インターネットで目にした話で、乱暴に要約すると「今の漫画業界は貧しくなり、売れ筋しか作ろうとせず、新人を育てる気もない」みたいな意見があって、別にそんなことはないんじゃないかなと思いましたが、ただ、そこに全く理がないわけでもないかもしれないと思ったので、それを書きます。
まず、漫画業界が貧しくなったかというと、国内の漫画市場は電子書籍の追い風もあり拡大しているので、全体としては特に貧しくはなっていないと思います。
次に、売れ筋しか作ろうとしないという認識の解釈は難しいですが、基本的に商業出版は売れなければ続けられないので確かに売れる必要はあると思います。ここで言いたいのはおそらく、売れるために新奇性ではなく既にウケているものの模倣が中心になっているという危惧だと思います。実際、そういう作品も多くあるでしょうが、昨今は、漫画の連載のWeb媒体への移行が進んでおり、定期刊行する紙面という制約にとらわれず、採算性もとりやすくなったことで、昔よりも様々なチャレンジがしやすい状況になっていると僕は認識していて、今の方がむしろ、従来であれば出せなかった変わった漫画も出やすくなっているという認識です。
最後に、新人を育てようとしていないというのは、例えば、既にネットでバズッた人を連れてきて連載させるような話に対してではないかと思いますが、今はWeb掲載の柔軟さもあって、そうではない新人の読み切り企画も増えているように思います。実際、僕自身、40歳の中年新人漫画家なのに、原稿料の投資が即時に回収できるわけではない読み切り漫画の話を頂けていますし、今月からは連載もさせて貰えることになりました。
僕は、コミティアで知り合いを中心に数十冊程度売れる同人誌を作っていただけのオッさんだったので、ろくに実績もなければ、パッと見、将来性も低いと思うので、そんな中年にまでお金を出して漫画を描かせようとしている業界に、育てる気がないとは思えません。
ただ思うのは、ここで言う「育てる気がない」という言葉の意味が、「すぐに結果を出せる才能のある人や、何らかの後ろ盾のある人以外のチャレンジが難しい環境である」という意味なら、理解できる部分があるかもしれないなと思いました。
それはつまり、収入面の問題です。
漫画の連載のタイプを大きく2つに分けるなら、週刊連載と月刊連載があります(細かく言えば隔週や季刊や不定期もありますが)。新人の原稿料の一般的な相場を8000円とした場合、週刊連載が週17ページ×4回であるなら、月収54万4000円、月刊連載で32ページなどであれば、25万6000円です。どちらも生活はできそうな収入に見えます。
しかし、それは「アシスタントを使わなければ」ということが前提です。そして、特に週刊連載は、アシスタントなしでやることは普通の人にはほぼ不可能な作業量です。例えば、週3日の日給1万円で2人のアシスタントをお願いした場合、週刊連載の収入は54万4000円-1万円×2人×3日×4回=34万4000円になります。
これならまだ生活が大丈夫そうにも見えますが、アシスタントをしてくれる人に、より多くの報酬を払ったり、人数を増やしたり、スタッフとしてちゃんと法律を守って雇用したりすると、あっという間に赤字になってしまうと思います。
連載で赤字になっても、単行本が出れば回収できるかもしれません。しかし、例えば初版1万部程度で重版なしの500円の単行本で印税率10%の場合、1冊の単行本で得られる収入は50万円です。週刊なら年4冊で200万円、月刊なら年2冊で100万円です。この規模では、連載を赤字で回し単行本の収入で生活するということがしんどいということが分かります。
つまり、このような連載で赤字が出るやり方は、単行本が売れなければそもそもアウトという環境であり、一方で、知名度のない新人漫画家が単行本をいきなり売るのは困難なことです。なので、新人ほど、生活がギリギリになる状態や、あるいは借金の可能性のある状況を切り抜けなければ漫画家になれないという苦しい状況があると思います。
加えて、連載が始まるまでの期間は無収入になるので、最悪載らないかもしれない漫画の作業を延々続けないといけないかもしれません。
そのような状況を想定して、「育てる気がない」と表現するのであれば、それは理解できる話だなと思います。
例えば、即座にお金にならないような斬新な漫画を描いている新人がいた場合、それで食っていけないなら、漫画は趣味に留めて、食える仕事の方をするしかありません。
ただし、この前提がそもそも常に真とは限りません。
例えば、出版社によっては年間契約などによる金銭面のサポートがあったり、今は紙の本に加えて電子版の印税もありますし、Web連載であれば先読みの収入もあったりします。原稿料も交渉次第で上げられるかもしれませんし、デジタル画材の進歩で、アシスタントの人数や稼働を最小限にすることもできるかもしれません。また、Web連載ならば、紙面に空きができるまでの無収入待機時間も最小限にできるかもしれませんし、連載化のハードルも低いかもしれません。
前提とする条件は、上記のように単純化したものだけではなく選択肢も沢山あるわけです。
また、作品の権利が個人に帰属するタイプの仕事は、雇用されているときのような手厚い補償のあるものではなく、実力主義の厳しいものであるという考え方もあるでしょう。その条件でやっていけないならば、サポートされながらダラダラ続けるよりも、やっていけないことを早めに悟って退場するのが筋であるというような、厳しい考え方もあるかもしれません。
一方で、条件が上で挙げたものよりもさらに悪い場合もあって、出版社によっては、原稿料が相場よりもずっと低かったり、印税契約ではなく買い切りであったり、成果物が作者でなく出版社に帰属するような契約を持ちかけられたりの話もあるそうです。
このような話題は、話者によって前提としている条件が異なり、それゆえに、今の状況が問題ないと感じる人と大いに問題であると感じる人が、全然違う前提条件を元にすれ違って話しているということもあるのではないでしょうか?
なので、こういう話題をコミュニケーションとして真面目にやるなら、相手が何を前提として何を言おうとしているのかを確認するところから始めて、正しいとか間違っているとかの話は、それを十分やったあとの話だろうなと思いました。
ちなみに僕の今月から始まった連載は、アシスタントなしの紙媒体の月刊連載(ページは少なめ)という選択をしています。連載にともなう電子媒体からの追加のお金は発生しませんが、支出が少ないので、連載そのものは黒字で行えます。なお、アシスタントがいない代わりに、素材を買ったりはしているので、支出がないわけではありませんが。
また、兼業で漫画を描くという選択をしたのは、自分の生活の収入基盤を不安定にしたくないという理由からです。今の本業は同じ業界の中で15年以上働いていて。それなりに足の置き場があるので、そっちの仕事をやっていれば「生活できるかできないか」レベルの不安については全く目を向けなくて済むという状況があります。
僕は昔、生きるための金に困っていた時期のことが悪夢のように思い出されるので、絶対にお金に困りたくないんですよね…。
そういう感じに金のことを考えていくと、例えば、自分の原稿料が今の3倍だったなら、仕事を辞めて専業をやるという選択肢も出てきたかもしれないなと思います。でも、実際に漫画の連載をひとつの投資として考えた場合、原稿料をそれだけ上げたとして、単行本を売って回収するのに必要な冊数を想像したら、難しいなと思ってしまいます。自分の漫画がそれだけ売れる前提がまず必要ならば、そもそも企画が通っていないかもしれないとも思ってしまうんですよね。
例えば、200ページの単行本を作る場合、原稿料が8000円だとしたら(念のため書きますが、これは仮定で、僕の実際の原稿料は秘密です)、作者に支払う原稿料は160万円ですが、3倍にすると480万円です。500円の単行本で1万冊刷るとしたら、全部売り切れても500万円なので、そんな前提はこの規模ではあり得ないなとすぐに気づいてしまいます。
少なくとも数万冊以上は刷っても売り切れるぐらいの見込みがないと商売としては破綻しています。
ここで「人を育てるためなら赤字でもやれ」という人もいるかもしれませんが、でも、多くのケースでは既にとっくに赤字でやっていることも容易に想像できると思います。なぜなら1万部刷っても全て売れるということはなかなかなく、もし半分しか売れなければ、全体の売り上げが250万円しかないからです。もちろんその250万円の中には、印刷製本や流通決済の費用も含まれるので、どう考えても1万冊刷って半分しか売れない200ページ500円の本に原稿料8000円払う事業って赤字ですよね?
赤字の幅がデカく、赤字の本が増えてしまえば、同じ出版社から他によほどどでかいヒットが出ていなければ、事業として立ち行かなくなるだろうなと思います。
なので、自分の原稿料を3倍にしてくれ!!と交渉するのは、まず前提として本が既に沢山売れているという状況がなければ、通ることのない無理筋だと思うんですよね。
もちろん単行本の価格を上げるとか、電子版が売れるなど、その認識を補正して検討するための材料はまだまだありますが。
こう考えていくと、新人が漫画で生活を成り立たせるのが難しいという状況は、「売れ筋しか作らないから」ではなく、むしろ、「将来売れ筋になるかもしれないから」という多くのチャレンジの機会を作っているからこそ、そうなる傾向があるようにも思います。
なぜなら、既にある程度売れる見込みのある実績のある漫画家の本だけ作っていれば、赤字の本は最小化できるという考え方もできるからです。その場合、赤字の可能性の高いギャンブル的な新人の本を作る必要はありません。
つまりこれは、誰かが悪いことをしているからそうなっているというのではなく、現状の枠組みでは様々なバランスからそこに落ち着いてしまうという構造的な問題だという理解になります。雑誌で連載して単行本で回収するというビジネスモデルが、現状の価格や分量のバランスでは、必然的に新人の生活に厳しい状況となってしまうのであれば、別の新しいビジネスモデルが望まれているのかもしれませんね。
それが例えば、スマホアプリでの連載(ウェブトゥーンを含む)などだったり、fanboxなどの支援や電子での自費出版だったりするのではないかと思います。今後、もっと新しいモデルが出てくるかもしれません。
今日思ったことはここまで。