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作品の批判をすることと心理的安全性関連

 この前、参加しているWebラジオへのお便りで、SNSでは何かの作品への否定的な感想や批判が言いにくい空気があることに困っているという相談がありました。その作品に対して面白くなかったなと思ったときの気持ちの持って行きどころがないという悩みについては、分かるなと思いました。

 

 一方で、別にSNSに批判できない空気があるとは思いません。なぜなら、何かの作品を批判しているが日々目に入るからです。

 そして逆のパターンで、何かの作品が沢山の人の批判に晒されているときに、それを好きだと言い出しづらい空気を感じることもあるだろうなと思います。

 

 つまり、批判ができないだけでなく賞賛もできない場合もあるということで、その共通点は「自分以外の人たちと作品の感想で対立することが難しい」という話なのではないかということです。その上で、周りに流されない批判や賞賛を、やる人はやっていると思います。

 

 多くの人は、誰かが好きなものを嫌いと言いにくいし、誰かが嫌いなものを好きと言いにくいのではないかという話です。そのとき、自分が一で周囲が多であれば、より強く言いにくく感じてしまうものでしょう。となれば、それは実は作品の感想や批評の話ではなく、人間関係の話だろうなと思います。

 

 本当は思っていることなのに人間関係を気にして言えないとすると、それは昨今の組織論の話でよく出てくる心理的安全性という話と似ているなと思いました。

 言うべきことが言いにくい環境では、当然出てくるべき意見が出て来なくなり問題になってくる、みたいな話です。この話は難しくて、攻撃的にならずに仲良くしましょうという話ではないですし(仲良くするために必要なことが言えないことも問題なので)、言うべきことを言えることが良いので、言われた他人の気持ちを気にするなという話でもありません(それによって言われた側が言うべきことを言えなくなる可能性もあるからです)。

 あくまで発言をするということに対して、「安全である」と感じる、つまり「発言したことによるペナルティがない」という環境を構築することが大切だという話だと思います。それは場にいる全員がその環境を維持するための振る舞いをしなければなりません。

 

 つまり、何かの作品を悪く言いたいときも良く言いたいときも、「それを言い合える相手を作る」ということが、最初の問題に対する回答だと思います。

 裏返すと、そうでない環境ではやりにくいですし、SNSのような誰が見ているかも分からない環境ではなおのこと心理的安全性が保たれることはないでしょう。

 

 その上で、SNSでどう振る舞うといいと思うかと言うと、皆が好きなものを面白くないと思ってしまったときには、別に言えばいいんじゃないかと思います。

 ただし、「こんな駄作を面白いと思っている人間は感性が死んでいる」みたいなことを言えば、当然誰かと口喧嘩になる可能性があると思います。なぜならそれは作品が面白いか面白くないかではなく、他人を劣っていると揶揄する言葉だからです。人間関係の話題です。揶揄された側はそれに反論しても当然だろうなと思います。

 それでもその言い方をしたければすればいいと思いますし、それで人に嫌われたらいいと思います。人は他人に嫌われてはいけないわけではないからです。

 

 人には全方面に対して自分と違う感性を悪く言う自由もあると思いますし、それによって周りの人から距離をとられて孤立する自由もあります。

 

 孤立したくなければ、言い方を変えればいいと思います。少なくともある程度の人間関係がある上で、穏当な言葉を使えば、自分がいかにそれを好きではないかという言葉を説明したとしても、それが好きな相手にも「この人はそうなんだな」と思って貰えることは多いのではないかと思います。

 逆の視点からすると、自分と異なる感性の人を見かけた場合でも、「この人はそうなんだな」と思って終わりにできるかどうかが大切なところです。その人のことを許せず、自分側の感性で塗りつぶしたいと思ってしまうなら、自分もまた他の人に塗りつぶされる可能性を考えて、思ったことを言えなくなるかもしれません。

 

 自分だけが好き勝手に何かを評し、他の人がそれをすることは許せない、みたいな話はないわけです。ただしそれは人が誰しも平等であるという前提なので、王ならできるかもしれません。王になれないなら、ひとりぼっちの王国を作って一人でいれば王で居られます。

 

 穏当な話で言えば、クローズドな場所で、気心の知れた互いにその存在を認めあえる環境でなら、世の中の多くの人と異なることを言っても安全です。あるいは、オープンな場所で言いたければ、嫌われまくる覚悟で、反論されまくる覚悟で言えばいいという話になります。

 どちらを選ぶ自由も人にはあると思います。