漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

作品の適切な褒め方がいまだにちっとも分からない話

 何かの作品を見て、ウワーッこれはすごい!!と感動したときに、それを褒める言葉にするのはどうすればいいのか、いまだに適切な方法が分かりません。

 ひとつの方法としては、自分が他人に褒められて嬉しかったことを参考に、同じことをしてみるというものがあります。ただし、僕は自分自身がやっていることを言葉で褒められてもあまり嬉しくならないことが多いので、どのように言葉で表現するか?という観点では、自分自身の体験があまり参考にならず、また、自分の感性が一般的かどうかにも疑問があるので、これは僕は嬉しいけれど、他人が嬉しいかどうかは分からないな、とも思います。

 

 そもそも、僕自身は言葉をあまり信用しておらず、それよりは行動の方を信用しています。つまり、嬉しいのは、相手が言葉で褒めてくれることより、行動を継続してくれることです。例えば、僕が書いた文章や描いた絵、する話なんかを喜んでくれる人がいたとして、それに対する言葉による感想を僕は特に必要としておらず、それよりは、それやその次作ったものをまた、読んでくれる見てくれる聞いてくれるという行動を継続してくれるということの方を嬉しく思います。それは相手が僕が作ったものに対して「そうしたい」と思ってくれているということだと感じるからです。お金を払ってくれるのもその範疇です。

 どれだけ美辞麗句を並べて褒めて頂いても、次に作ったものに興味を持たれていないのであれば、その言葉は、その時その場で適当に並べたてられたものでしかなく、体重が乗っていないように感じてしまいます。もちろん、その時その場だけでも褒めようとしてくれたのはありがたいことではありますが、結局それが行動を促すほどのレベルに達していないのであれば、その程度の評価のされ方なのだろうと思ってしまいます。言葉は重厚だけれど、その中身は軽いものだなと感じてしまうのです。

 

 僕はそういう考え方なので、その感覚に従って行動すれば、好きな漫画家さんなどに対し、第一にすべきこととして考えているのは、新しい作品が出てくればそれをちゃんと読むこと、そして本になったなら買うことだと思っています。なおその行動は、自分に「読みたい」「手に入れたい」という十分な気持ちが伴った場合のみ初めて実行することです。自分の感性に沿うならばこのような感じですが、このままでは結局持て余す「感動した」という感覚をいかにして言葉にすればいいのかが分かりません。

 

 良いと思ったのは事実なのに、何をどのように褒めればいいのか分からないのです。

 

 書道の漫画「とめはねっ」に、三浦清風先生という書道の偉い人が登場します。この三浦清風先生は、作中に登場する数々の書道作品を評価していくわけですが、この人は本当にその書のどこがどのように良いかを具体的に褒める人で、読んでいてすごいなあと思います。

 書道においても、賞の話になると、それぞれの書道作品に序列がついてしまいます。芸術的な分野では単純な数値による比較が行いづらいため、そこでつけられる序列に十分な根拠が示されなければ不公平感が出てしまいます。それは読者としても納得できるものであって欲しいと思います。なので、評価される人々やそれを眺める人々が、納得できる形で個々の作品を評価するということはとてもすごいことで、そのためには「良いものとはどのようなものか?」「悪いものとはどのようなものか?」「悪いものの何を直せばより良くなるか?」を、独善的ではなく一般的に納得できる形で示せなければなりません。

 三浦清風先生の尊敬できるところはもうひとつあります。それは、作中で前衛書を見せられたときに「自分にはこれを評価できない」という態度をとったことです。前衛書とは、書道作品を一般的な枠組みを逸脱して表現された作品のことだと思います。しかし、三浦清風先生は、自分では前衛書を書かず、前衛書に対する十分な知見を持ち得ないと判断したため、この作品が何かを表現しようとしたものであることまでは分かる、しかし、申し訳ないが自分にはこれを評価する能力がないと発言します。

 

 これはなかなかできないことだと思っていて、なぜなら自分が分からなかったとき、それを「良くない作品だ!」と判断することもできるからです。そして、それだってひとつのやり方です。しかし、その「自分がどう感じたか」のみを元にされる評価はあくまで自分の中の評価のモノサシに照らし合わせただけの話であって、それが世間一般で共有される評価のモノサシと一致するという自信でもなければ、「こう改めるべきだ」というような返答にはならないはずです。

 自分の価値判断が正しいのかどうか?それを常に刷新し続け、自分は何を判断でき何を判断できないかということを把握するということは、作品を作る人に対してフィードバックとしての意見を送る上では、重要なことなんじゃないかなと思います。

 

 僕はこの辺の普遍的な感覚を持ち合わせている自信がないため、作品の評価は行っていません。あくまで自分がどう感じたかという感想のみを書いているつもりです。だから、僕が書く感想文は、本当にあくまで自分がそれをどのように感じたかという内容でしかなく、だから、その文章が、作者は今後どうすべきだとか、これをもっとこうすれば良くなるというような意見と誤解されないように気を付けています。

 僕は自分の中のモノサシは持ち合わせている自覚はあって、それに照らし合わせればこの作品はこのように整理されるということはできるのですが、僕のこのモノサシは僕の個人的な心の問題でしかないので、普遍的な価値を持ち得るものではないし、それを混同されると弱るということを常々思っているのです。

 

 感想を「個人的な話」として捉えると、それが仮に作品の内容を多分に誤解したものであったとしても、常に正しいものです。そして一方、普遍的な評価と称されるものの場合は、その評価基準に対する世間一般からの納得を求められます。そのような納得を提供できる鍵は何なのか?それが分かりません。より多くの作品を見てきた経験があるとか、その人自身がより良いと評価されているものを作る能力があるとかは関係しているような気もしますが、それも絶対的なものではなく、常に流動する曖昧模糊としたものなのではないかと感じています。

 どこかのタイミングで、えいやっと自分のモノサシを普遍的なモノサシとしてすり替えるぐらいの豪放さが必要なのかもしれません。ただ、それを僕はできないので、感想に留めているのが実情です。

 

 評価するということ、どのように褒めるか?ということには、僕はずっとこのようなジレンマを感じていて、結局「この作品のこの部分が僕には響いて素晴らしく感じた!」ということは言えても、それ以上のことは言えないなと日和っています。しかし、この辺りの葛藤をすっとばした褒め方もあるように思います。それは芸術的なものに対しては適用しにくいはずの「数値による比較」です。それを無理矢理やる方法です。

 

 分かりやすいもので言えば売上でしょう。この漫画は素晴らしい、なぜならば100万部売れているからです!などというものです。同様に、序列の方を勝手に先につけるという方法もあります。なぜ素晴らしいかというと序列が高いからで、なぜ序列が高いかというと素晴らしいからだという循環参照を繰り返し、説明なしに価値があることを主張できます。つまり、何とかランキング1位とか、何とか大賞受賞とか、今季ナンバーワンの漫画だ!とかです。この漫画が他の漫画と比べて優れているのは、数字の大小比較によって自明であると主張することは、単純で分かりやすく便利な方法です。

 ただし、その方法は便利な反面、選ばれない漫画を序列の下として配置する犠牲のもとに成り立っているので、僕はあまりやりたくありません。例えば、売れている漫画を売れているから素晴らしいと言ったとき、売れていない漫画には価値がないということを同時に主張してしまうことになるかもしれません。今季ナンバーワンの漫画がこれだと言ったとき、では、他に読んだ漫画にはそれほど価値がなかったということになるのでしょうか?それらはどれも自分の感覚に矛盾してしまいますし、矛盾した行動をとりたくないので、実行するには抵抗があります。

 

 結局、個別の作品について自分が何をどう思ったかをつらつら書き連ねる以外のことができません。

 

 そもそも作品を「褒める」って何のためにやるんでしょうか?作者の人に、自分が良いと思った部分を伝えて、それによってその部分がより良くなってくれれば、自分がより嬉しくなっちゃうみたいなことでしょうか?あるいは、その作品とそれを好きな自分と同一視し、この作品の評価が高まることを、まるで自分の評価が高まることのように捉えることで嬉しくなっちゃうということでしょうか?それとも、ただただその作品に触れて湧き上がった感情の持っていき場がなく、言葉として溢れ出してしまったという事実でしかないのでしょうか?

 

 僕がやっていることは2番目と3番目でしょう。何かを良いと思ったら、何かを書きたくなり、そして、自分が良いと思った感性がその作品の中に含まれていたら、その感性の部分が素晴らしいと言ってしまうのです。それは結局作品の中に見つけた自分との共通点であって、つまりは自己アピールでしかないのかなと思います。と思えば、しょうもないことをしているような気持ちになってきます

 

 このように、よく分からないわけです。自分が何のためにそれをしていて、それをする以上は適切なやり方であるべきと思っていますが、何が適切かが分かりません。分からないという気持ちをそのまま書いているだけなので、この文章には結論なんてありません。

 ただ、分かんねえなあと思いながらも、良い作品に出会ったときに生まれる何かしらこうエネルギーみたいなものを持て余すので、なんとか文章に変換して書き残していこうとしています。