僕が勤めてる会社は9月末までが上期、3月末までが下期なので、今が人事評価関連の仕事を色々やってる季節です。日本の四季、春夏人事評価冬の人事評価のところです。
僕は課長なので、うちの課のメンバーの評定をつけていくんですが、ちゃんと会社的な評価基準があって、メンバーと話し合いながらそれに則って付けていくみたいな感じです。僕はつけた点数を手に、部とかその辺の単位で戦ってその数字を真のものにするための評価をもぎ取るみたいな戦いをするんですけど、そのときに思うのは、僕が指示してやってもらったことの定性評価や定量評価ベースで点数をつけていて、これってメンバー個々人の頑張りでどれぐらい変わるものなのかなというところです。
結局仕事を割り振った時点で、会社の基準に照らして評価を得やすい仕事とそうでない仕事があって、僕が割り振ったことそのものがそこに影響しているので、評価が悪かったときとかに、メンバーの頑張りが足りないとかではなくて、僕自身がギルティなんじゃないかと思うこともあり、高い評価をつけられないメンバーに対しては、ほんとごめんなさいというような気持ちになることもあります。
僕はそれを心から思っているため、メンバーの人たちも、こいつ責めるのはよくないなみたいな感じで仕方ないッスよ的な態度をとってくれたりするんですけど、それって結局、僕が悪いのに僕が許されてるという構図なので、僕にばかり都合がよいのでこれもよくないなというか、憎まれた方がまだ辻褄が合うんじゃない?みたいな気持ちにもなったりします。
とにかく、メンバーの評価を高くもぎ取るのが僕の仕事のひとつなので、どういう目標を設定するかとか、その中で評価を得やすくするためのやったぞという証拠をどうやって得るかとか、そういうことに半年ずっと頭を悩ませているんですけど、仮にうちの課のメンバーが全員評価高かったときに、相対的に部の他のメンバーの評価の数字がバランス調整で下がったりもするんだよなあみたいなことも頭をよぎります。
さらには、会社事業としての成果が出るということと、社員の評価が高くつくというのも似ているようで違うことなので、評価は高いけど、評価を得るための行動にばかり時間を使ってしまい、事業としては上手くいっていない状況とかもあり得るので、なんかそうなったらよくないなという感じもします。でも個人のレベルではそれが最適な行動ですし、それが最適な行動になるようなルールになっているのが悪くて、最適行動をとる人を卑怯と言うのも違う感じがするんですよね。
そうならないようにしたいなら、そうすれば評価が低くなるように制度の方の設計を見直すのが本筋だろうと思います。
なんか亀の甲羅のヒビからの託宣とか、ブラックボックスのAIとかが適切な評価というのを出して、メンバーがそれにみんな心から納得してくれるとかだったら良いのになと思うのですが、そんなことはないので、僕も自分の今の立場から最適な行動をとりつつ、我々の給料の原資の根幹になる会社の事業もちゃんと上手く回るようにしたいなと思います。
したいなと思うのは嘘ではないけど、嘘のところもあって、本当な何もしたくない!人の評価とかしたくない!!家で寝ていたい!!という気持ちがありますが、噛み殺して頑張ります。