漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

馴染みのない分野の感想を書くときに気にしていること関連

 感想を書くのは時間さえあればいくらでもできるので、まあ色々書いているんですが、感想を書くときに気を付けていることがあります。その中のひとつが、「自分がその作品の分野についてあまり詳しくないときに、元からその分野が好きな人たちがちゃんといることを念頭に置いておく」ということです。

 

 昔、伊集院光が「鋼の錬金術師」に興味を持ったものの、品川庄司の品川が、まるで自分が描いたかのように褒めているのを見て、なんとなく読む気を無くしたみたいなことを言っていたのが印象に残っています。でもまあ、そういうところはあると思うんですよ。僕が一番ガンダムを上手く使えるんだですよ。自分こそがこの漫画を一番よく分かっているんだ!!と、読んでいる人たちがそれぞれ全員思うような漫画って、きっといい漫画じゃないですか。

 でも、一方で、みんながそれを思うがゆえに、それはお前のものじゃねえよ??みたいな反発もあるだろうなと思います。お互いにです。なので、何かが好きなだけなはずなのに、人間関係の揉めが発生してめんどくせえなあと思ったりします。

 

 さて、このように自分こそがそれを一番分かっていると、その分野における新参が言ったとしたらどうでしょうか?ムカつかれやすいじゃないかなあと思ったりするんですよね。

 

 以前、「コオリオニ」の感想を書いたときには、そこに気を付けた覚えがあって、なぜならば僕は商業BLをあまり読んでいないので、その分野に全然詳しくないからです。その分野に詳しくないということは、たまたま読んだその1冊の面白さが、分野に共通するこれまで積み上げられたきたものの中にあるものなのか、その本が固有に持っている特異なところなのかの区別がつきません。

 例えば、普段巨大ロボットもののアニメを見ない人が、2020年に初めてその分野に属するアニメを見て、「巨大ロボットという新しい地平を切り開いた!」などというような感想を発したらどう思うでしょうか?こいつわかってねえ!!と思ったりはしないでしょうか?文句をつけたくなったりはしないでしょうか?

 

 もっと揉めやすい例を挙げるなら、その分野にはこれまで詳しくなかったけれど、たまたまそれだけを見て好きになった人が、自分がこれまでその分野に目を向けなかったこととの辻褄合わせのために、その1つの作品が、どれほどこれまでのその分野の凡百の作品とは違うかというような感想を書いてしまうケースがあります(凡百と表現したそれをよく見てもいないのに!)。例えば「エヴァンゲリオン」に関する感想などがそのような雰囲気があったように思います。

 その作品も、その分野においてこれまで積み上げられてきたものの上にあるものなのに、そのひとつを褒めるために、それ以外のこれまでのものがまるでダメであったかのように表現してしまうのは、ずっとその分野を好きでやってきた人たちをムカつかせてしまうんじゃないかなあと思うんですよね。

 しかしながら、そのような感想を書いてしまう人には特に悪気があるわけではないと思います。自分が面白かったということを表現したいんだろうなと思いますし、でも、まあ、それによって揉めは発生するよなという想像があります。

 

 僕がそんなことを考えていることもあって、自分があまり詳しくないなと思う分野に関する感想を書くときには、そういったよく知りもしない他の作品との比較や歴史などを語ることはせず、淡々と自分がその漫画のどの部分が自分にどのように響いたのかということだけを書くようにしています。それはどこまで行っても僕自身に閉じた話なので、「こいつがこれをこう感じたのなら仕方ない」という落としどころがあるように持って行けるようにしたいなという作為のためです。

 

mgkkk.hatenablog.com

 結局、このブログに書いたコオリオニの感想は、もともとのBLが好きな人に見つかってしまい、その人たちに話題にされてしまいましたが、少なくともその時にやり取りをした何人かの人たちには、割と好意的に扱ってもらった覚えがあるので、まあよかったなと思いました。

 でも、言わなかっただけで「こいつろくに分かってないくせに偉そう」と色んな人に思われていた可能性も胸に置いています。

 

 自分が新参である分野において、そこにもともとしてずっと好きだった人たちには、「ずっと好きだった」という僕には絶対に敵わないものがあると思います。それを無視して、我こそは一番分かっているパーソンだぞ!と称号を簒奪しようとすることは、あんまりしたくないなと思ったりしてしまうんですよね。僕はちょっと来てすぐ去るかもしれませんが、でも、その人たちはずっとその分野を好きでいるんじゃないかなと思うからです。

 それはすごいことですよ。それが大事にされて欲しいなと思います。

 

 何かの作品の感想は、基本的に自由であってよいと思います。自分がそう感じたのだから、たとえそれが作者の描きたかったことを誤解していたとしても、そう読んでしまった以上はその読者の中で真実なのでしょうし、そういう誤読をした読書体験も、読書体験のひとつではないかと思うからです。

 しかしながら、自分が自由であるということは、他者の自由であるということと衝突する可能性があります。それは衝突しないように誰も設計してくれていないからです。ぶつからないように設計されることは不自由だからです。互いの自由同士のなわばりが干渉してしまうときに、そこではきっと揉め事が発生してしまうのでしょう。

 

 揉め事の原因はいつだって、「あいつは自分とは違う」というものです。そして、「あいつが自分と同じにならないのはおかしい」と思い続ける限り揉め続けるのだと思います。

 

 そこで戦うのも別にいいでしょうし、勝ってなわばりを広げていくのもいいと思います。負けてそこを去るしかなくなるのもいいと思います。ただ、僕はあんまり誰かと何かを争いたくないので、そもそも他人と干渉せずにすむぐらいには自分のなわばりのおよぶ範囲を狭めて、ぶつかりにくくしようとしていて、そのために考えていることが今回書いたようなことなのでした。

 

 「動物のお医者さん」の巻末オマケに、あるファンレターに「自分はこの漫画が好きなので、他の人が好きだって言ったときに『ファンをとるな!』と言い続けることでファンをやめさせた」と書いてあったというエピソードが載っていました。自分がファンであることを誇示するために、ファンの広がりを阻害してしまうという話で、うひゃあと笑いながらもひでえはなしだなと思いつつ、そして、自分もそういうことをしてやしないかと考え込んでしまう話でもあります。

 でも、まあ、あるでしょ。自分こそが一番のファンだと思ってしまうこと。そして、色んな人がそう思ってしまうために、揉め事が発生したりするんだろうなということを思っています。

 

 今日もインターネットは揉めていますか?おそらく揉めているのでしょうね。