漫画皇国

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ここ一ヶ月の在宅仕事雑感

 悪い予想というものはしておくもので、予想通りの悪いことに直面したときに、それを受け入れやすくなります。2月頃から念のため仕事場のほぼ全員が在宅勤務になる想定をしていて、そのためのリモートワーク環境の整備などを進めていました。3月からはローテで在宅勤務を試し、世間の情勢を見て、4月頭からは僕の働いているチームは全員在宅環境で仕事をしています。

 

 それで仕事が上手く回っているのか?というと、今のところそれで上手く回せることだけをしているという感じで、どうしても在宅ではできない仕事は後回しにして、在宅で出来る仕事だけをやっているような感じです。ただ、世の中全体が感染症のための自粛ムードになったおかげで、どうしても在宅ではできない仕事の方は延期や中止になったものも多く、なんとか破綻はしていませんが、この先もずっとこのままというわけにはいかないだろうなとも思ったりしています。

 

 さて、僕個人の生活は、不幸中の幸いでとても健康的になっていて、仕事量に押しつぶされそうになってキリキリしていた精神も落ち着き、忙しさから来る過食で過去最高を記録しつつあった体重も、反転して減りつつあります。

 つまりどういう変化が起きたかというと、これまで僕個人の能力で賄える仕事量に対して、やらなければならない仕事量が多かったということでしょう。いくつかの大き目の仕事が中止になったことで、自分の能力に対して適切な量の仕事量になってしまいました。すると、生活に余裕が生まれてきました。

 

 仕事で家にずっといるので、部屋が散らかっているのが気になり始め、片付けを始めました。とりあえずおさまっていればいいと思って、本棚に雑然と詰め込まれていた漫画を順番に並べなおしたりもしました。本棚を新しく注文して組み立て、ウォークインクローゼットに積んでいた本もしまい始めましたし、今まで掃除をさぼっていたところなんかも掃除を始めました。

 これまで忙しさにかまけて、澱のように積み重なっていたものに目を向けられる余裕ができました。

 

 食事は基本的に自炊で生活をしています。痩せようと思って、カロリー計算をして料理を作っています。4月の頭からだと日による変動はありますが少なくとも既に3kgは体重が落ちています。睡眠時間もきっちりとれていて、また、家で座っているばかりではよくないと、主に夜に1~2時間程度、近所を散歩しています。

 ここしばらく、肥満によって内臓に負担がかかっていたという検査結果だったのですが、今の生活でその辺がましになればいいなと思っていますが、この状態でマシにならないとしたらこの先打つ手がないですね…。

 

 ともあれ、様々な不安を先に抱えながらも、この一ヶ月はかなりおだやかな日々でした。僕は仕事を辞めない限り、自分の人生にはおだやかな時間は訪れないんだろうなと思っていましたが、まさかこんな形でそれがやってくるなんて思いもしていなくて、おだやかさが世間的には最悪の状況とともにやってくるのが、まさにままならない自分の人生そのもののようだなと思っています。

 

 仕事があったらあっただけやるみたいな生活が、仕事場を何度か変わってもずっと続いていました。なんで、そんなにたくさんの仕事をやらなければならないのか?という疑問に対しても、それらは全部緊急で必要なものであるという説明がされ、僕に拒否権はなく(他にしわよせがいくのも見えるので)、ただやるしかなかったんですよね。

 このリソースでは全てをやり切るのは無理だという僕の言葉は、「できない理由ばかりを考えるな」という言葉で打ち消され続けていました。それを会社の上に反論しても、あまり意味がないことも分かっていました。それらはお客さん側から来たものだからです。

 ただ、できる方法は考えても、そのために必要だと要求したものがまるで与えられず、それでもやり切れと言われ続ける中で、どうにか苦しくやりくりをしてやっていたのですが、それらの仕事のうちの少なくない部分が、現在不要不急の仕事であったということになり、なくなってしまったので、あれだけ訴えても変えられなかったのにな…と思いました。

 

 しかしながら、僕がその仕事をしなくてよくなったことの先には、様々な関連する仕事をしている人への悪い影響もあるのだろうなとも思います。もちろん僕が働いている場所におけるお金の回りの問題もこの先出てくるかもしれません。

 

 この変化の中で思うのは、世の中には流れがあって、その流れを止めないことが重要視されているんじゃないかなということです。例えば、計画が決まっているのだから、その流れを一旦止めて再調整して変更することを誰もが嫌がり、そのための労力を払いたくなく思い、だから結果として、立場が弱いところにどうにか流れを止めてはならないという圧力が発生したりします。立場の弱い人が無理をしています。

 むちゃくちゃなスケジュールでも、むちゃくちゃな予算や人手でも、必要なときに必要なものがあって当たり前、ないとそれが滞るのだから、滞らせないためには、どれだけむちゃくちゃな労力をかけてでもそれを維持するべきだという考えが蔓延している場所があったりします。

 

 僕は比較的そういうところで働いているので、本当にその流れってそのまま維持し続けないといけないものなのかなあとずっと思っていましたが、実際止まってみると、マジで色んな人が困っており、これを起こさないために頑張っていたのだなあと思いました。そして同時に、それを起こさないために、僕が体を傷めて生活を雑にさせながら働いていたのだなあと思うところもあります。

 社会は流れているもので、その流れを流れたままにすることが効率がよいので、流れを円滑にするための部品として、社会に自分の居場所があるのだなあということを思ったりもします。

 

 流れてこその社会だとは思っていて、今の無理矢理様々を止めている状態は、そう長く続けられるものではないなと思います。一方で流れ続けさせることが、自分がしんどさを抱える要因でもあったことが、止まったことで自覚できたところもあって、皮肉な話だなと思います。

 止まっていることは悪いことですが、今までも流れ続けさせるために、色んな無理をしていたということが本当に止まってしまったことで比較できるようになってしまいました。そうなってくると、今の状態が終息したとして、前と同じようなものを単純に再開しても本当にいいものか?という疑問を抱えることになりました。

 

 とりあえず、自分の手の届く範囲では、これを手掛かりにして、色々変えていった方がいいなと思っていて、既に色々動いていますが、どうなるやら。