ジョジョリオンの中では岩人間と土地の関係性の中に1部と2部に登場した石仮面や、4部以降に登場したスタンド能力を発現させる弓と矢とも関連づけられて描写されています。呪われた土地は、人に力を与えるという描写がそこにあります。岩人間はそこで得られる何かを求めていたのかもしれません。

 

 ひとつ明確に描かれたのは「ロカカカ」と東方家の土地の力で生まれた「新ロカカカ」です。ロカカカは、人の身体の悪い部分と良い部分を好感させるなぞの力のある果実です。これが中身を入れ替える土地の力と合わさることで、誰かの肉体の悪い部分を、別の誰かの肉体の健康な部分を奪うことによって修復する力が生まれました。

 岩人間は新ロカカカの力を求めました。それが何のためかは分からない部分があります。巨額の金を稼げるというビジネスという側面は描かれましたが、ひょっとしたら、岩人間は彼らの肉体に欠けている何かを、別の何かから奪うことを求めていたのかもしれません。

 

 岩人間は、人間とは別の可能性として存在する生物です。彼らは社会を築くことができず、人間社会に寄生して生きています。しかしながら、人間よりも長い寿命や、定期的に発生する長い眠りは、彼らをそんな寄生した社会の中でも孤独に追いやります。岩人間の女は人間の男と子供を作れますが、岩人間の男は岩人間の女としか子供を作ることができません。

 人間よりも強く、長く生きる生物であるがゆえに、彼らは個体数を増やすことも緩やかで成り立ち、つまり、それゆえの孤独がプログラムされていると解釈できると思いました。

 

 彼らには欠けている部分があり、それを埋めたいという渇望があるとするならば、2部に登場した柱の男たちとも似ています。彼らにとって欠けた部分とは、太陽の克服でした。エイジャの赤石を手に入れることで、ついに太陽を克服した完璧な生物になるということ、柱の男であるカーズは、ついにそれを成し遂げることができました。

 もしかすると、8部の岩人間も新ロカカカを手に入れることで完璧になりたかったのかもしれません。だとしても、その野望は潰えてしまいました。

 

 岩人間の透龍は、新ロカカカにより、東方家の土地の呪いを引き受けさせられる形でその最期を迎えます。少なくとも東方家の呪いはこれによって解けたのだと思いました。

 

 さて、ジョジョリオンの中で解けた呪いは、これ以外にもあるのではないかと思います。それは「ジョースターの血統」という血縁の呪いです。ジョジョリオンの主人公、東方定助は、どこの誰でもない人間でした。彼は空条仗世文と吉良吉影の2人から、新ロカカカの力で生まれた存在です。吉良吉影の死体が別で出たことから、彼は空条仗世文をベースにして生まれた人物ということになります。

 しかし最終回で、空条仗世文はジョースターの血統でないような描写がされました(ただ、よく分からないのは空条仗世文に星型のアザがある写真もあるんですよね…)。しかし少なくとも、最終回の描写を見る限り、血統については描かれず、名前だけが偶然受け継がれたという描写となりました。

 仗世文がジョースターの血統でないならば、これはつまり、ジョジョの奇妙な冒険におけるジョジョという存在は、「血統による継承が行われるものではない」という描写になると思います。いや、でも、ジョースターの血統である吉良吉影のパーツと融合したことで、やっぱりジョースターの血統であるとも言えるかもしれませんが(どう理解するのが適切かが難しいんですよね)。

 

 自分の中でまだ上手く整理はつけられていませんが、ここには「ジョースターの血統であるジョジョが、各部の主人公を継承する」ということは、ある種の呪いとして捉えられるという問題があると思います。ジョースターの血統であるからこそ、過酷な運命を背負わされるという呪いです。

 つまり、ジョジョというものが「血統」ではなく、例えばジョジョリオンの最終回に出てきた言葉を使うなら「使命」によって継承されるというシフトがあるように思えたわけです。

 

 そう考えると、星型のアザはジョースターの血統だからではなく、ある種の使命によって存在するものであって、つまり、空条仗世文はジョースターの血統ではなかったものの、使命を帯びていたからアザを持っていたと解釈できるかもしれません。

 

 ジョジョリオンというタイトルは、「ジョジョという福音」と読むことができます。つまり、ジョジョという使命がどこからやってくるのか?を描いた物語であると考えることができます。ジョジョジョースターの血統の呪いから解放するということが、8部で描かれたことなのかもしれません。

 

 ちなみにこのジョジョという呪いについては、「名前の呪い」という形で、6部の最後にも描かれていたと思いました。一巡した世界の徐倫は、アイリンという名前に変わっていたからです。つまり、ジョジョではなくなっていました。

 また、6部の決着をつけるのはジョジョではなく、エンポリオです。それはこれまでジョジョが継承してきた使命を受け継ぐ者は、ジョジョでなくともよいという形の決着だと考えることができます。それは、代替わりをするごとにジョースターの血統と、ジョジョという名前によって主人公になるという形で課せられた呪いが解放された場面であったかもしれません。

 

 最後に、呪いについては、もうひとつ解釈があるのではないかと思います。それは「一巡する世界の呪い」です。例えば、1部のジョナサンジョースターと、世界が一巡した後の7部のジョニィジョースター(本名:ジョナサンジョースター)と名前以外にも多くの共通点を抱えます。

 7部の終わり方には多数の1部の終わり方へのなぞらえがあるからです。そしてそれは8部でも同様のことが起こりました。

 

 しかし、東方定助はあの土の下から生まれたときに始まった人間であると描かれました。

 

 つまり、東方定助は、空条仗世文と吉良吉影、そして一巡前の東方仗助の3人の性質を何らか受け継いでいるように思えて、彼は彼として、全く新しい一人の人間であるという話になるということです。受け継がれているものがその人を縛るということは、ある種の呪いです。

 7部の最期で、1部とは異なる生き残るという運命を勝ち取ったかに見えたジョニィジョースターは、その後、結局、首から上を失うという、一巡前の世界と同じ形での死を迎えました。運命からは逃れることができないという苦しさをそこに見て取ることができます。

 

 そこからひるがえって思うのは、東方定助とは「一巡前と似た道を辿る」という「運命という呪い」から何らかの意味で解放された人物なのだろうか?ということです。

 

 ジョジョ奇妙な冒険の中では「運命」という言葉が象徴的に語られます。5部の最後では人は運命の奴隷であるということが語られました。6部のプッチ神父からは、運命を覚悟することで幸福に至れるという道が語られました。7部では、一巡前との運命の対比が描かれています。

 もし、8部で、その一巡前という運命からの解放が描かれたのだとしたら、続く9部では、その先の全く新しい何かが描かれるのかもしれません。

 

 仮タイトル「JOJOLANDS」だけが発表された状況ですが、とても楽しみですね。

 

 余談ですが、1巻の最後の方の話で定助の記憶にフラッシュバックで出てきた男が、その後結局出てこないことが気になっています。途中から路線変更したことによる矛盾という捉え方もできますが、物語の中の情報から解釈をしてみることもできるのではないかと思いました。

 定助が、物語冒頭で土から出てきた以前のことは、夢や想い出であるという話がされています。そう考えると、この物語は実は一巡後というよりは、実は何巡もしていて、6部の最後で、自分のこれからの運命を見た人々がいたようなものと捉えられるかもしれません。つまり、あの記憶は単純な過去ではなく、以前の宇宙の記憶だということです。

 それを裏付ける証拠は何もなくただの妄想なのですが、さすがに気にせず放置するには大きい絵面だったので、そういうことを考えて自分の中で辻褄合わせをしたりしています。