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「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を観た関連

 今やってる映画の「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を観ました。面白かったです。

 

 この物語はアニメ6期の世界観に繋がる物語ですが、最後、原作にもある鬼太郎が誕生したシーンに繋がる前日譚です。その鬼太郎の誕生シーンに原作以上に色んなことを思えるように実はこういうことがあったという様々な文脈が重ねられた物語でした。

 

 鬼太郎が幽霊族(人間より前に地球に生まれた人類的なもの)の最後の生き残りであるということ、ゲゲ郎(のちに目玉の親父となる鬼太郎の父につけられたアダ名)とその妻がなぜあのような姿になったのか、後に鬼太郎を見つけて育てる水木の戦争体験(総員玉砕せよを思わせる)、戦争戦中戦後と、幽霊族も弱い立場の人間も何らかの力に虐げられてきたということ、水木はなぜ鬼太郎を育てたのか、6期の鬼太郎がなぜ人間を助けるのか、それらが最後のシーンに圧縮して繋がるように描かれていて、しかも、僕はゲゲゲの鬼太郎を子供の頃から読んでいるしアニメも見ているため、その集約が最後に来たので、めちゃくちゃ感情が溢れてしまいました。

 

 この物語が徹底していたのは、過去に悲しみがあったということと、その先に今の人間と妖怪と鬼太郎たちが生きているということです。なので、助けられて欲しいと思ってしまう人が人が助けられなかったりします。それは起きてしまった悲しい出来事だからでしょう。

 主な舞台となる山奥の村は、閉鎖された環境の中でその中のルールが人を捕え、その中のルールに従うことを求めます。起きる悲劇は、その抗いの結果でもあり、それは押さえつける力への反発でもあります。

 彼らの中には、そのくびきから逃れ、外の世界の輝かしい未来に想いを馳せたりします。その近くには、外に出たのに連れ戻された人もいます。諦めてその中で生きることにした人、積極的に順応してしまった人、生きる場所としてそこにたどり着いた人、それは世界のある種の縮図です。

 

 外には行くことができなかった人たちがいて、閉じられた中の閉じられたルールの中で最期を迎えてしまった人たちがいて、そして今、彼らが憧れた外の世界で生きている人たちがいます。しかし、それは自由で明るいだけの未来ではなく、今なお相似形の悲しみが連なっているということも思います。

 ただし、その中で抗った人たちがいたから鬼太郎は生まれました。6期の鬼太郎は人間と妖怪の間をドライに見ている人ではありますが、それでも人を助けるために動いてくれます。それはきっと、水木と過ごした幼少期があるからで、それはこの物語が存在した先にあることです。

 

 映画を見ながら、少しの未来を知っている僕は、ゲゲ郎の姿が崩れたミイラ男のようになることも知っています。その妻が死んで、墓場から鬼太郎が生まれることも知っています。みんなが明るく楽しい未来を得られるということを最初から期待していません。

 なので悲しい話になるだろうと思いながら見ましたが、そこに少しの希望を見ることができたので、よかったなと思いました。

 鬼太郎に思い入れがあるなら強くオススメです。

 

 余談ですが、原作では幽霊族の血液が血液銀行に混ざったトラブルにより、水木が鬼太郎誕生の場に立ち会うことになるのですが、映画では幽霊族の血液による問題は前日譚の中で問題視されているので、その部分はこの話では変わったのかなと思いました(明確には描かれなかったと思いますが)。