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中身が分からなくても数字なら分かる関連

 仕事関係では、「何でも数字にしろ」と上から言われていて、昔は数字にならないこともあるだろ!という反発心もありましたが、今は仕方がないことだなと思うところがあって、なぜなら人間は、中身が分からなくても数字なら分かるからです。

 

 会社組織の上の方に行けば行くほど、見なければならない範囲というものが増えてしまい、それはおそらく人間が認知できる以上の情報量になります。人間が社会的に関わることができる人数は150人~250人程度が限界という話もありますが、人間の認知能力にも時間にも限界があるため、見聞きし理解できる領域にも限界があり、あとは物事を単純化したり、一定の法則で取り扱ったりすることで、それぞれの情報量を減らさなければ認知できる範囲に収まらないのかもしれません。

 

 数字にしなければならないのは、数字なら中身が分からなくても分かるからです。技術の詳細が分からなくても、この数字の投資をすると、この数字の利益が期待できるみたいな話なら分かります。これは少し単純化し過ぎましたかもしれませんが、大きな枠組みとしてはそういうことです。分からないものを取り扱うときに、数字になっていれば数字を取り扱うことで中身の分からないものでも便宜的に取り扱うことができるようになります。

 それが大きな営利組織を運営することの方法のひとつなんだろうなと思います。

 

 さて、中身が分からなくても数字なら分かるということは応用範囲が広いです。芸術が分からなくても、この絵は1億円すると言われれば価値が分かります。サッカーの個々の選手のプレーが分からなくても、点数が1点入ったということは分かります。音楽もビルボードのランキングやYouTubeでの再生数で語れます。

 

 何かを買うときに、ランキングを参考にするならそれは数字です。その価格も数字です。何が良いか悪いかの中身が一切分からなくても、数字を見れば買うものが決められるかもしれません。数字は便利ですね。でも、便利な数字を逆手にとられて、騙されて中身のないものを買わされてしまうこともあるかもしれません。

 

 そう思ったときに、自分が目にするものの中で「数字がなくても良し悪しが分かるもの」が詳しいもの、こだわりがあるもので、「数字がないと良し悪しが分からないもの」が詳しくないもの、興味がないものという分類をすることができるようになります。

 

 数字の良さは増減が分かることと、大小比較ができることです。周りに対して理解を求めるときには数字にすれば中身を説明できなくても理解してもらうことができるかもしれません。ある映画が面白かったことを説明できなくても、「30回観に行った」「グッズを10万円分買った」などを主張することはできます。聞いた人は、中身がちっとも分からなくても、「普通は1回行けば十分なものや、普通は1万円使えば十分なところに、そんな大きな数字が出るならすごいものなんだろうな」と思ってくれるかもしれません。

 映画やゲームなんかで、売り上げや本数やランキングの話が盛り上がるのも、中身に触れなくても幅広く話が通じる領域だからじゃないかと思います。

 

 昔のアップルは、新しいMacが出るたびにPhotoshopのフィルタがこんなにも短い時間で実行できることをアピールしていました。これも数字です。CPUのクロック周波数や、コア数の話もそうです。

 メガドライブスーパーファミコンのときは16、プレステやサターンのときは32、そしてニンテンドー64のときには64というビット数がゲームの良し悪しを示す数字でした。ドリームキャストやプレステ2の頃には秒間に描画できるポリゴン数がそんな数字でした。シェンムーの開発費は70億円でした。

 

 数字の話題は簡単に広く通じる話題で、数字にならない話題は狭いところでしか通じにくい話題になりがちです。でも、だからこそ自分は、「数字にしなくても話せること」にこそ愛着があるような気がします。PS2では、秒間7000万ポリゴンという能力よりも、FF8のダンスシーンがリアルタイムで動いたこと語ることもできます。

 

 皆さんは何を数字で見ていて、何を数字がなくても見られますか?そこに自分にとっての大切なものがあるのかもしれませんね。