漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

初めて作った同人誌の漫画をリメイクしました関連

 今出ているヤングキングに「ひとでなしのエチカ」シリーズの、「つじつま合わせに生まれた僕等」というエピソードの後編が掲載されています(前編は前号に掲載されているので電子なら買えます)。本作は僕が6年半ぐらい前に初めて作った同人誌の内容をリメイクしたものです。

 

 描き直しながら、この同人誌を作っていた当時は、自分に商業の漫画仕事をする機会があるとは思ってもいなかったので、色々あったなと思いました。

 同人誌の元データが古かったので絵はコマ割からやりなおしたり、台詞も修正したり、ページは多少追加したり、別の作品の入っている下りを省いたり、色々変えましたが、できるだけ当時の描きたかったことをそのまま再現しようと思って作業をしました。

 

 6年半経つと、自分の中でノウハウも増えているので、当時は使えなかったテクニックも沢山使って、出来栄えは良くなったと思うので満足感があります。

 

 最初の同人誌はかなり難産だった記憶があります。ネームが全然完成せず、このままではせっかく初めて申し込んだコミティアで本が出せない!と思ったことで、いきなり完成原稿を描き始めたのも良い思い出で、そうやって1ページずつもがきながら描いたことで、お話の作り方に対する手がかりもいくつか手に入れたので、その後は継続的に同人誌を作れるようになりました。

 

 僕が「つじつま〜」でやりたかったことは、「窮屈な人生の行き詰まりとその打破」というもので、その後も別の話で繰り返し描いている構造の話になります。「自分の人生が周りによって決められてしまっていて、自分はそれを受け入れる以外の余地がない」という苦しさは、僕自身がずっと感じていたことで、そして、そこから逃げるためには人生を降りるしかないという追い詰められに対してどのような答えを出せるのか?ということが、この話を作る上での重要な部分でした。

 

 今思い返して、当時なぜ話が上手く作れなかったかというと、自分の描いた描写にツッコミが入ってしまうからだったと思います。この描写は正しいのか?その前にちゃんと前フリがあるべきではないのか?ここでこう描くことはお話全体の構造として良いことなのか?絵が単調ではないか?アップに頼りすぎでないか?描きたくない絵を誤魔化していないか?などなど、色んなツッコミが自分の漫画に対して発生し、それを直さないと先を描けないと思っていたために、延々行ったり来たりと直してしまっていた、というような状態だったと思います。

 それに対しては、今も上手く解消できているとは思えないのですが、でも、そんなに窮屈でなくても良くない?と思ったことで、「話の内容」と「漫画の作り方」が構造的に一致したので、そう思った時に「終わらせられるかもしれない…」と思った覚えがあります。

 

 物語という存在は、ときに現実よりもずっと窮屈です。例えば、読者のヘイトを稼ぐ人物には罰が当たって欲しいですし、苦労をしている人には報われてほしいと思います。同様に、その人が救われるべき理由、罰されるべき理由が描かれていなければ、納得がいかなかったりします。そのため、物語上の出来事は必然に近いものとなり、そこに抜け出ることのできない窮屈さがあります。

 であればアンチ物語にすれば終わらせられるだろうなと思ったんですよね。物語はこうあるべきという前提をなくして、現実のように全く唐突に理不尽に、何かが起こってもいいじゃないかと思いました。それは作劇手法で言えば、デウスエクスマキナというものと似ていて、神のような存在が急に表れて全てを解決するというようなものになります。

 

 僕は物語の中でも、前フリなくいきなり降ってきた隕石が、登場人物の頭を直撃したっていいじゃないかと思います。福満しげゆき先生もそんなことが起こる漫画を以前描いていました。

 「つじつま~」の物語の中盤に登場した木下直純という男が担っているのはまさにそういう役割です。彼はその場その時の感覚で何でもできる人間として登場してくれています。直純はページをめくったら、全く理由なく誰かを撃ち殺すことができる人間です。彼がいることで、この物語は、どの角度からでも終わらせられるようになりました。いざとなったら唐突に彼が現れてその場にいる人を殺せば、なんにせよ話が終わるからです。

 

 それはしばしば読者からの納得を得られない作劇手法ですが、しかしながら、この物語はそのような窮屈さの中で選択肢がないことに苦しんでいる人の物語であったので、彼のような物語に囚われない人間の存在が「救い」と捉えられるものになります。唐突に現れ自分を殺す者が、自分の人生にとって救いとなる存在であるという皮肉な構造がひとつ意味のある話になると思ってこういう話になりました。

 

 僕がお話を終わらせられるようになったのは、このような考えに至ったというところがあります、それまでは整合性にこだわっていて、それゆえに自分を細かい部分で雁字搦めにして動けなくなってしまっていました。それを壊したっていい、繋がっていなくても、矛盾があったとしても、それを飲み込むような力があることの方が重要で、ロジカルではない作り方をすべきだとロジカルに考えることの大切さを考えるようになりました。

 「何かしてはいけないことをしていないか?」を考えるのは大切なので足を止めて考えるのもいいですが、足を気軽に進めるためには、自分のそういった縛りプレイを止めたりして、「していいこと」を増やすといいんだなと思いました。

 

 今もお話作りでは色々悩みながらやっていますが、それでお話が完成して面白くなると思えば、何をやったっていいんだという気持ちは大切だなと思い直せたので、リメイクできてよかったなと思いました。